60・鍋 戻らず、進まず
「あれから、直に何か言われた?」
「いえ、全然。それより全く会いませんよ」
「右に同じく」
「避けられているのかしら?」
「そりゃ、直紀さんから見れば、誘拐犯みたいなもんだからな、おれたち」
そんなもんなのか……。
構内でたまたま、片瀬と坂見を発見したので、この前の誘拐事件について、何か聞かれたのではないかと思っていたのだが、二人して直には会っていないとか。
どちらかといえば、責められたりしていない分、安心していたりするのだが。
あの件に関しては、直も一切触れない。そしてあれからイマイチ元気がない。
お父さんの日記も携帯も、ずっとテーブルの上に置かれたまま、触った形跡さえもない。
それでも、気にしているという感じはひしひしと伝わってくる。
――どうして素直になれないんだか……。
今の自分だから言える。
失ったものを取り戻したからこそ、直にも取り戻して欲しいと強く願う。
直の家族も、皆同じ思いなんだから……。
「どうしたらいいんだろ……」
壁にぶち当たって――今に始まったことでもないけど――思わず漏らしてしまう。
「貴女らしくないですね。あれだけの勢いでここまでやっておいて」
「予想以上にハードルが高いんだよ。あの頑固さは私にもどうにもならない」
ふぅ、と溜め息まで漏れる。
完全に打ち止めか……。これ以上、何も出てこない。
行き当たりばったり過ぎたのも問題だと今更ながら思う。
だからと言って計画を立てて行動するような私ではない。
それこそ、私らしい行動で、いつも通り結果。――結論まで辿りつけない。
「……直紀くんがどうするのか、動くまで待つしかなさそうですね」
「やっぱり?」
「そうです。それから……あまり私と一緒に居ると、却って怪しまれますよ」
「……そうだね」
それでは、と控えめに挨拶して片瀬と坂見はこの場を後にした。
さーて、どうしたものか……。
ポケットの携帯を取り出し時間を確認すると、もうすぐおやつの時間だ。
財布も潤ってることだし、フンパツしてちょいとお高いデザートでも食べて、頭を柔らかくしてみるか。
そうと決まればさっさと行こうぜ!
くるりと向きを変え、目指すは第二食堂。お高いメニューばかりでいつも避けてるけど、今日だけは……今日だけだよ? 自分にご褒美をあげちゃう。
ショートケーキ三点盛りをペロリ。
たまには紅茶もいいねぇ。
うーん、お腹もイッパイになったし、後はお昼寝だー!
…………。
……違う。
違うよ、真部祐紀。
問題は山積みだよ、ユウキィィィ!!
よし、家だとうっかり寝そうな気がするから、外でのんびりと考えてみようじゃないか。
――いやー寒いって。
だめだ。これじゃそんなことしか考えられない。
――今日は鍋がいい。寒いから。
そうじゃなくて!
野外はダメ。ならば部室だ。
「違うです! そこに付箋でトーン指定が書いてあるでしょ! それをちゃんと、そこに書いてある指示通りに貼ってください!」
「だから何で俺が……」
「うっかりここに踏み込んでしまったリンダさんが悪いのです! 直さんはちゃんとやってくれたのにー」
「つーか、何でホモ漫画から義兄妹モノになってんだよ」
「古賀は萌えを極めるために日々努力しているのです。そして新たな萌えを見つけ、萌えているのです!」
「訳わかんねーよ。つーか、勝手にネタにすんな!」
「いいから黙ってやってください! もうすぐ試験期間に入っちゃうし、とにかく早く仕上げることが先決なのです! 新シリーズに期待大なんですから! 読者を裏切れないのです!」
「あーちくしょう。部室で昼寝なんて考えるんじゃなかったー」
「黙って手を動かしてください!」
窓側に机を並べ、同人誌の原稿と格闘中な古賀ちゃんとダンナこと藤宮兄。
ここで気付かれたら絶対に手伝わされる。
焼肉バイキング九〇分食べ放題。ビールは別料金だったよな。
焼肉も捨てがたい、しかし、それどころではない。
二人に気付かれないよう、中途半端に踏み込んでいた部室からそっと出た。
やはり、アパートに戻るしかないのか……。
直がバイトに出るまでまだ時間があるし、戻ってるかもしれない。
片瀬が言う通り、普段しないようなこと――あまり家を空けると却って怪しまれる。
ならばさっさと帰りましょう。
しかしながら、部屋には誰も居ない。
そのままバイトに行くのかなぁ。
それだと尚更ヒマなんですけどねぇ……。
考えても結論に達しないことを考えるのはちょっともう面倒。
なるようにしかならないのだから、直が動くまで待つしかない。
第一に、クドクドと考えるのは性に合わない。
だったらとりあえず……。
「寝よう」
普段は使わない自分のベッドに横になり、目を閉じた。
――ふんふんふ〜ん。
何だかいいニオイ。
今日は鍋がいいなぁ。寒かったし……。
大根おろして、一味唐辛子ぶちこんで、もみじおろしはにんじんだけど、鍋にはやっぱり大根がいいんだよ。
やっぱりゆずぽんで頂きたいです。
鶏だんごが入ってたら嬉しいなぁ。
残りは明日、味噌汁にして……いいダシ取れてる。
肉が豚なら、肉がなくなっても豚汁もどきができるじゃないか。
おかずはいらないよー。
味噌汁だけでご飯山盛り三杯はいけちゃうもんねー。
いっただっきまーす。
いや、ちょっと待て。雑炊も捨てがたい。
ご飯は水で洗ってぬめりを取れば、さらさらの雑炊ができるんだよね、直――。
――うはっ!!
かなりリアルな夢にカッと一気に目が覚めた。
ヨダレでまくらがべっちょべちょだよ。なんだか冷たい。
部屋はすでに真っ暗で、何も見えない。
辺りを見回すとドアの隙間から微かに光が漏れている程度。
でも匂いはする。確かに夢と同じ、野菜をたっぷり煮ている匂い。
それに導かれるよう、部屋から出てキッチンへ……。
最近では珍しく、直が台所に立っていた。
「おはよ、直。おかえり。……ごめんね、ご飯作るの忘れて寝てた」
ゆっくりと振り返ってくる直。
朝より? 正月からこっち? ずっと冴えない表情だったけど、今はそうでもないような気がする。
「うん、ただいま。いいよ。たまには作らないとね……。最近サボってるから」
ガスレンジにかけてある鍋を覗くと……おお、愛しの水炊きちゃんw
「これこれ、今日、食べたいと思ってたんだ〜。さすが直!」
「そ、そう?」
愛のパワーだよ。きっとそうだ。
嬉しくて直の頬に何度もチューしたら、大袈裟に照れだしてこれまたカワイイのなんの。
食事中も肉争奪戦。
ほとんどを私が食べてしまったものだから、文句を言いながら野菜を口に運んでいた。
これで直も本調子かなー、と思ったんだけど……。
片付けを終え、お風呂にも入り、寝る前にちょっとテレビでも見ようと思って入った、私の部屋にある例の日記帳と携帯が視界に入ると、大きく溜め息を漏らした。
……全然ダメじゃん。
たまたまやっていたドラマももう終わろうかという所。
もう十一時前。
そんな時間だというのに、急に鳴り出した携帯。
こんな着信音は使っていないが、まず自分のを確認してしまう。
もちろん、私の携帯が鳴っていた訳ではない。
テーブルの上、日記帳の上に置かれているそれが鳴り出したのだ。
し、心霊現象? いや、まさか……。
恐る恐る携帯を覗き込むと、切れてしまった。
ディスプレイも『不在着信あり』に切り替わってしまい、番号は確認できなかった。
目だけで直の顔色を伺うと、眉間にしわを寄せ、目を細め……なんとも言えない表情で携帯を見つめていた。
未読メールに不在着信を加えた携帯のお知らせランプは、二つの色を交互に点滅させはじめた。
そんな顔をしながら、どうにもこうにも動かない直に私の怒りは頂点を極めた。
直が昔使っていたという携帯を手に取り、受信メールの一つを開き、直に向けてやった――が……。
「もう寝る……」
すでにドアの前に居て、そのまま部屋から出て行った。
おのれ、うまく逃げおったな。
先程まで直が座っていた方に勢いよく突き出した手は……携帯を握る力がそれを持つのに不要なほど込められ、小刻みに震えていた。
……バカらしい。私も寝よう。
寝室にて――怒りをぶつけるかのごとく、直の上に思いっきりダイブをキメてみた。