57・鍋 突拍子もなくすごいズレ


 お母さんがこれからしようとしている発言に、全員が注目する。
 開かれた口からは、驚くようなセリフが紡がれた。

「もう、絢菜さんたちを使ったりしないで、と……」

 ……いつの話ですか!
 そんなに真剣な顔をしないでください!
 話がかなりズレてる。誰か、指摘を!!

 誰もが視線を逸らし、料理に手を伸ばし始めた。
 その時……!
「賢!!」
 坂見母から怒ったような声が息子へと飛んだ。
 どさくさに紛れて、ふぐさしをごっそり攫おうとしていた箸が止まり、一枚だけ取っていった。
 坂見は口を尖らせ、ふてくされたような表情だったけど。
 それに気付いてか、片瀬が皿から大量のふぐさしを坂見の受け皿へと入れていく。
「絢菜お嬢様、いけません、そんなことを……」
「いいじゃないですか、今日だけですよ」

 またしてもお嬢様スマイルで解決。

「……直紀も誘拐するしかありませんかね……」
「――あら?」
「投げられますわよ?」
「そこなんだよな。かなり強いからな、直紀は」
「――皆さん?」
「やはり、直紀くん本人が戻ろうとしなければ、うまくいかないと思うんですよね」

 お兄さん、お姉さん、片瀬に至っては、お母さんの発言を無かった事にして、無視して会話を開始している。
「――無視なの? ねぇ、祐紀さん」
 振らないで。話を振らないで。
「ああ、ふぐが口から出たぁぁ、もったいない。北都くん! めーよ! めー」
「めー? あぅんまんまんまー」
「でも食べるの? ヤダなぁ……」

 うふふ、カワイイw えりんぎ……w。

「祐紀さん?」
「ああ、すみません。つい、母子の微笑ましい光景に見とれていました。そうですね、お父さんも相当な頑固者だと聞いたような気がしますので、衝突は仕方ないかと思います」

 全員がぽかーんと、こちらを見ている。正確には、一人だけはやたら落ち着き払っているが。
「さすがに、ここまで発言がちぐはぐだと、話になりませんね」
 今までまともに喋りもしなかった坂見が、ズバリ。
「……まぁ、とりあえず、食事を終えてからゆっくりと話しましょう」
 とお母さんの発言に対してか、はたまた私の発言に対してか、それとも両方に対してか、お兄さんがフォローを入れた。

 テーブルの上の豪華料理が粗方片付いた頃に出てきたのはふぐちり鍋。
 ふぐの身が入ってるのかと思ってかぶりついたら骨ばっかじゃん! うっかり刺さるところだったよ。

 豪華な昼食を終え、全員が同じ部屋のソファーに座る。
 またしても母&姉の間に着席した私……もしかして、好かれてる?
 えりんぎちゃんはソファーの周りを何週も伝い歩き。捕まえようと手を伸ばしたら、さっとハイハイに切り替えて逃げ、離れた場所に座ってこちらをじっと伺う。
 坂見母と芹香さんが食後のコーヒーを持ってくる。
 テーブルに並べ終え、空になったトレーで息子の頭をゴンとイッパツ。
「な、なんだよ!」
「アンタ、絢菜お嬢様に近づきすぎ! もうちょっと離れなさい! 庶民臭が移る」

 あ、付き合ってることはやっぱり言ってないんだ。
 ここで公表したら、やっぱクビなのかな? 母子揃って。
「あの、実は……」
 坂見母に向かって何かを目で訴えている。
 言うのか、片瀬!
 いや、やめろ! せっかく、直の件で話に来ているのに、そんな事を言われたら――!!
「絢菜さん、賢くんとお付き合いしてるんじゃない? 石野くんが居ないのがどうも引っかかってたのよねー」
「あ、やっぱり? わたくしもそんな感じがしていましたわ」
「――あの……」
「片瀬もこれで安泰ね」
「滅相もございません、奥様! この子が片瀬グループに入ったら破産します!」
「うわ、ひでぇ。それが母親の言う言葉か?」
「賢くんは経済学部でしょ? 少々大丈夫ですよ。まぁ、家を出た身で向こうのことはさっぱりだけど」

「お二人の関係はいつからですの?」
「片瀬様にお詫びに行かなくては……」
「――すみませ……」
「絢菜さん、ドレスのデザインはわたくしにお任せくださいな」

 見事に話がこじれたー!!!
 お兄さん、ヘルプ!
 ……ああ、奥さんが持ってきたコーヒーがおいしいだの何だの言ってるよ。ダメだこりゃ。

「ねぇ、祐紀さんは知ってたの?」
 またもお母さんに話を振られる。
 あのさ、その話をしに来たんじゃないんだけど……。
 今日中に帰るって計画なんだから、早く話をまとめなきゃ!
「それは、知ってましたけど、直……紀くんの件は……」
 我が事のように喜び、笑顔だったお母さんの顔から表情が消えた。
「ごめんなさい、すっかり忘れていました」
 ここに居る全員の表情が変わった。――遅いよ。
 これで話題が本来のものに戻ればいいけど、何だか不安になってきていた。
 この人たちも当てになるのか怪しい。

 部屋は静まり返っている。
 大きな壁掛け時計がコツコツと音を発しているだけだ。
 ――ポッポー、ポッポー。
 鳩時計かよ。驚いたじゃないか!
 ……あれ? この状況って何かに似ている。
 昔、流行してハマった……ゲームだ!
 確か、タイトルは……『かまいたちの○』
 ん? 鎌井たち?
 ――プッ。
 さすがにここでは笑えない。
 だから、心の中で一人、笑い転げるようなイメージ映像を頭に思い描くだけに留めた。
「真部さん、いい案でも浮かんだんですか?」
 主人公の名推理で事件解決だ! よーし、がんばるぞー!
「まず、この事件の流れを最初からおさらいしましょう」

 ――ちゃらららちゃらりら♪
 直は胸にシリコンを入れたのが原因で、お父さんに勘当され、家に戻るな、と言われた。
 大学で私と出会い、付き合いだしたけど、過去の話が嫌いだった。
 女の子だと思っていた直は、実は男だったという真実。
 リンダこと藤宮孝幸の登場で、素――男っぽい素振りを見せ始めた。


「藤宮って……」
 口を挟んだのはお母さんだった。その気持ちはよく分かる。
「そうです。直……紀くんが高校の時に殴ったという彼です」
「同じ大学だったの? ……とことん、縁があるみたいね」

 その言い方から、小学校も同じだったということを知っているのだろうか。


 一昨年の夏、サークルの部員旅行の時、ばっさりと髪の毛を切ってしまったこと。


「その日、僕が直紀に小学校と高校の卒業アルバムを届けたんですけど、すっかり雰囲気が変わってて驚きましたよ」
 ホテルにアルバム持ってきたから何かと思えば、お兄さんに持ってきてもらったと直は言った。
「今思えば、あの時から徐々に戻り出していたのかもしれません」
 帰りにカツラだったと判明して驚いたものだ。


 それから、急に同棲しよう、なんて言い出したり、ウチに許可をもらいに行ったり……。
 その途中でお姉さんに会った。


「そうなんです。わたくしもあの時は直紀の雰囲気に驚きましたわ。家を出る前は本当に女の子みたいでしたのに、ちゃんと『僕』って言っていましたもの。とは言っても、例の問いには『勘当されている』でかわされましたけどね。お父さんの話をしようとしたら、大声で『聞きたくない』って言われて驚きましたわ。いつも穏やかで、感情を剥き出しにするような子じゃなかったのに……」
 私も、いきなりお姉さんに遭遇して驚きましたよ。


 その時、初めて直の父親が総理大臣だと知った。
 それから、引越し。


「引越しの前から、アパートに設置した電話が不通……というより、契約が切られていたんです。連絡を取る手段がなくなってしまい、とても不安でしたわ」
 確かにあの頃住んでいた直の部屋には、一般回線の電話が置いてあった。いつぞや、お母さんからの電話で告白がメチャクチャになったけど、なんとかなった、あの頃が懐かしい。
「前から思ってたんですけど、直……紀くんの携帯番号、知らなかったんですか?」
「あれは……ウチで持たせていたものとは違うんです。家を出るときに置いて行ってしまったから、自分で契約したものだと思います」

「あ、そうなんですか。だから調べさせたと……」


 同棲を始めた理由は、家賃、食費などを折半することで出費を抑え、シリコン抜去の手術費用を貯めるためだった。
 それから、バイト時間を増やして、いつも帰るのは午後八時だとか九時が当たり前だった。
 そしてその年、一昨年の十二月、抜去手術のために東京へ行った。


「そうそう、ボクが大晦日に押し掛けたら胸がなくて驚いたんです」
 触りたかったんだっけ? お兄さん。
「それで帰って来なかったんですか?」
 急に不機嫌そうな声を発したのはお兄さんの奥さん。
「あれは、直紀に掃除を手伝わされて遅くなったって言ったじゃないですか!」
「あの時期に家を空けるだなんて、やっぱりいけないと思います」



 確かにあの時、ホテルを予約してるから帰らないようなことを言ってたけど、やはりお兄さん夫婦に何かあったのだろうか。――あ、そうか。えりんぎが生まれるとかなんとかの時期だったね。
 三月、サークルの先輩が卒業ということで、直が会長、私が副会長に就任。
 四月、片瀬絢菜の登場。


「確かに、直紀と連絡が取れなくなってから伏せていました。これまでのことは絢菜さんに色々と調べさせていたような感じですが、直紀が行っている大学に進学し、様子を見てくると、最初に申し出てくれたのは絢菜さんです」
 その辺り、詳しく聞きたいところです。
「オバサマはそこまでしなくてもいいと仰いましたが、あそこまで元気のないオバサマを見てしまったから……どうにかしたいと思ったんです。だからオバサマが悪いわけではないんです。オバサマが仕向けたと思われていたかもしれませんけど、誤解なんです。私が親の反対を押し切ってあの大学に進学を決めたから、ついでに直紀くんの様子も報告して欲しいと、ただそれだけだったんです。ついでなんです。
 進学の件で、確かに父が猛反対しました。オバサマにお願いしてお父様を説得して、坂見と石野も同じ学校に進学し、護衛するという条件で向こうに行けたようなものです」

 懸命に訴える片瀬。でも、忘れてないよ、私は。
「つーか、人ののろけ話、聞くだけ聞いて……」
「オバサマに報告済みです。大学に進学してからの直紀くんの行動を把握するのに丁度良かったですよ。感謝しております」

 先程の様子とは打って変わって、けろりとした顔で淡々と喋りだした。絶対に感謝してない!
「やり方が納得いかない……」


 それから、坂見と石野の登場。


「急に大学に現れたような言い方はやめてください。一応、四月から居ましたから。
 こっちなんか急に進学しろとか言われて就職が決まったのに蹴ったんだから。センターならもっと余裕だったかもしれないけど、一般入試だぞ? さすがに参ったって。それはさておき、おれと石野ってことは、またナンパしたとか言いたいんでしょ?」

「そう、ご名答」
「賢! アンタ!!」

 坂見母、怒りの鉄拳! 食らう前に坂見が弁解を始めた。
「違うって。直紀さんの身の回り調査の対象だったから、声を掛けただけ。でっかい男に邪魔されたけどさ……」
「あれが何度か名前の挙がった藤宮です」



 それから……もう夏の旅行でいいか。


「石野と一緒に絢菜さんに同行。駅の待合室、ホテル到着後は一緒のエレベーターにもなったけど、覚えてる?」
 と当たり前のように言う坂見。あまり……覚えてない。
「直紀がマンションに来ると言ったので、嬉しくてうっかり母に漏らしました」
 その件はお兄さんが犯人でしたね。
「それを絢菜さんに言いました」
 お母さん経由で……
「お兄様のマンションに先回りしました。もちろん、石野と坂見と一緒に。二人には帰るまで外で時間を潰してもらいましたけど」
 片瀬が情報をゲット。
「帰りに直紀さんと真部さんから離れた絢菜さんとココに報告に来たんです」
 だから駅に着く前に用事があるとか言ってどこかに行ったのか。


 九月……そういえば、片瀬がサークルに顔を出さなくなったのもこの頃からだったよな。
 郵便局で片瀬とお供二人を見かけた。片瀬はやたら大きな封筒を投函していた……。


「あれは調査報告書と学園祭の件を少々……」
 後ろめたいのか、視線を逸らしながらそう言った片瀬。
「おれと石野はもちろん護衛として付いていっただけだ」
 だろうね。今だからそう思える。


 十一月、学園祭でお母さんを見かけた。
 しかし、その姿を見て、直は逃げてしまったのだ。


「直紀は気付いていたのですか?」
 わりと冷静だったお母さんが、ここでは声を震わせた。
「私が最初にかた……絢菜さんを見掛けて、イヤそうな声を上げたことで直……紀くんがそっちを向いて……」
 顔色を変え、逃げた。
 探すのに苦労したというか、すっかり忘れて捜査一家を追い回していたのが事実だったりするけど。
「あの時、直は考えたいことがあるから放っといてくれ、みたいなことを言ったんです。……お母さんはなぜ、学園祭に来たんですか?」
 理由は分かっている。だけど、本人の口から聞いて、それを事実として直に言いたい。
「もちろん、直紀に会うためです。でも……今更合わせる顔がないと、急に思って、結局、会いませんでした」
「どうしてですか?」
 お母さんは目を伏せた。そしてゆっくりと瞬きし、重い口を開いた。
「あの子をお父さんから守れなかったこと、出て行く直紀を引きとめることが出来なかったこと……それから、直紀がそんな自分を恨んでいるのではないかという不安です」
 それは、後悔していることなのだろう。
「でもそれって、憶測なんでしょ? どうなるかなんて会ってみなきゃ分からない事でしょ? 会って話せば、どうにかなるかもしれないじゃないですか!」

 よし、こうなったら……。
「お母さん、一緒に行きましょう!」
 これが一番だ! それなら早速、帰ろうじゃないか。
「ごめんなさい。それはできないのです」
 な、な、なんでさー。

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