68・鍋 帰臥
べんべんべんべんべんべんべんべん……はぁはぁ。
ベンツぅぅぅぅぅ!!!!
とにかくベンツ。左ハンのベンツ。でっかいベンツ。白いベンツ。高級なベンツー!!
外国語発音風に、ヴェンッツッ?(くどい)
ヴェンッツッ、ヴェンッツッ、っっ……がふ……舌噛んだ、舌噛んだー!!
つーか、正確な発音なんて知るかー!!
祐紀流ジャパニーズイングリッシュだ。どうだ、参ったか! はっはー。
ということで、桜がちらほら……フライングで咲いてる花がいくつか見られるようになった頃――お父さんは無事に退院し、最後の仕事を終えたということで、お迎えの為に自宅からベンベンで総理官邸だったか、公邸だったか……に行く途中。
運転はこちら、鎌井家の次男坊、直紀さん。拍手。
でもね、高速道路で困るのよ。日本の車は左側の道路を走る右ハンドル仕様な訳でして、道路その他もそれに合わせて作ってある訳で……。
「ああー!! 左ハンドルはあっちだったー!!」
ということで、私が窓から身を乗り出し、パーキングチケットを取る。
いや、違うよ。何だっけ? 高速入る時に取る券の名前って。まぁいいか。これだけ言えば名称が不明でも通じる。
それにしても、私が居なかったらどうするつもりだったんだ?
時間に余裕があるということで、実際は遠回りになるらしいけど、アクアラインとやらを経由して東京の目的地へと向かう。
ん? 木更津市?
やっさいもっさいか! 片瀬の故郷か! タヌキがあるのか?
それは置いといて……。
海の上を走ってるよー!!
キャー、すっごーい。
でも途中からトンネルなんだ……。ずっと海上の橋だと思ってたのに。
いや、もういいから……。
都内に入り、道路の車線の多さ、車の多さに更に驚かされた。
歩道ぐらいなら歩いたことはあるし、何より高校の修学旅行でもこの辺りに来てるから知ってはいたけど、さすがにこんな道は走りたくない。
そして、テレビで見た事のある建物が並ぶ所へ出た。
おお、ナマ国会議事堂! 修学旅行で素通りして以来だ! 今回も素通りですが。
そして直が車を止めた所といえば……警備員が常駐してそうな建物まである、門の前。
警備員と話をしているお父さんとお母さん。
一体、何をしてるんですか?
しばらくしてから車の後部座席に乗り込んだ二人。
「すまんな。ついつい世間話をしてしまって……」
世間話が最後の仕事じゃないですよね? まぁ、最後に挨拶ぐらいはしたいよね。
「さて、帰ったら荷物の整理をせねばならんな」
「まぁ! 帰ってからゆっくり休むと言ってたじゃありませんか!」
「部屋が片付かなければゆっくりもできんだろう」
「……それはそうですけど……」
もう、すっかり元気なお父さん。ついこの前、倒れた人であり、あのキツそうな総理大臣という感じは全くなく、今はもう、ただの頑固オヤジだ。
さすがのお母さんも片瀬の血は炸裂しませんね。ちょっと期待してたのに。
「僕も手伝うから、そんなに心配しなくていいよ」
「そう? でも、無理はしないでくださいね?」
「分かってるよ」
「どこか、寄って帰る所、ある?」
うんうん。これこそ親子の会話だ。一時的だったけど直が失っていたもの。
本当に……良かった。
「そうだ! 今日は直が食事作ってあげれば?」
「え、僕が? またいつもの思いつきでそんなことを……」
「いいじゃないか!」
後ろのお父さんとお母さんの方に向いて更に言葉を続ける。
「すっごく上手いんですよ、料理。私も随分教えてもらいましたよー」
「卵もまともに割れなかったもんね」
今度は直の方を向き、
「な、なにおー!!」
思いっきり反論……したいところだがその通りだ。
後ろで二人は、声を抑えて笑っている。
そして、自宅に到着。
車を降りて家を見上げているお父さん。
自分の家ではあるものの、仕事の関係でほとんど家に居た事はないらしい。
そのせいか、表情は少し嬉しそうに見える。
隣にお母さん、そして直が並ぶ。
「父さん……おかえり」
驚き、直の方を向くお父さん。
「……ああ、ただいま。直紀も、おかえり」
直も一瞬驚いた表情をしたがすぐに緩んだ。とても嬉しそうな顔でお父さんを見つめ……。
「うん、ただいま」
まるで、全てから祝福されているように、暖かく、空も澄んだ色。
柔らかな春風の吹く――そんな日だった。
「箱、これで最後」
「ああ、すまない」
帰って少しの間リビングに居ただけで、すぐに部屋の片付けを始めてしまったお父さん。どうやら、思いついたことは即行動、後回しにはしないタイプの人なのだろう。直もそんな感じじゃないか?
片付けの手伝いをしている私と直。
「あ、祐紀。アレも持ってきて」
と、指で長方形を描く。
アレ? 日記かな? やっぱり持ち主に返さなきゃね。
分かった、と言って、鞄を置いてきた直の部屋に向かう。
さて、どんな会話が展開するのやら……。少し楽しみだ。
日記を持って三階のお父さんの書斎に入り、直に手渡す。
「ありがと」
受け取った直は棚に本を並べているお父さんの側に行き、黙ってそれを差し出した。
「……私の日記か? 読んだのか?」
直はゆっくりと首を縦に振った。
「正月に、母さんが僕に読んで欲しいって、彼女に預けたんだ。だけど怖くて、ずっと読めなかった。父さんが倒れた後、初めて読んだんだ。ここに置いていった携帯のメールも……嬉しかったよ、とても。ありがとう。それから……ごめんね」
お父さんは微笑んで、直の頭をポンポンと軽く叩く。そして、日記帳をあった場所に戻した。
ああ、どんな感動系ドラマよりも感動します。真の親子愛だ。もう、涙出そうだよ……。
「祐紀も……ありがとう」
感涙。
ああもう、直って人は、どうしてこう巧みなのかね?
それに、思ったことをちゃんと言葉にできるのかなぁ。
私……まだ直にありがとうの一言も言ってないのに。
袖で一生懸命目を擦りながら、何度も大袈裟に頷くことしかできないよ……。
コンコン、とドアをノックする音。
戸は開いたままにしてあるはずだし、念のためもう一度目を擦ってからそちらを見ると、そこにはお姉さんの姿があった。
「祐紀さん、お借りしてもよろしくて?」
わわわ、私?!!
二階の奥にある部屋に呼ばれ……机に置いてある紐らしきものを手にしたお姉さん。
……まさか……
『お父様と直紀がここで生活できるように、貴女には死んでいただきますわ!』
とか言わないよね?
シュっと音を立てて伸ばされたそれで、私は締められた。
腹を――腰を――胸を――
更に肩幅を測られ、
「ここ、持っていてくださる?」
「はい!」
首から腰、そして足までの長さを測定される。
「思っていたより大きいですわね。直紀サイズの方が作りやすそうですわ」
「あの……一体何を……」
「わたくし、ファッションデザインをしていますの。これは……お礼みたいなものですわ」
お礼? 何か、服でも特注で作ってくれると言うのか?
「来年まで、髪を伸ばしてくださいな。その方が似合うと思いますから」
「来年?」
きょとんとした顔で私を見つめたかと思ったら、頬に手をあて、ふぅと溜め息を漏らした。
「あら、直紀が勝手に先走っているだけなのかしら? てっきり、大学を卒業したらすぐに結婚するかと思っていましたのに……違いますの?」
「ああ、その話なんですか?!!」
先に言ってよ!
「します。したいです。私もそう考えてます!」
お姉さんの表情は笑顔に変わった。
「そう。良かった。できるだけ、成長なさらないでくださいね?」
「成長?」
もう、伸びてませんけど……。
「お腹周りとか……太らないでって意味ですわ」
現状を維持せよ、ってことですか……。そんな無茶な。
「できるだけ、気を付けます」
……サイズ測定、来年、結婚……ってもしや! ドレスの設計ですか?!!
はわわわ、真部祐紀、びっくりサイズ! 材料費で大赤字ですよー!!
「まぁ。顔を真っ赤にして喜ばないでください」
クスクスと笑うお姉さん。
ブタもおだてりゃ木に登る……プー。
違う! 意味をやっと理解して、急に恥ずかしくなっただけだ!
この私がウエディングドレスだと? 想像できん。
それよりなにより、いつぞや学園祭の時の仮装を思い出してしまった。
……髪を伸ばす? ……まぁ、それなら見れないこともないか。
――今も、直と出逢った頃より伸びたし。
外見や中身はどうにもなりそうにないから、少しでも女らしく見えるかなー、って思って伸ばし始めた。
化粧品、顔に塗られるのかな? 痒くならなきゃいいけど……。
それから、お姉さんと一緒に一階に降り、お茶の準備をして三階に上がった。
結構あったと思っていた箱は、ほとんどが解体されて壁に立てかけてあり、箱の中身、全てが本だったのか、棚は本で埋め尽くされている。
「ご苦労様ですわ。お茶にしましょう」
「ああ、そうだな」
そう言うと、お父さんと直は同時に体を伸ばし始めた。
……うむ、親子だ。
それに気付いた二人は、照れくさそうに笑ってる。
お父さんは書斎の椅子に座り、お姉さんが慣れた手つきお茶を入れ、配る。
「お父さんが直紀と仲良くお片付けなんて……何だか変な気分ですわ」
「……そうだね」
「おいおい二人とも、私を何だと思っているのかね?」
「「家に居ない頑固親父」」
おお、姉弟だ。息がぴったり。
なんだか、ここに居ると私も家に帰りたくなってきたなぁ……。
ここでの生活にも随分慣れた。
お父さんもすっかり元気になり、心配事のなくなった皆も、いい顔をしている。
とは言っても、いつまでもここに居る訳にはいかない。
大学のこともあるので、そろそろ向こうに帰ることにした。
近いうちにそうなるとは分かっていただろうけど、急な決定であるだけに、皆は残念そうな表情を浮かべる……。
「すぐにゴールデンウイークがあるじゃないですか。その時また来ますよー」
と私。しかし、直は……。
「そんなこと言って、今年に入ってから祐紀は一度も実家に帰ってないじゃないか。ゴールデンウイークは祐紀の実家に行く!」
見事に対立。
「よしよし、分かった。私は実家に帰ろう。直はここに帰れば文句ナシ!」
「……何だか、ヤダ」
私と貴方はセット品ですか!
「まぁまぁ、直紀も文句言わないで……」
そうそう。そうだ、お母さん! もっと言ってやって!
「ちゃんと帰ってくるんでしょ?」
おおーい。直球だなぁ。
「でも、祐紀、誕生日が――」
「気にしなくてオッケー。ゴールデンウイーク中じゃないから」
八日ですよ。お忘れなく。
「お金が……」
「そんなこと気にしてるの? 交通費ぐらいこっちで出すわよ」
「こんな言い訳だけじゃ折れないってこと?」
「その通り」
「まぁ、祐紀さんったら、気が合うわね」
……そう言われると、どう返答すればいいのか分からない。
とりあえず、笑顔で返してみた。
ってことは、私、一人で実家に帰れっての?
毎度、直を連れて行ってたのに――連れて行かれていた、と言った方がいいか――一人だったら絶対に何か言われるって。……まぁいいか。やましいことなんて何もない。
「ということで、たまにはパーっと羽根を伸ばそうじゃないか」
「伸ばして何をするの? 僕と居るのがそんなに堅苦しい?」
何もしないって。堅苦しくないって。そうとしか言いようがないだろ。
って思ってはいても――
「違う。誤解してる。日本語ではそう言うのが定番でしょ」
懸命に弁解を始める私が居る。
「うふふふ、仲のよろしい事」
「直紀ったら、祐紀さんにベッタリですわね」
お母さんとお姉さんの間にだけ、ほんわかとした空気が流れていた。
お父さんはといえば……黙って新聞を読んでいるだけで全く介入しない。話も聞いているのか、いないのか……。どこのオヤジも似たようなものだな。
どんなに言い訳してみても、直はすっかりスネちゃまモードだ。
いい歳してスネるなよ……。そこがまたカワイイんだけどね。
そして次の日――
私たちは鎌井家を後にし、アパートへと戻った。
と・こ・ろ・が……。
あれだけの買い物をした直後から二週間近く家を空けていただけに……大変な事が起こってましたとも。
まさに大惨事という言葉にふさわしい、見なかったことにしたくなるような状況が、冷蔵庫内で巻き起こっていた……。
私は勝手に『大惨事・冷蔵庫大戦』と名付けてみた。
桜、咲き乱れ……。
私の目に映るのは、桜吹雪の中で柔らかく微笑む直の姿――。
――また、春が来た。