FILE:1−7 回帰! 彼女がメイドさん〜オタク風味?


 それから、頻繁に彼女――周防さんと話す機会があった。
 見かけたら彼女の方から声を掛けてくるだけで、俺から声を掛けることは一度もないけど。
 しかし、日に日に不審な点が目立つようになってきた。

 回数を重ねるごとにハデになる服装。
 たまに向けられる獲物を狙う獣のような視線。
 脇に抱えた大きな本はスケッチブックで……。

 いつぞや俺を襲ったメイドではないかと思いだしたのは、彼女と話すようになって一ヶ月が過ぎた頃だった。




「じゃ、これから講義がありますので」
 駆け出していく周防さんを軽く手を振って見送る。

 講義を終えて校舎から出てすぐに、これから講義を受けるという彼女に捕まった。
 相変わらず脇に抱えたスケッチブック。何が入っているのか謎な大きく膨れた鞄。
 そして、今日はトドメの一撃をザックリと食らわされた。
 前回より薄地ではあるが、メイド服だったこと。


 せっかく、脱・女日照りだと思っていたのに、のに、のに……。
 浮かれた俺を地獄に突き落とすようなこの現実。
 決して彼女の態度が変わったのではない。外見が変わっただけだ。
 だけど、気付いてしまったのだよ。まさに今!
 俺が勝手に周防さんを無邪気な乙女だと思い込んでいたのがそもそも間違いだったことに。
 恐怖を覚えた怪しい女と同一人物であることに。
 無邪気じゃなくて、邪気全開だ。
 そんな彼女がなぜ俺に近づいたのか。
 このショックがどれだけのものか、俺自身にもよくわからず、これからどうすべきなのか悩むだけ。
 別に害はないと思うけど……怖いよ周防さん。
 周防さん警戒警報発令。
 これから見る目が変わると思います。ごめんなさい。

 体が勝手に木の側まで行き、手を突くと溜め息が漏れた。
 ……なぜか息苦しい。


「いーまーのーおーんーなー、だーれーだぁぁぁ」
 ああ、後ろから首を絞められてた。
 その声の主は、珍しく講義が一緒になった充。相変わらず女を見れば片っ端から声を掛けやがる。講義が終わってから廊下で女を捕まえていたので無視して先に出たのだが……今、周防さんと話をしていた所を見られていたとは。
「稔が女と一緒にいるのって、あれこれ三、四年ぶりに見た気がする」
「ああ、誰のせいだろうねぇ」
 いいとばっちりだ。
「……中学以来だよね」
「お前のせいでな」
「久しぶりにハッスル?」
「三年七ヵ月ご無沙汰で悪かったな」
 さすがにムカっときたので充を睨みつけた。
 全部お前のせいだ。
 残りわずかの青春をまたお前と一緒に過ごすということは、俺に明るい未来はないということ。
 お願いだから俺に干渉しないで放っておいて。
「それにしても、コスプレ女が好みだったとは……知らなかった」
「俺も知らなかった」
 そうか……俺はコスプレ女が好きなのか――ってんなわけあるか!
 だいたい、あの女にはものすごい形相で追われてるんだぞ。
 格好だけならまだ許せる。だけど実際に追い回されてたんだ!
 さりげにショックが五倍増量。
「ご主人様、なんて呼ばれてんの?」
「まさか」
 それはない。野田さん、周防さん程度の仲ですから。それ以上でも以下でもなければ、深い関係はお断りしたいところです。
「なーんだ、つまんねーのー」
 何を期待してるんだ、お前は。
「じゃぁさ、付き合ってんの?」
「冗談はお前の顔だけにしてくれ」
 冗談じゃない。
「キー! プレイボーイを捕まえて冗談とは失礼な!」
 まだボーイって歳なのか? どうでしょう? ギリギリ? まぁいいか。どちらかと言えば、毎日がプレイボール&ゲームセットで即行リセットだろ。



 うーむ、我ながら完璧な例えだ。
「なぁーにがプレイボーイだ! 万年フラれ男」
「なにおぅ! 万年女日照りが!」
「雨男!」
「上がり症!」
「エロゲーオタク!」
「エロ本コレクター!」
「低血圧!」
「ゲーセン魔神!」
「全敗ナンパ師!」
「根暗!」





「二度と話しかけんな!」
「もう帰ってくんな!」
「じゃ、野田さん持って帰りますね」
「そんなヤツ、熨斗付けてくれてやるわ!」
「帰って来いって言われても、二度と帰ってやるもんか!」


 ――はい?
 兄弟喧嘩に誰か参加してない?
「じゃ、いただきますね〜。返品しませんよ?」
 ――え?
 アナタは、かくかくしかじかのほにゃららさん!!
「ちょっと待て充! 俺が悪かった!」
 だからとりあえず、この女にくれてやるのだけは待ってくれ!
「オレのせいで彼女ができないんだろ? 消えてやるよ」
 向きを変えてさっさと帰っていく充。
 ギャー、マジギレしてやがる! こんな非常時に!!
 いやいや、まだ出てきてない救世主がいるじゃないか。タスケテー、ドラ○もーん!!


 返事がない。
 ヒーローってのは一番いい所で出てくるもんだろ!
 今日は小多朗がヒーローになる日なんだよ。
 用もない時ばっかり出てきて肝心な時に来ないとはどういう嫌がらせだぁぁぁ!!


「……あーらー。どうしますか?」
「どうしましょうね……」
 あの様子だと、明日にならないと充の機嫌は直らないぞ。
「双子さんなんですか?」
「違う。普通の兄弟」
「かなり怒ってましたね」
「俺も怒ってたんだけど……」
 周防さんの登場と発言ですっかり冷めてしまった。
 それどころか、野田稔、十九歳、絶体絶命のピンチ?
「もしかして、講義中ずっと喧嘩してたってことですか?」
「……九〇分ノンストップで相手をののしり続けていましたとも」
 ネタが尽きると『話し掛けるな』と『帰ってくるな』というセリフが出て終わる。毎度のことながら、かなり低レベルな喧嘩だ。
「私も冗談のつもりだったんですけど、ホントに来ますか?」
 冗談に聞こえなかったから焦ったというのに……冗談だったのか。
 だけど安心できないセリフが飛び出しましたが、いかがなものでしょう?
「……いやだなぁ。別にヘンな意味で言ったんじゃないんですよ?」
 年齢的にヘンな方に捉えてしまうんだから仕方ないだろ。
「目的もちゃんとあります」
 はっ! やっぱり食われるんだ!
「デッサンのモデルをお願いしたいんです」
「モデル?」
 そういえば、最初に襲われかけた時、モデルが何とかって……あれはデッサンモデルのことだったのか。
 だから、必要以上に追い回されていた、と……あんなに追う必要はなかったと思うんだけど。今みたいに普通に頼んでくれたらこっちだって警戒しないのに。
 そうか。あの獣のような目は、きっといいモデル見つけたー! の目だったんだな。
 そうだ。そういうことにしようじゃないか。それなら周防さんを必要以上警戒する必要もない、ということで――念のために警戒注意報ぐらいにしておこう。
 モデルって、突っ立ってるだけで描いてもらうだけだし、減るようなものでもないんだから協力してもいいかな?
「ああ、いいけど。モデル」
 どんなの描いてくれんのかなー。

 ?! 何? 周防さん。何でニヤッとヘンな笑顔を浮かべてんの?

 嫌な予感がする。選択を誤ったと思ったけど断る余地なし。
 彼女は俺の腕をがっちり掴んで早足でどこかへ向かう。既に逃げられる状況ではない。俺はそんな周防さんに強引に引っ張られるのでついて行くしかできなかった。
 ブツブツと聞き取れない独り言を漏らしているのでかなり怖い。
 思ったことははっきり言わなきゃダメだね……。自分の意見をはっきり言えない性分だから特に。すぐに相手のペースに任せちゃってさ……。後悔してももう遅いけど。
 数分後には大学に一番近いアパートの一室に――。

 監禁されてる気分になっていた。
「そこに立ったままで動かないでください!」
 部屋に入ってすぐに、鞄をベッドに放った周防さんは、脇に抱えていたスケッチブックを開くと、腰を下ろして鉛筆を走らせ始めた。
 あまりにも真剣な彼女に声を掛けるのもどうかと思い、目だけで部屋を見回した。

 窓の側に机があるけど大きめの紙が無造作に置かれていて、椅子に座ったままでも手が届く場所に本棚がある。背の色がカラフルだけど薄い本が大量に並んでいる。それから……Qシールが貼ってある明らかにパソゲー数本、CG講座、デジタル漫画の描き方、画集、イラスト集、パソゲーの設定資料集、大量のクリアファイル、中身は謎。ちょっとエッチなポーズの少年フィギュア数体、萌え燃え五月号?
 ……もしかして、充と同系の人じゃないだろうか、なんて脳裏に過ぎる。
 エロゲー大好き、美少女のエッチぃポーズのフィギュアもあるし……ならば多少の免疫はあるものの、理解しがたい。
 マイナス評価になるような思考は停止。見なかったことにしておこう。
 さて、本棚の隣にはパソコンデスクがある。デスクトップ型のパソコンと線の付いたマウスパットにペンと無線のマウスが置いてある。プリンタと……あれがスキャナかな? 初めて見た。
 それらが置いてある向かい側にベッド。今、周防さんが座っている。
 ――ん? レース地のカーテンから何となく見えるものは洗濯物。まぁ、一人でアパートに住んでるんだから干してあるのが当たり前なんだけど……部屋からだと下着がよく見えます。結構濃い色が好きらしい。目立つからいやでも視界に入る。
 何を見てるんだ、俺は!
 それにしても、この部屋は布団のシーツやカーテンがピンク色に統一されているものの、女の子らしさを感じ取れないのは気のせいだろうか。ぬいぐるみもなければキャラクター物もない。例のフィギュアが逆にオタクっぽい。
 それに比べて俺の部屋は……取れるものはだいたい取って帰ってしまうので、床から壁から天井までゲーセンの景品だらけで明らかにゲーセンマニアの一室。おかげで本棚までも占領され身の回りのものや本なんかも全て押入れに追いやられた。それでも何とか座る場所と寝る場所だけは確保されているし、足の踏み場も一応ある。
 充の部屋は……たまにフィギュアの部品が落ちていて足に突き刺さったりするが。

 それはどうでもいいとして、俺はいつまでこの体勢のままでいればいいの?

 あまりにも退屈だったので、本棚に並んだ本の冊数を数え終わってしまった。次は何を数えてやろうか……。パソコンのキーボードのボタン数? それともスピーカーの穴の数か……それはさすがに見えないけど。
「もういいですよ。ありがとうございます」
 その言葉でようやく周防さんに開放された気分。
 今、描いたものを見せてくれるのかと思ってたのに、彼女はスケッチブックを閉じるとすぐに鞄の中に押し込んだ。
「すぐにお茶の準備しますから、座っててください」
 俺は軽く体を伸ばしてからじゅうたんの敷いてある床に腰を下ろした。
 そして、彼女の姿を目で追う。
 どうしてキッチンではなく、この部屋にお茶セット一式――電気ポット、カップ、紅茶やコーヒーなど――が置いてあるんだ?
 まぁ、キッチンと呼んでいいのかって思うぐらい、狭くて簡易的なキッチンだったし、人それぞれか。
 うん、確かにそれはそれで納得できるんだけどさ……周防さん、今、コーヒードリッパーの中にフィルターをセットするまでは理解できる。
 だけど、どうして当たり前のように日本茶の入ってそうな缶を手に取るんだ?
 中身がコーヒー豆を挽いたものなら突っ込まずにいようと思ったけど……。
「周防さん、ソレ、何!?」
 俺の記憶が間違っていても、その缶から出てきたものは明らかに日本茶の葉だった。
「あ、これは煎茶ですね。お嫌いですか?」
 ごく当たり前のようにその動作をする彼女は、にこやかに振り返ってくる。
 日本茶が嫌いなわけではない。その工程に問題アリアリだ!
「嫌いじゃないけど、何で茶漉しとか急須じゃないんだ!」
「あは。茶漉しはこの前、洗ってたら壊れちゃって……。それに、洗うのが大変だったし、使い捨ての方がいいなー、と思ってこうなりました」
 洗うのが大変なのはよく分かる。網目に膨らんだ葉っぱが詰まってたら指でつまんで取らなきゃならない。
 だから使い捨てがいい、とは言ってもコーヒードリッパーは使わないだろ、普通は! ちゃんとお茶用のフィルターが売ってるというのに……。
 だいたい、フィルターは使い捨てでも、ドリッパーを洗う手間が掛かるだろ! おかしいよ、それは!
「それに、ちょっと変わったことがスキですから」
 そりゃそうだろ! あんな服着てるんだから、普通じゃないことぐらい分かってたはずだ。
 はぁはぁ、心の中で突っ込むのにも疲れてしまったよ。もう、深く考えないようにしよう。気にしだしたらもっと突拍子もないことが巻き起こるに違いないんだ。何が起こっても口に出して突っ込んじゃダメだ……絶対に。

 例のお茶は湯飲みじゃなくてマグカップで出てきた。皿やグラスじゃないだけありがたく思おう。
「……いただきます」
 味も普通だし。……だけど熱い。せめて、冷たいお茶が良かった。
「これは冗談ではなくて本気で聞きますけど、今日はどうされるつもりですか?」
 ……何が?
 ……! あ、そうだ。あまりにも異常な行動にすっかり忘れてた。
 ここに来る前に気付いたけど、アパートに帰れなくても手がある。二十四時間営業の漫画喫茶が近くにあるじゃないか!
 問題は所持金。希望を託して覗いた財布の中身は……絶望的。時間的にATMはまだ稼動中なのに、肝心のキャッシュカードは必要なとき以外は持ち歩かない主義。
 さすがに金を貸せなんて言えないし……。
「……私、貸すほどお金は持ってませんよ?」
 財布を持ったまま止まっている俺を見て察したのか、何も言ってないのにそんな回答が返ってきた。
 だからと言って野外で野宿は絶対にイヤだ。
 ! そうだ。こんな時の救世主、小多朗!
 携帯してて良かった、携帯電話。

『えー、兄弟喧嘩に俺まで巻き込むなよなー。自分で何とかしやがれ』

 かなり面倒そうな声で冷たくあしらわれた。
 友達がこんなに大事なものとは知りませんでした。他に頼れるほど深く付き合ってる友達なんていないもん、いないもん……。友達作りがヘタクソだもん、もん……。
 今日ほど自分の性格を呪ったことがあろうか。
 メモリダイヤル件数がたったの五件しか入っていない携帯電話は役立たず。見つめているだけで虚しくなってきた。
 だけどココに泊まる訳にはいかない。

「……帰るわ」
「そうですか。ちゃんと仲直りしてくださいね」
 そう言って彼女は俺を笑顔で見送ってくれた。


 アパートの部屋の前。鍵は持っているので入れないということはまずないと思っていたのだが考えが甘かった。
『ガジャ……』
 ドアを開いてすぐに何かが開扉を阻止した。
 ――あのバカ、チェーン掛けてやがる!!
 どうにか外してやろうと思い、隙間から手を突っ込んでみたが、ココのは閉じてからじゃないと解除できないような仕組みになっていた。
 かなりいい感じで悔しくなってきた時、自分の部屋から呆れた顔でこちらを覗き見ている充の姿に気付いた。
「おい、見てないで開けろよ!」
「やだ」
 ……コノヤロー!
「だったらせめて、俺の部屋からキャッシュカード、もしくは現金持って来い」
「自分でやればー?」
 とか言って部屋に入り扉を閉めた。
 ……入れないことを分かってるくせに。


 結局、帰った道を戻っていた。
 所持金は千円札一枚と小銭がちょっと。
 大学に近い公園のベンチに座って、冗談抜きで野宿を考えていた時だった。
「仲直り、できなかったですか?」
 顔を上げると、弁当屋の袋を提げた周防さんが立っていた。
「今日の夜、雨が降るみたいですから、野宿はやめた方がいいですよ?」
 確かに雲行きが怪しくなっていて、先ほどから雷鳴も微かに聞こえる。いつ降りだしてもおかしくない状態だ。
「降りだす前にウチに行きましょ? それからどうするか、考えてもいいじゃないですか」

 こんなに気を使って優しくしてくれた女が今までにいただろうか?
 ――居なかった。
 知らない土地に来てまだ三ヶ月。
 友達らしい友達もいない。頼れるような人もいない。
 そんな心細さもあり、その優しさにすがるよう甘えた。


 夕飯を買い忘れた俺は、周防さんが買ってきたばかりの弁当と買い置きされていたカップラーメンを分けてもらい、食べていた。
「何か作れるんだったら作ってあげたいんですけど……私、包丁が怖くて持てないんですよ」
 だから弁当なのか……。別に期待していた訳でもないのに、ちょっと悲しくなってきた。
 それから間もなく雨の音が聞こえてきた。
 窓の方に視線を移すが雨雲のせいでいつものこの時間より随分暗かった。洗濯物ももう取り込んであるようなので、俺の口から言うような言葉は何もない。
 再びカップラーメンに視線を戻すが、視界に入った周防さんの箸がしばらく動かなかったことを不思議に思い、目だけ彼女に向けると……窓を見たまま止まっていた。
「……? どうかした?」
「……光った」
 ああ、雷のことか。
 彼女はすぐにカーテンを閉めに行き、こちらに振り返って苦笑いを浮かべた。
 ――が、
『ゴゴゴ……』
「ひゃー!!」
 時間差で聞こえてくる雷鳴に悲鳴を上げ、その場にうずくまった。
 しばらくして顔を上げた彼女は、
「今、光ってから何秒で音がしました?」
 俺は光ったのは見てないんだけど……ラーメンに視線を戻した頃だとして……、
「三十秒……ぐらい?」
「ええっと、三十秒かける四百メートルは……千二百……ううう、近いよぉ」
 計算、間違ってるよ。こんな単純な計算を間違えるところから見ると、どうやら雷が苦手らしい。
「お弁当、食べ残しで悪いんですけど、あげます。私、さっさとお風呂に入っちゃって寝ますから……。あ、トイレはいいですか? ウチ、ユニットバスなんで……」
 早口でそう言うから、俺は首を縦にしか振れなかった。
 部屋の隅にあるクローゼットを開いて、着替えを取り出すとすぐに風呂へと向かう彼女。
 その時、見てしまった。クローゼット内に大量にあった怪しげな服を……。見た事があるものも含む。
 そんなこと、今は問題ではなくて、新たな問題が浮上してきたわけだ。
 どこか、泊まれる場所を確保できたとしても、雷嫌いの彼女を置いてそこに行っていいものなのか……。
 まず、確保は絶対に無理だけど、かなり雷が苦手そうだし……。
 ――ここに居てもいいんだったら、居てあげたい。
 それで少しでも彼女の不安が取り除けるのなら……。

 ……何を考えてるんだろう、俺は。
 彼女に対する警戒心はどこへ行った?
 格好や行動がちょっとアレでも……。

 早めにお風呂から上がってきた周防さんは、俺に未使用のタオルを手渡すと、風呂を勝手に使ってもいい、とだけ言って、部屋の中をウロウロしだした。
 独り言を漏らしながら。
「あうう、雷が落ちて電化製品が全部ぶっ飛んだらイヤですぅ……コンセントを抜かなくては……」
 まずはパソコンのコンセントを抜き、周辺装置のものと思われるコンセントも引き抜いた。
「携帯の充電はオッケー。緊急時のために持っておこう」
 充電器から携帯を外すと、そのコンセントも抜いた。
 それから、電気ポット、ベランダの洗濯機……抜けるものは全て抜いて回り、ナゼか部屋のど真ん中に正座した。
 ……俺は抜かなくていいです。
「お風呂行くなら早く行ってください!」
「は、はい!」
 彼女の勢いに押されるよう部屋から出ると、そこには玄関以外のドアが一つしかないので、そこが風呂と便所のユニットであることがすぐに分かった。
 扉を開けると湿気を帯びた石鹸の香り。
 ――なんて前置きを長くしている場合じゃない。さっさと入って何とかしよう。
 何を!

 せっかく汗を流したのに着ていた服をまた着てはあまり意味がないような気がするけど仕方がない。
 部屋に戻ると、相変わらずど真ん中に座っている周防さん。
 何やらブツブツと数字を数えていて、更に異様さが割り増しされる。
「八、九――」
『ドーン』
 その音と同時に彼女は飛び上がった。
 俺もかなり驚いたけど。
「九秒かけるの一粒四百メートル、イコール……しくさんじゅうろく。三六〇〇(サンロクゼロゼロ)……。うわーん、近くなってるよぉぉぉ」
 計算は間違えなくなったようだ。
 にしても、今日の雷は地鳴りもひどいな。ビリビリきたぞ。
 あまりにも雷に対して真剣だったので、声を掛けず、壁側にすがるように座り、見守ることにした。
「うーうーう……!! きゃー!!」
 急に部屋を見回し始めた周防さんは、俺と視線が合った途端、悲鳴を上げた。
「もー! 上がったなら声を掛けてください! 幽霊かと思いました! びっくり、ビックリの――」
『ドーン』
「イヤー!!」

 ――彼女の悲鳴と共に電気が消えた。

「あ、停電」
 冷静な俺に対し、
「もう……ヤだ……」
 うずくまっているのか、涙声なのかよく分からないけど、声がこもって聞こえる。
 さすがに心配になり、真っ暗の中を手探りで、彼女が座っていた場所を目指して――!
 急に携帯のディスプレイを開くな!
 まぁ、そのおかげで彼女の位置がはっきりと分かったけど。
 カーテンが窓枠を映して強く二、三度光る。
 なだめるように、彼女の背をそっと撫でた。
『ドーン、ゴゴゴ……』
 後を引く音と地響きに耐えられなくなった彼女は、押し倒しそうな勢いで俺にしがみついてきた。何とか手を突いて踏ん張り、押し倒されはしなかったものの、何が起こったのか、しばらく理解ができなかった。
 彼女は震える体で必死にしがみついている。怖い、怖い、と何度も呟きながら。

 ――俺がいるのに怖いの?
 怖いものは怖いか。
 女の子だし……。

 無意識に彼女の背を撫でていた。
 まだ湿っている髪の香りが鼻をくすぐる。
「俺がいるから、大丈夫だから……」
 そんな言葉も自然に出てくる。

 ――どうしたんだろう、俺……何か変だ。
 こんなシチュエーションがお久しぶりすぎておかしくなってんのかな?
 四年近い欲求不満を満たしたいのは分かるけど……。

 彼女の頭を撫でると、胸に埋めていた顔を上げてきた。
 明かりひとつないこの部屋では何も見えはしない。
 髪を撫でていた指は耳を経由してなぞるように顎の下へ。
「野田……さん?」
 不安の混じった声は俺に届かなかった。
 俺は顔を傾けながらゆっくりと彼女に近づく。
 触れた瞬間、彼女の体の震えが一度大きくなってからピタリと止まった。
 顎に添えていた手を彼女の背中に添え、体重を前方に移動。空いている手を床に突き、口付けたままゆっくりと押し倒した。

 ――周防さんが俺のことをどういう風にみているのかは知らないけど……残念ながら俺は男という生き物でしかなかった。
 要するに、プッツンしてしまったのだ。
 プッツンと……。


 停電が直った瞬間に我に返ったが既に遅く――完食。

 ――くぁw背dfrtgyふじこlp;@:「」

 心の中で言葉にならない雄叫びを上げたのは言うまでもない。




 次の日。講義が一限目からあるという理由もあり、逃げるように周防さんのアパートから出たのも言うまでもない。
 運悪く正門で会った笑顔の充が癇に障ったのも言うまでもない。
 講義が頭に入らなかったのも言うまでもない。
 強制ワイセツ行為とかで訴えられて逮捕かー? 冗談じゃない!
 言うまでもなく、考えていたことは一つだけ。
 周防舞子という女のことだった。

 二限目は何もなかったので、食堂で朝食を取り、三限目の講義の為に再び講義棟へ。
 これまた頭に入らず、悶々とした時間を過ごすことになり、無駄に一八〇分の講義を受けるハメになった。
 これは寝不足のせいだ、と言い聞かせ、さっさと帰って寝るに限る、という結論に無理矢理してみた。

 ところがどっこい、帰ろうと思って階段を下っている時に……。

「野田さん、丁度良かったです! お暇なら一緒に来てください!」
 ……例の彼女に捕まってしまった。

 本日二度目の食堂にて。
「昨日はほんとーにごめんなさい」
 席につくなり、彼女は両手を合わせて深く頭を下げてきた。
 謝らなきゃならないのは俺の方なのに……どうして? 何で全く気にしてないんだ?
「雷ってどうもダメでして……。昔、母から聞いた話によると、二歳ぐらいのとき、電柱に雷が落ちたのを見たとかって……どうもトラウマっぽいんです」
 ……実は怖さで覚えてない、なんてオチはないよな?
 俺としては責任を取るべきだと思ってる。
 だけどできればその話題には触れたくない。特にこんな所では。ヒマな学生がわんさかいるんだから、誰が聞いているのか分からない。
 だけど、謝るぐらいはしておかなくては……。
「いや、それはしょうがないし、いいんだけど……俺がしたことの方がどうかと……」
 思うんだよね。って、声になってないよ。
 そう言ったからやっと思い出したかのように、周防さんは手をポンと叩いた。
「ああ、気にしないでください」
 するわ! やっぱり俺だけ気にしてたのか……。
「まぁ……ちょっと痛いですけどね、きゃはw」
 リアルに直球すぎ! 正直、俺も痛い。いろんな意味で。
「でも、これからの創作活動に役立つ経験だったし、結果オーライってことで」
 ……は?
「そ、そうさく?」
「はいっ」
「周防さんって、ナニモノ?」
「メディア・コンテンツ学部、映像造形学科、マンガコースの周防舞子。プロをさりげなく目指している同人作家ですw」
 ようやく、部屋にあった本の意味が分かったような……。そういうことだったのか……。
「モデルって……」
「はいっ。やっぱりフィギュアじゃモデルになりませんからね。画力向上のためにですね」
「あ、そう……」
 そんなものなのか……。がっかりだ。少しでも期待した俺がバカだった。
「それでも、せめて、責任を取らせてください」
「あら? いいんですか? やったー。実は、今日も雷雨っぽいので、付き合ってくださいね」
「付き合わせていただきます」


 ということで、一度アパートに戻って着替えとプレゼント用にゲーセンの景品を数個持って出掛けようとしたとき、丁度帰ってきた充に絡まれ、みぞおちにイッパツ食らわされ、またチェーンを掛けられた。
 そして今晩は――やたら甘えられてぶっ飛んだ。




 二度の失態にあきれてしまうよ。はっはっはっは。乾いた笑いが漏れそうだよ。
「周防さん」
「はい?」
「順番間違ってるけど……」
「はい」
「付き合わない?」
「じゃ『だーりん』って呼んでいいですか?」
 意外な返事にどんな返答をすればいいのか分からず、彼女の方を向いてみると、照れ混じりの笑顔を浮かべて俺を見ていた。
「だーりんは、私のことを『舞ちゃん』って呼んでくださいね」
「……はぁ……」


 確かに最初は責任を取るつもりで付き合い始めたのだが……気がついた頃には必要不可欠な存在になっていた。
 妄想が激しいオタク女だけど。
拍手だけでも送れます。一言あればどうぞ(50字以内)
  

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