■卯月――新学期
桜がつぼみを少しずつ開かせ始めた四月、二週目の月曜日。私は高校三年生になった。
二週間ぶりに制服を着て、いつもより早く家を出た。
私の通う高校は家から徒歩で十分程度の近い場所にある。
登校中に考えることは、一番気になるクラス替えのこと。今年もどうか、あの人と同じクラスになりますように……。
「おっはよー、テル」
学校の敷地内に入って間もなく、後ろから聞きなれた親友の声が聞こえてきた。振り返ると、自転車を押して歩いているよく知る二人の姿。こちらに向かって手を振っている。
この高校に入学してすぐに仲良くなった那弥楓(なみ かえで)。同じ部活――文芸部で今は部長も務めているしっかりものの美人さん。
そしてもう一人……楓とつきあってる松山くん。よく「マツ」と呼ばれているので、私は「マツくん」と呼んでいる。黒いセルフレームのメガネをかけているけど、だいたいズレててよく中指で押し上げている。身長も楓の頭ひとつ分高いのだが童顔で、子供のような無邪気な笑顔をよく振りまいている。とはいっても、私は一度も同じクラスになったことはなく彼のことをあまり知らない。
「おはよ〜」
春休み前と同じいつもの光景。私も大袈裟に手を振って答え、二人が追いついてきて横に並ぶのを待った。
そして話題は今日のような新学期ならではのものになる。
「楓とマツくんと同じクラスだったらいいなー」
「そう? この人うるさいだけよ? 課題やってこないし」
私の素直な意見に対し、マツくんの彼女とは思えない楓の意外な発言。
「楽しそうだと思ったのに、うるさいって……」
新学期だろうと楓とマツくんのやりとりはいつもと変わらず。楓は相変わらず冷めた反応だし、マツくんはそれを気にもせず楓に絡んでいく。
「オレはカエデと一緒だったら文句言わないな」
楓のさっき言ったことなんて全然気になってないマツくんは、彼らしいセリフを笑顔で、平然と吐き出す。恥ずかしくないのかな?
「アンタはどうせ、やるのが面倒な課題を写させてほしいだけでしょ?」
マツくんは小声で「バレたか」とか言ってる。そんな楓とマツくんは、二年の時に同じクラスで、マツくんの宿題写しがきっかけで今の関係に発展したとか。とてもそういう風に見えないのは、楓の性格のせいでしょうか。
駐輪場に自転車を止めに行った二人を待ち、戻ってくると会話の続きが再開される。
「あたしは、テルと同じクラスになれたらいいなぁ」
「オレは?」
「……なるといいねぇ〜イブくんw」
楓とマツくんの噛み合ってない部分がなかなか面白い。それが二人らしいところでもあるけど、なんで付き合ってるんだろ? とやはり今日も思ってしまった。
そうこうしているうちに、クラス分けの紙が張り出されている生徒玄関前へと到着。新二、三年生が自分の名前を探し、友達と声を上げて喜んでいたり、魂が抜けかかった表情でよたよたと玄関内に消える者――とにかく、たくさんの生徒であふれていた。
私たちも人の流れに沿って、同級生たちが囲む掲示板の方へと向かった。
人の人との間にちらちらと見える程度の掲示物。私がまず見つけて目を通すのはA組の名簿。私の苗字は「た行」なので上から順に見るより真ん中あたりを探すのが早い。そして、あの人も同じクラスなら――。
A組の名簿に、「谷野流(たにの りゅう)」という名をみつけた。
その名前が視界に入っただけで急に心拍数が上昇。私はその後に続いて欲しい自分の名前を必死に探した。
何度も、何度もあの人――谷野くんの名前より下の欄を探したけど、私の名前はなかった。
――今年は、同じクラスになれなかった。
周りから聞こえるうるさいぐらいの騒ぎ声も、人ごみも景色も遮断され、私は真っ黒でなにもない空間で、ただ立ち尽くしているような感覚に襲われる。
――修学旅行もあるし、高校最後の一年なのに……。
なんと言うか……確率は4分の1なのに、かなり期待してきただけにショックだった。片思いなりに、せめて同じクラスだったら……という儚い思い。現実は甘くない。
「テル! あったよ、C組」
「お、オレは?」
「残念、イブくんはD組でした〜」
「まっ、マジでー!?」
私の隣で楓とマツくんが騒ぎ出したので、何とか真っ黒空間から引き戻される。
前にたくさんいたと思っていた同じ新三年生も、いつの間にか前より後ろに人ごみができていた。
各クラスの名簿も先ほどより見やすくなったので、楓の言うC組の名簿から自分の名前を探した。
18――照山紅葉(てるやま くれは)
19――那弥 楓
名簿には、楓と私の名前が並んでいた。
「一年の時以来だよね〜」
と、二人で盛り上がっていると、マツくんは付近にいた男子生徒のむなぐらを掴んでゆすって、八つ当たり(?)をはじめていた。
「雄飛、オレと変われっ!!」
「知るかよ」
その人物――確か、二年の時に楓、マツくんと同じクラスで見たような気がする程度で、よく知らない。突っかかってきたマツくんに迷惑そうな顔をしつつも、抵抗せずに揺さぶられ続けていた。
マツくんが変われって言ってたぐらいだから、私と同じクラスになる人。
「おはよ、アキノ。今年もよろしく!」
「何か……那弥とは腐れ縁としか思えないんだけど」
「失礼ね、それはあたしのセリフよ!!」
その言葉から想像すると、なにやら長い知り合いらしい二人。楓が言う「アキノ」と、マツくんの言う「ユウヒ」は同一人物で、C組名簿の一番上にその名があった。
1――秋野雄飛(あきの ゆうひ)
マツくんと同じぐらいの背丈だけど目が隠れるほどの前髪で表情はよくわからない。マツくんとは正反対な感じで落ち着いていながら、あの楓に冷めた対応をさせない。まだまだ子供っぽい男子が多いと思ってただけに、なんだか不思議な雰囲気の男子だ。
あの人……谷野くんとはクラスが離れちゃったけど、楓と同じクラスになれたからいいってことにしよう。別に会えなくなるって訳でもないんだし……いい方に考えなきゃ、高校最後の一年が台無し。
掲示板前で増えた一人を加え、私たちは会話をしながら生徒玄関の三年C組の靴箱へ、なんとなく歩いていった。
――三年C組教室。
前に同じクラスだった人、初めて同じクラスになった人が混じった新しいクラス……慣れない教室。新たなスタートに気持ちも引き締まる。
はずが……
「ええい、アンタのクラスは隣! D組でしょ!!」
「やだ〜っ!!」
マツくんが楓から離れられないでいる。
今日は出席番号順に並んでいるので私の後ろの席である楓の机にしがみついている。
「ちょっとアキノっ! 何とかして!」
廊下側一番前の席である秋野は呆れた表情でこちらを見ると、しぶしぶと言った感じで席を立ち、こちらに歩いてくる。マツくんの背後に立つと、首の後ろを……掴んだ? そしてつまみ上げた?
「イブち〜ん、おうちにお帰り」
そのうえ、マツくんをネコのごとく扱う。彼は一体何者!?
セルフレームの眼鏡がだらしなくずり落ちて、哀愁ただようマツくんだが……
「にゃーにゃー」
秋野に引きずられ、鳴きながらC組を後にせざるおえなかった。
「カエデ〜、クラスが変わっても愛してるよ〜」
「うっさい、黙れ!」
今のは、空いている手でマツくんの後頭部を叩いている秋野のセリフ。
二年の時に同じクラスだったこともあるのか、いいコンビに見えるんだけど、その前のマツくんのセリフ……熱いんだか寒いんだか。楓は嬉しいのか恥ずかしいのか、読み取れない苦笑いをしていた。
まぁ、私としては、言われてみたいセリフではあったけど……人前だと恥ずかしいかな。
「ほんっと、春休み明けても相変わらずね」
マツくんを見送り、肩をすくめて半目でそういう楓は……完全に呆れていた。
それから間もなくホームルームが始まり、新二、三年だけの始業式が行われた。
相変わらず、校長の話は長くて退屈だった。よくそんなに一方的に長く喋っていられるものだ。
校長の話が終わると生徒会長のあいさつ。これはきちんとまとめてあって、聞いてても苦にならなかった。
それが終わると教室で再びホームルーム。
まずは委員を決め――私はなんとかそれから外れたけど、
「もぅ、信じらんない。だから推薦ってイヤなのよね」
後ろの席に座る楓から愚痴とため息が漏れた。楓はクラス委員に推薦され、それを引き受けなければならない雰囲気に圧されて渋々といった感じで了承していた。
男子のクラス委員は――秋野に決定した。
「まぁ、一年間っていう訳じゃないからいいけど」
だけど、一度何かの委員をしてしまうと、二学期にも再任というケースが多々あったりする。誰も進んでやりたがらないものだ。
委員が一通り決定すると、今後の日程を担任が説明した。
明日は午後から入学式で、生徒会役員以外は休み。明後日は新入生との対面式と部活紹介で二時間、その後は通常授業に入るようだ。
一学期は五月に修学旅行がある程度で特に目立った行事はなく、勉強中心の学校生活になりそう。それでなくても進路を決める大事な一年になるので、遊んでばかりもいられない。
ホームルームが終わると下校となるのだが、生徒会と各クラス委員は入学式の準備に借り出された。ウチのクラスからは楓とアキノ。
ブツブツと文句を言いながら席を立つ楓に、終わるまで待ってる、と言って送り出した。
まだ教室には帰り支度をしながらおしゃべりをしている生徒がたくさん残る中、隣のクラスからカバンを提げた眼鏡男子がこちらに向かって歩いてきた。マツくんだ。
「あれ? カエデは?」
私の後ろ――楓の席には彼にとって見慣れたカバンが置いてあるものの、本人の姿がないことを疑問に思ったらしい。
私は黒板に向いている椅子に横向きで座り、立っているマツくんを見上げた。
「カエデね……クラス委員になっちゃったから、入学式の準備で体育館に行ってるの」
「え!? うっそ!」
驚いた表情。眼鏡の奥にある瞳が、後悔の色に染まっているのはなぜだろう?
マツくんは楓の席の椅子を引くと崩れるように腰を下ろし、うなだれた。
「推薦されたのに……」
断ったってことだよね。ここにいるってことは。
楓だって好きでクラス委員なんてする子じゃないし、今回は教室の雰囲気に負けただけ。さすがのマツくんだって予想できなかったこと。
「ひどいよ〜神様のイジワル〜」
とか言いながら、マツくんは机の上に置いてある楓のカバンに顔を擦り付けていた。
――ヘ、ヘンタイ。
あ、いや……マツくんは楓を溺愛しているだけに、もう慣れてしまったけど、この近距離で見るとやっぱり……キツい。
「……雄飛は?」
顔を上げたマツくんは、本日二度目の眼鏡ずり落ち。
朝、しばらくこの教室で楓との別れを惜しんでいたし、まだ席が出席番号順だということもあり、秋野の席の方を向いたままマツくんが聞いてきた。
彼の机の上にもカバンが置いてある。
「秋野もクラス委員で、体育館――」
「……へ?」
「楓と秋野がウチのクラス委員なの」
「きぃ〜!! くやしぃ〜」
今度は伏せて机を叩きはじめた。
時間の許す限り、一緒にいたいのは分かるけど……重症だわ、この人。だけど、そこまで想われてるって羨ましい。だけど、マツくんは彼氏にしたくないタイプ。やっぱり、落ち着きがあって、優しい……。
――って、今、関係ない方向に行きかけた!
マツくんは喜怒哀楽がはっきりとしていて、面白いと言えば面白い。
「おのれ、特待生」
「特待生?」
「そう。雄飛は特待生なんだよ。学費免除。学校側からの評価も特別だろうな」
何だか、スゴい人がクラスにいるもんだな。
と思っていたら、
「どうせオレは何の取り得もないバカ学生ですよ〜。眼鏡だって、ゲームのやりすぎで視力が落ちただけだ〜い」
また伏せてブツブツと言い出した。
それからしばらく、マツくんがどれだけ楓を想っているか語られ、私は愛想笑いと生返事で対応した。
そこからどう話が逸れたのか、名前の話になった。
「モミジちゃん、ホントは『モミジ』って読みじゃないんでしょ?」
「うん、そうなの。『くれは』が正解。字は『コウヨウ』とか『モミジ』の紅葉だけどね。昔からあだ名とか間違いでそう呼ばれてるから、気にならないけど」
「じゃ、問題です」
マツくんは胸のポケットから生徒手帳を取り出した。
というか、ちゃんと持ち歩いているというのがスゴいと思った。私なんか、カバンの忘れ去られたポケットに入っているか、いないかぐらいだ。
手帳を開いてすぐのところにある、写真が貼ってあるページを私に見せてきた。
「さーて、ボクの名前はなんでしょう?」
名前が書いてある部分には『松山夢翔』と書いてある。
他のクラス名簿なんてたいして見る機会もないし、親友の彼氏なら尚更? 苗字だけ知ってればいいかな、ぐらい。
夢(ユメ)に翔(カケ)る……何て読むんだろう?
「えっと……『むしょう』?」
音読みだか訓読みだか分からないけど、そう読んでみた。
「それって、ムショウにハラたつね」
マツくんは笑顔のままだったけど、その言葉から怒っていると思い、あわてて謝った。
「あ、ごめん……わかんない」
だけどマツくんは怒るどころか声を上げて笑いだし、顔を背け、笑いを堪えながら口を開いた。
「いや、ここは笑うとこなんだけどね。だいたい、普通読めないとおもうんだ、この名前」
「何て読むの?」
「イブキ。読めないだろ?」
確かに。誰が『夢翔』と書いて『イブキ』と読むなんて予想したか……。でも別の意味、納得していた。
「あ、だから楓はマツくんのことを『イブくん』って呼ぶんだ。ようやく謎が解けた。みんな、マツって呼ぶから……」
「イブキって響きが好きなのに、誰も名前で呼んでくれねぇ〜。というより、名前の読み方を知らないヤツが多いのかなー」
「だろうね」
話のキリがいいところで、入学式の会場準備を終えたクラス委員二人が教室に戻ってきた。
「テル、子守りご苦労」
「カエデぇぇ〜」
彼女の姿を見るなりものすごいデレデレ笑顔になるマツくん。抱擁を求めるように両手を広げて楓に駆け寄ったが……一触即発。
「ウザい」
「ぎゃふっ」
叩き落とされ、床に沈没。
見慣れていると言えばそうなんだけど、やっぱ、痛いな……このカップル。
思わず眉根を寄せる私。
秋野は二年の時からこの二人を見ているせいか、顔色を変えることも、気にすることもなく、自分の席からカバンを取ると、さっさと教室から出て行った。
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2013.07.22 UP