FILE:1−6 怪奇! 追ってくるメイドさん
聞いた話だが、構内に大学生とは思えない風貌の学生がいるらしい。
どこが変かというと、ゲームやアニメキャラと同じセーラー服だったり、動物の耳がついていたり、ゴシックなロリータだったり、アニメの軍服だったり……云々。
とにかく、見た目がヤバいらしい。
目的の男を発見すると、意味不明な言葉を発して追ってくるとか。
うちの弟や小多朗も十分変人であるが、それを上回るヤツがいるとは……日本に明るい未来はないのか!
そんなウワサを聞いてから数日後。
講義を終えた俺は天気がいいので野外のベンチに座って小説を読んでいた
手に持っている文庫本、カバーにはホームズと書いてあるが中身はヒミツだ。
うっかりその小説にハマって目が離せなくなり……家で読めばよかったと後悔し始めた頃――妙な視線を察知したので本から視線だけを上げてみた。
紺色の服にレースがあしらってある真っ白なエプロン。首に赤いリボン。靴はブーツで全体の露出部分は十五%ぐらいだろうか。
ちょっと茶髪で長い髪をみつあみにしてあり、幼さの残る顔立ち。
大きな本(?)を脇に抱え、とにかく怪しいとしか言えない。
まさか、この女がウワサの――。
俺と目が合うと、急に目の色を変え猛突進!
しまった、と思った頃には既に遅く……。
「美少年萌えぇぇぇぇ!! モデルになってくーださーい!!!」
しかも、かなり怖い!
本にしおりを入れる暇はないので指を挟み、横に置いていた鞄を素早く脇に抱えて座っていた位置から離れたが、突進してくる女は止まれずベンチに突っ込んだ。
いや、ベンチに飛び乗ったが正解か。もし俺がそこに座っていたら、抱きつかれていたということになる、女はそういう体勢だ。
ベンチに誰もいないことに気付くと女はゆっくりと向きを変え、俺を何とも言いようがない表情で見つめてくる。
目がギラリと光ってる。これは、獣の目? 俺は食われるんかい! 冗談じゃない。
「がるるるるるる」
コイツ、人間じゃねぇよ! 威嚇してる? しかも四つん這いっていうか、背中を高くして怒ったネコみたいな体勢だし。
「ふー!!」
ネコだー!!
手は軽く拳を握ってネコ風味。
なんて、悠長に解説してる場合じゃねぇ! ふー! って言った後、俺の方に飛んできたんだから――!
とりあえず、走って逃げるに限る!
だけど背後からすごいスピードで追い上げてくる。
誰でもいいから、助けて、たすけて、タスケテ――!! ドラ○もーん!
「呼んだ?」
――。
今、意識がぶっ飛ぶかと思いました。
いきなり声を掛けてくるし、助かった、と思って立ち止まり、声がした方を向けば……ドラ○もんの着ぐるみスーツを着ている小多朗の姿があった。表情は相変わらずの仏頂面。身長の関係で腹とスネが露出している。ついでに咥えタバコ。
「すまん、寝坊した」
確かに講義が終わった直後、携帯の留守電にメッセージは残したけど。それよりまさか、今着ているものはお前寝巻きか!! そんな格好で急いで来るより、遅れてもいいから着替えて来い!
「にゃー!」
しまった!!
小多朗に気を取られて変な女のことをすっかり忘れてた――!
もうダメだと諦めた時、
「にゃ、にゃにゃ、にゃ」
あれ? 何も起こらない。
恐る恐る後ろを振り返ると、いつ移動したのか、小多朗が座り込んで例の女を手なずけてる?
よく見ると、小多朗の手には『ねこじゃらし』が握られており、女もそれで遊ぶのに夢中になっていた。
人間もネコ化するんか? もう、意味不明だよ。
しばらく遊んだ小多朗は飽きたのか、そのねこじゃらしをよそに放り、女はそれを追って駆け出した。
「本当に、みのんちゃんは変なのに好かれる体質だよね」
それは自分も含んでいるのか、小多朗よ。まぁ、納得できるけど。
そんなことより、今のうちに逃げてしまえ!
何とか無事に部室へ駆け込んだ俺は、そのまま机に突っ伏した。
呼吸が落ち着かない状態でこんな体勢だと却って苦しいのだが、それでも伏せていたかった。
あんな、世にも恐ろしいものを見てしまったのだ。小多朗も含めて。
――しかし、なぜ『ねこじゃらし』?
「うふうふうふうふ、あははははは、やめてくださいよ、小多朗さん、キャーw」
人が恐怖に心を支配されているというのに、ヘンな声を上げるな強固! ヘンな気起こすぞ!
「ねぇ、くすぐったい?」
「あははは、ホントにやめてくださいって」
顔を上げると、強固を『ねこじゃらし』でくすぐっている小多朗、相変わらず真顔。
またまた、どこから出したんだか……。
さりげなく、そんな光景を羨ましそうに見ていた充。小多朗の視界に入ってしまったからさぁ大変。
充に近づいたと思ったらすぐに足を引っ掛けて転がし、仰向け状態にした。
今度はとても楽しそうな表情で充にまたがると、シャツを捲った。
「みっちゃん、恭子と間接くすぐり」
脇腹をこちょこちょ。おへそをこちょこちょ。ちょっと笑えない、ギリギリの場所までこちょこちょ。つーか、俺は位置の関係でその部分が丸見えだ。
「ぶっ、ぐふふ、や、やめろ、あひゃっひゃっひゃっひゃ」
充は仰け反って大笑いしているけど、完全に腰を下ろしてしまった小多朗から逃れられるはずもなく……小多朗が飽きるまでくすぐられ続けていた。――合掌。
次の日、正門で耳とシッポがついているヒョウ柄服の女に追われた。
その次の日、正門でセーラー服の女が突進してきた。超ミニスカだったので、足を上げる度にチラチラ見えるパンツにうっかり見とれて逃げ遅れそうになった。
そのまた次の日はごく標準のブレザーだった。しかし、オーラが尋常ではなかったので見ていないフリをして逃げた。
それから土日を挟み、月曜日。
明らかに大学とは無関係な装いの女に、誰もが見ぬフリをしていた。
なぜ、なぜに巫女さんなんだ。手には白い紙のモサモサがついた棒を持っている。お払いでもするのか。
なんて考えていたら見つかってしまい、講義棟まで全力ダッシュ一本。こんなハードな運動は高校三年の夏以来だ。疾風のスプリンターと呼ばれた俺を、ここまで追い詰めるとは……あの女、ただものではないな。あんな格好のくせに……あなどれん。
より一層、警戒する必要がありそうだ。
またもや次の日。
今日も講義があるのでどうしても大学へ行かなくてはならない。辺りに気を配りながら早足で講義棟を目指すのみ。
たまに後方も確認しながら、遭遇することなく目的地の講義室へ辿り着けた。
だからと言って油断はできない。帰りにまた追われるかもしれないのだから……いや、実は講義室の学生に混じっていたりして……。
急に恐ろしくなり、自分が座る位置より後ろを振り向いてまで確認してみた。
――怪しい格好の女はいない。
この九〇分は安心していられそうだけど、色々と考えすぎて講義の内容はアタマに入ってこなかった。
講義が終わった直後だと棟入り口が混んで逃げ遅れたりするのではないかと考え、すぐに退室せず、辺りを警戒しながらのんびりと玄関に向かった。
そういえば充のやつ、同じ学部なのに全然講義で会わない。ちゃんと受けてるのか? 誘っていかない俺が悪い、なんて八つ当たりされなきゃいいけど……。
と考えていたら講義棟入り口まで来ていた。
――さて、ここからが問題だ。
一度、後方を確認してから足を踏み出した。
見えるものだけでなく聞こえる音にも神経を集中させる。
しかし、全く人がいない状況ではないだけに、他人の会話も気になったりする。
別のことに意識を向けていたので、肩を叩かれてびっくりしてしまった。
――まさか……。
あの怪しげな女が既に俺の背後にいたりするんじゃ……。
心臓がバクバクと大きく鼓動を始める。
考えただけでも恐ろしくなるのに、実際に背後に立たれていたりしたら――。
叩かれて二、三歩目で足は動きを止め、ゆっくりと頭を動かし、後ろに立っている人物を確認した。
――誰? この女。
「こんにちは。少しお話いいですか?」
……逆ナン?
俺が?
誰かと間違えたのではないかと思い、一度辺りを見回してみた。
やっぱり俺か。周りには誰もいなかった。
――さよなら、万年女日照り!
汚名返上だコンチクショウ!
ありがとう、キャンパスライフ!
うはうはでバラ色の大学生活だ!
俺はモテる?
まだまだいける?
もう諦めてたのに……。
ありがとう、青春!
これから、甘酸っぱい日々が――ってちょっと待て。気が早いぞ。
いつの間にか握っていた拳を解き――ここで話すのもアレだし、食堂は人目につくし、喫茶店なんてシャレたところに入れる器は持ってない――ああでもない、こうでもない、と考えたが、結局、自販機でジュースを買い、その辺に座って話をすることにした。
さて、何を話せばいいんだろ?
女の子と二人きりなんて、あれこれそれこれ三年はご無沙汰なもので、どうしたらいいものか……。
心の中であたふたしてたら、先に彼女が口を開いた。
「私、メディア・コンテンツ学部の周防舞子(すおう まいこ)、一年生です」
人気のない構内のベンチに座ってすぐに、笑顔で自己紹介をしてくれた。
そうなると、次に俺が自己紹介をするのは当たり前。
「俺は法学部一年の野田稔」
しかし、次に何を言えばいいのか分かりません。充だったら褒めちぎってメロメロにさせたあげく、お持ち帰りなんだろうな。週に一度は隣の部屋から聞こえるピンク色の声に何度悔しい思いをしてきたことか……。俺より遅かったくせに、経験値ばかり稼ぎやがって……。それに対し、俺はエロ本が増える一方だ。
いくら兄弟であっても俺には女を口説く機能は搭載されていないし、何より人見知りが激しい分、親しくない人との対話は相手から振ってきた話題には答えるけど、自分から話題を振ることはまずない。
彼女ができない根本原因は自分にアリ。
何だか憂鬱になってきた……。
「同い年なんですねー。それにしても、野田さんってカッコイイですよね。思わず声を掛けちゃいました。……キャー、言っちゃったーw」
……カッコイイ? 俺が?
顔を押さえて頭を横に振る周防さんの態度に目もくれず、都合のいい部分だけ心の奥に染み込んで、三年分の乾きを潤した。
自分でも懐かしく思うほど、胸が熱くなるのを感じる。
――も、も、も、も、持って帰る!
……それじゃ充と同じジャマイカ!
もう、ダメだ。溜まりに貯まって堪らない感情が暴発寸前。
「サークルは? どこか所属してるんですか?」
ああ、俺だけ一人、暴走気味。平常通り、通常運転でお願いします。
「捜査一家ってサークルを作って、そこのデカちょ……部長やってる」
「へー、捜査一家ですか……」
その反応、もしや知っているのか?
「聞いたことないですね。今度調べてみよう」
知らねぇのかよ! そんなもんかよ、捜査一家! 所詮、部室で雑談と大騒ぎしかしてねぇよ。何だよ、コンチクショウめ! と心の中で思っても、顔にはお決まりの愛想笑いが出てしまうのは、仕様だけにしょうがない。
「髪、サラサラですよねー。私なんか癖毛であっちこっち向いちゃって困るんですよー。触ってみてもいいですか?」
お、おお? 髪の毛の質に関して誉められたのは初めてかも。
軽く首を縦に振りながら短く返事をすると、彼女の手がそっと俺の髪に触れた。
弄ぶように触る指が、少しくすぐったい。
「いいシャンプーとトリートメント、使ってるんですか?」
「いや、まぁ……そこそこ評判がいいものを……」
「何だか触ってるだけで気持ちいいw」
――!! 気持ちいいのか! それならもっと……やめい!
手で触るのをやめたと思ったら、いきなり耳元にフーっと息を吹きかけられた。
――!! ギャー! 背筋がゾクゾクする。
「うわースゴイ!」
そんなに俺は敏感なのか?
「サラサラすぎて風にもすぐに流されるんですね。メモメモ……」
「……メモ?」
「いえいえ、コッチの話です。気にしないで続けてください」
何を?
どこか話が噛み合っていないような気がするけど、気にしないでおこう。
「正面から強い風が吹いたら、どうなりますか?」
何でそんなことを聞くのだろう、とは思ったが、俺から話を持ちかけるにしても話題がないので答えてあげた。
「オデコ全開になるね」
「でも手グシで元通りですか?」
「うん、まぁ……」
頭を軽く横に振っても戻ります。それはサラサラヘアーの特権であろう。
「いいなー。もしかして、寝癖もつかないとか?」
「……ついても放っておけばだいたい元通りになる」
「くぅー、羨ましいー」
彼女はベンチに座ったままで足踏みをした。
「あ、そうだ。私と比べて頭一つ分ぐらい身長が違うな、って思ったんですけど、どのくらいです?」
今度は身長の話か。ナゼに、と思ってもやはり答える俺がいる。
「一七六ぐらい……かな」
「私と二〇センチ違うのか……背伸びチューはギリギリかなぁ」
――ハッ! 油断してたら不意にキスされちゃうの、俺! 何だかドキドキしてきたぞ。
「体も私好みだし……ギューってしてもいいですか?」
もう、ダメだ。めくるめく官能の世界にご招待。
「減りはしないのでいくらでもどうぞ」
「キャー、嬉しいですぅ〜w」
むぎゅーっと体に抱き付いて来る彼女。フローラルな女の子の匂いが俺を狂わ……さない。どこか冷静な自分がいて、周防さんの体には手を掛けることはなかった。
おかげで上半触られ放題。
その時の彼女の目の輝きよう、どこかで見たような気がするのは気のせいだろうか。
自分が半暴走しかけたせいか、何がなにやらよく分からないまま、彼女は用事を思い出したとかで帰っていった。
「また、お話してくださいね」
と言い残して……。
「みのんちゃんさん……ヒドイわ、ワタシがいるのに……」
そりゃ多少なり浮かれてただろうけど、背が俺より高くて、髪が長くて、無表情なお前を恋人にするような趣味はない。強固のマネをしても無駄だ。第一、強固とはそういう関係ではない。
どこから湧いて出てきたのか、いつから見ていたのか不明だが、髪を強固のように二本に結んだ小多朗が目の前に立っているので、余韻に浸るヒマもなく一気に現実に引き戻された。
何で今日は河童なんだよ……。腹とスネが――以下略。