飛翔――5
夏になると、それでなくてもよく起こる立ちくらみがひどくなる。目の前が暗くなって頭がクラクラする時間が長くなる。
景色が戻るとき、倒れそうになったり、実際倒れたり。ほんの数秒のことだからただの貧血だとあまり気にしてなかったけど、最近は何事にも集中できず、ボーッとしてる。やらなきゃいけないことも、集中できない。少し動いただけで息切れがすることもある。
何か、悪い病気じゃなければいいが、死に至るようならあの人たちに迷惑はかけたくない。
腹減った。
部活開始前、水道水をがぶ飲みしてごまかす空腹感。
下を向いてるだけでも頭がぼんやりしてくる。頭に血が回ってないのかな。
深呼吸して、向かったグランド。
走るのも、ボールを追うのも、今の俺にはこれほどキツいことはなかった。
正直、部活は辞めたかった。でも、サッカーで認められ、特待生として入学してる以上、やるしかない。試合に出れないほど、でも。
いつもより強いめまい。目の前が真っ暗になって――。
(……おい、大丈夫か秋野)
(保健室? 救急車?)
(とにかく、保健医呼んでこい)
そんな声が聞こえてた気がするけど、答えようと思わなかった。
できればこのまま、二度と目覚めなければ…………。
何だ、見慣れない天井だな。
「雄飛、よかった……」
松山が俺を覗き込んでる。
……生きてるのか。
「大丈夫か、秋野。お前、部活中に倒れたの、覚えてるか」
担任の男性教諭もいる。部活? そうだったな。すごいめまいで、真っ暗になって、そのあとは覚えてない。
「すごいめまいがしたのまでは……」
「熱中症かもな」
「違う」
先生の適当な答えに、松山が噛み付いた。
「前から気になってたけど、どんな扱い受けてんの、オマエ」
松山が険しい顔をしている。俺を捉えて離さない目。松山は、うすうす気付いてる。
「一度たりとも昼食に弁当を食べてるのを見たことがない。いつも、コンビニおにぎり一個だけ、さっさと食って教室からいなくなる」
「やめろ」
「いや、やめない。もう黙って見てるだけにしない」
「黙れ!」
松山を殴ってでも黙らそうと、体を起こして拳を打ったが、簡単に受け止められたうえに手首を掴まれ、振りほどくこともできない。
「おい、松山、秋野もやめろ」
先生が仲介に入ろうとしたとき、ノックもせず、ドアを開けて入ってきた中年女性――母だ。担任に気付き一応頭を下げていた。
「すみません、この子に話があるので外していただけますか?」
母がそう言うと、松山と先生は病室から出ていく。
「栄養失調と貧血。一日入院。体調が悪いなら大人しくしてればいいのに大袈裟な……」
俺の存在がそんなにうっとうしいのか、乱暴な口調だ。
「……すみません」
母が俺にそういう態度をとる理由を知る以上、謝るしかない。でも、やはり悔しくて、拳を握る。
退院の手続きがあるとかで明日もまた来ると言っていたが、一度たりとも母と目が合うことはなかった。
退室する母と入れ替わりで入る松山。担任は母を呼び止めているが、会話が成立するだろうか。
突然、松山が俺の胸ぐらを掴んできた。
「あれがオマエの母親か!」
なぜか松山は怒りに震えている。
「……そう、みたいだけど」
「親子の会話か、あれが」
会話なのか、あれが。どこが?
「……ずいぶん久しぶりに言葉を交わしたと思うよ。でも、聞き耳立ててたのか? 悪趣味だな」
「この前、雄飛はあの家の子供だって言っての、やっぱり嘘なんだろ?」
「……嘘じゃない。あの人が俺の母親だ」
これ以上言うな。真相に迫るな。
「戸籍上は、そう言った、あの時」
「あの人が俺の母であることに変わりない」
「父親はどうした?」
背筋がゾクッとした。
「戸籍上には存在しない、別の父親でも存在するのか?」
崩されていく。
「同じだ。オレの親も、雄飛の親も」
汚いものを見るような冷たい視線。松山は気付いてしまった。
「俺はただ……認めて欲しかった」
失ったものを、取り戻したかった。
でも、もう誰の視界にも入らなくなってた。
自分の身を守れるのは自分だけ。あの人たちに迷惑をかけないため、特待生として受け入れてくれる高校に進学したのに……。
「忙しいって、うまくかわされてしまった」
母とろくに話ができなかった様子の担任が病室に戻ってきた。
バイトするような時間もない。特待生でいなければならない。でも、もう学校を辞めるしかない。学校を辞めて働いた方が、まだ人らしい生活ができるかもしれない。
「あんなことするぐらいなら、俺なんか……産まなきゃよかったのに」
ぼそりと呟やくと、もう、全部話して楽になろうと思った。
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2013.07.23 UP