61・釜 ego〜自尊心
鎌井直紀……直紀――真っ直ぐな、正しい筋道。
両親の込めた名前の意味に沿うことはなく、幾度となく脱線しながら今も走っている。
決して平坦な道ではなかった。
決められた道に従う事などできなかった。
まるで人形のような生活にうんざりしていた。
そこから出られた事に、どれだけ喜んだと思う?
それは一時的なもので、その後の虚しさ、悲しさ、寂しさ。
あれが勘違いだと気付いた時、間違いだったと気付き、どれだけ後悔した?
今更戻れぬその道を、ただ、真っ直ぐに走った。
まだ、先には何も見えないけれど、思い描く未来がその先にあることを信じて、僕は今も走り続けている。
これまでも、これからも、ずっと先まで……。
僕の走る道に終着駅などない。
永遠に夢へと、思い描く未来に向かって走り続ける。
そんな、理想。
――二月
最近、祐紀の様子がおかしい。
あれだけ嫌っていた絢菜と頻繁会っているみたいだし、携帯に電話が掛かると僕の側から離れることがある。まるで僕に聞かれないように。
今まで、そんなことはなかった。
だから返って僕を不安にさせる。
確実に、祐紀は僕に隠し事をしている。
そう、確信している。
証拠なんていらない。
確信どうのこうの、そんなのどうでもいい。
僕の中の何かが、そうさせている。
思い込みであるならその方がいい。
最悪の結果だけは絶対に認めない。
変なところが似てしまったようだ。
決して曲げることの出来ないそんなところが……。
後期試験期間中。
祐紀は何かの試験を受けに大学へ行っている。
部屋には僕一人。
今回ばかりは落とす確率がいつもと違って高い。
そんなこともあって、バイトを休んで、しっかり復習をしてから試験に挑むつもりであり、部屋にこもって勉強に集中していた。余計なものには触れない。
そんな勉強法には昔から慣れていた。
――昔から……。
方程式のような法則にならって解くような問題は説明通りに解いて、歴史など覚えるしか方法のないものはとことん頭に叩き込んだ。
それこそ参考書通りに。参考書をまるまる覚えたと言ってもいいかもしれない。
だから、少し言い方を変えられた問題に、簡単に躓く。
そのせいで失敗したのが小学校受験。
模擬問題と違って当たり前なのに、その時の僕は頭に入っている情報だけが全てで、そこから変換して答えを導き出すということができなかった。何より本番に弱かった。
戸惑った。絶対に合格できると言われていたのに、結果は散々だった。
あの頃は問題と答えだけを覚えて、そこに辿り着くまでの解き方まで考えた事がなかった。
『1+1=2』なのも、当たり前だと思ってた。考え方次第で、漢字『田』になるだなんて、思いもしない。計算式であり、その答えは数字でしかないのだと、単純に、当たり前にしか考えられない。
発想の転換なんて、したこともない。いや、常識に囚われてそういう風に考えられなくなっただけなのかもしれない。
覚えることに関しては何の苦もない。
しかし、それを崩すことができない。
今も昔も、たいして変わっていないということに気付かされる。
料理だって、本当に思い切らないとアレンジなんてできない。
後先を考えすぎな所もある。失敗するかもしれないような、危ない橋は渡らない。始めから挑まない。
分かってはいる。だけど、それを今更、崩すこともできない。
ふと、手が止まって、思考が別の方に行っていることに気付き、何度か頭を振ってから再び勉強に戻った。
――こんな事ばかり考えていたら、本当に落としてしまう……。
こんな事を言っても仕方がないって分かっている。だけど、正月に祐紀が僕の実家に行ったというあの辺りから、僕はおかしくなり始めている。
それでなくても気にしていた事を、余計に意識し始めている。
――ああもう、だから、今は勉強を……。
重要な部分を書き出していたと思っていたノートは、重要そうな単語を書き写しているだけで、全くもって意味がない。全く頭に入っていない。
これじゃ……試験前なのに、ついついアレをナニしてしまうとかと同じじゃないか。教科書に欲情するな。保健体育でもギリギリだ。
……ああ、もう、ダメだ。このままじゃ本当に留年してしまう……。
せっかく見つけた夢が……遠くなる――。
こんなことばかり考えているようなら、勉強はしていないも同然。
うじうじ考えるぐらいなら、どこかで気分転換をした方がマシだ。
それで集中できそうなら勉強を再開して……。
大学の図書館だと知り合いに会ったらそれこそ勉強どころではなくなりそうだし、とりあえず、市立図書館にでも行こう。
ノートなどを適当に詰めた鞄を肩に掛け、携帯、財布をポケットに押し込み鍵を手にした。
図書館には似たような考えの同年代でごった返していて、座る席があるのか、ないのか……。
とりあえず、少しでも頭に入れておけば役に立ちそうな、心理学系の書棚に向かった。
そこで、見たことのある長髪の女の子が資料を手に取りパラパラとめくっていた。
「こんにちは。妹ちゃんも試験勉強?」
とりあえず声を掛けておく。
「あ、鎌井さん、こんにちは。そうです。試験勉強でちょっと……」
まぁ、その方が安全だろうね、キミの場合は特に。同居人が極度のエロだから、勉強どころじゃなさそうだし。
ガシッ、と急にものすごい力で肩を掴まれた。背後からはスゴい殺気が感じられるのは気のせいだろうか?
後ろを向くと、怖い顔したお兄さん。見覚えのある僕の顔に気付き、その表情は和らいだ。
「なんだ、鎌井かよ。てっきりカノンをナンパする命知らずな高校生かと思っちまった」
それより何より、お前まで来てたのか。そういえば、駐車場で似たような車を見たような、見なかったような……。
コイツが居るとなると、勉強どころじゃなくなるような気がしてならない。
「でも丁度よかった。お前なら得意そうじゃん」
「何が?」
「テストのヤマかけるの」
……は?
そういえば、よく祐紀が試験後にヤマが外れたとか言ってギャーギャーとわめいているアレか?
「いや、僕はそういう勉強法はしたことがないけど……」
藤宮の表情がみるみる無になっていく。
「役に立たん、帰れ」
来たばかりだし、気分転換も兼ねて勉強をしに来たというのに、なぜ帰らなきゃならないのだ。
それにお前は落とそうが落とすまいが、今期イッパイで辞めるんだからそう気にする事もないだろ。
僕なんか、かなりキツいっていうのに……。
単位も提出物もノルマ達成してるのに試験に自信が……ない。
藤宮は無視して、書棚に詰まっている本のタイトルを目で追った。
何冊か本を手に持ってはいるのだが、座る場所がない。図書館の隅から隅まで座る場所を求めて歩き回る。
本棚に背中を預けて本を読みふける人も居るぐらい混んでいるだけに、ここでの勉強を諦めようとしていた。
ふとこちらに向かって手招きするのは……先程、帰れと言った藤宮だ。
近づいて気付いたけど、丸テーブルに椅子四脚、なのに二人しか座ってない。ここでやってもいいってこと?
ようやく席に着き安心したのもつかの間――。
「ちょっと、やめてよ……」
そんな妹ちゃんの声に顔を上げると……。
藤宮は勉強する気が一切なく、妹ちゃんの手や顔をつんつんと突付いて遊んでいた。
――お前が帰れよ。つーか、こんな所で何やってんだよ。何よりこの男のことだ。これ以上の行為にエスカレートしないか不安だ。
そんな風景を見ていた僕は手がお留守。視線を戻して再開しようと思ったら、急に携帯が鳴り出し――。
「お前さ、音切るか、電源切っとけよ」
と藤宮に突っ込まれた。
お前に言われたくない!
さりげなく、回りの視線も痛い。
苦笑いを浮かべながら急いで携帯を取り出すとメールだったので、とりあえず適当にボタンを押して鳴り響く着信音を停止させた。
忘れないうちにマナーモードに切り替えてからメールを確認すると祐紀からで、試験が終わって帰っても誰も居ないから、どこにいる? という内容だった。
それに対し、市立図書館で試験勉強中、と打ち、返すと、勉強を再開した。
――が間もなく、携帯がテーブルの上でガタガタと震えだし、
「てめ、ふざけんなよ?」
藤宮はかなり機嫌を損ねたご様子。勉強なんてちっともしていないくせに、一丁前に怒るなよ。
とは思っても一応、スマン、と言ってから、携帯をいじる。
……なに? すぐに来るだと?
やれやれ。部屋でも落ち着かず、図書館でも落ち着かず、更に祐紀がやってくるとは……。
どうなるんだ、僕の勉強は、試験は……。
期間中に全学部の試験がまんべんなく(?)決められてますけど、受けるものは一通り受けてみましたとも。
結果がどうだかまだ分からないけど、何とか無事(?)に試験も終えたし、結果次第で追試験を受けてみたり、それにも落ちたらもう一回三年生やってみましょう、ぐらいで。
そう考えるしかなかった。止まることはしない。もしかしたら、二度経験したことで、何か新しい発見でもできるかもしれないし。そうだ、前向きに行こう。なるようになるさ。
「直、試験どうだった?」
「はははははははははっははは……はぁ……」
とは思っていても、乾いた笑いと溜め息しか出ないよ。
いや、意外と大丈夫かもしれない。学部は違うけどあの謎マッチョズ――いや、剛田さんと細木さんも無事に卒業できたぐらいだ。日々、真面目に努力している僕が落ちるはずがない。そうだ、そうだ。
と勝手に解釈し、試験結果を待つ。
なのに……。
「うわぁぁぁ!!!」
追試験者の学籍番号が貼り出された掲示板前で、声を上げたのは祐紀だった。
心理学部に僕の番号はなく、安心したけど……なぜ祐紀、追試なんだ?
試験期間前後、随分余裕だったくせに……ってほぼ毎度のことか。
「今回は自信あったのにぃぃぃ」
こんな結果になったというのに、キミの過剰な自信はどこから湧いて出てくるんだか……。
それから、半泣きの祐紀に付き合って勉強を見てやったけど……相変わらずメチャクチャなやり方だった。
基礎からやり直した方がいいと、僕的にはそう思う。
そんな試験の事もあって、少しは気にしなくなったものの、あんな事になるだなんてこの時の僕は考えも、予想もしていなかった。