55・鍋 どっきり大成功?


 ――一体、どこへ向かっているのですか?

 大人四人と運転手一人。
 助手席にお兄さん。後部座席の運転席側から私、片瀬、坂見が座っている。
 何故か全員が無言だ。
 車内に聞こえるのは、無線の聞き取りづらい人の声だけ。
 タクシーの運賃メーターは見たくない程、値を加算し上げている。
 駅ではない、全く逆方向。仕舞いには市外へと出ている。
 行き先を示す道路標識の中に、一応駅の類であるそれが目立ちはじめた。
 飛行機の絵と空港という文字。
 駅は駅でも、空の駅、空港?
 先日の電話では新幹線の出発時刻に――とか言ってたのに。だからすっかりその通りに進行するのだと思っていた。
 片瀬が、体格が違いすぎる、なんて漏らしてたから、てっきり坂見と片瀬が私を捕らえる係りだと思い込んでいた。
 だから、予想とは明らかに違う展開に、演技どころではなく本当に驚いてしまった。
 昨日、お兄さんが来てから作戦は練り直されたのだろう。
 飛行機で向こうに行くのなら、新幹線より早いだろうし。

 ――で、飛行機の運賃っていくらなの?


 それから本当に空港に到着。
 ええっと、キップはどこで買うんですか?
 え? 違うの? 購入済み? いつ? 搭乗手続きって何だよ。
 ええ? 国内でも金属探知機があるの? 海外行きだけかと思ってたのに……。
 そりゃもう、見事に引っかかりましたとも。ピーピー鳴り出して、三人が唖然としてましたとも。
 何が原因だかさっぱり分からなかったけど、無事に乗れたからいいか。一人だけお断りされたらどうしようかと思ったよ。
 結局は、空港に到着してから飛行機に乗るまで、終始驚きっぱなしでしたとも。


「飲み物は無料ですから、ご自由にどうぞ」
 おお、そんなにサービスがいいのか。新幹線だったら割高なアイスクリームでも食ってやろうと思っていたのに。
「だったらビー……」
「こんな所で、朝からお酒ですか?」

 隣の片瀬から軽蔑の眼差し。
「いや、冗談です。じゃ、コンソメスープでも……」
 前に乗ったときの記憶をたぐり寄せ、それがあったことを思い出した。
「一応、ビールなんかは有料ですし、残念ながらこの搭乗機にはお酒はありませんよ」
「ですよね。ははは。だから冗談ですってば」

 飛行機なんて過去に一回、家族で海外旅行に行った時にしか乗ったことないんだから、仕方ないだろ!
 半分は本気だったけど。
 シラフで鎌井家に乗り込む自信がなくなってきたから、一本ぐらい……。


 後ろ髪が引っ張られそうな加速を始め、空に飛び立った、鉄の塊……。
 ちょろっと外を覗き、すぐにカーテンを閉め、目を見開いて真っ直ぐ前を、穴が開く程必死に見つめた。
 ――しまった、私は……高所恐怖症だった……。
 今、乗っている物体は、空を飛んでいる、空を。
 地上から離れているんだ。
 もし、落ちたら、落ちたら……ら……。
 ひひひひぃぃぃぃぃ!!!
 助けて、直――!!
 ここは、念仏でも唱えるべきか、死んだフリでもすべきか……。
 ――ナムアミダブツ……ムニャムニャ……ガクリ。

 ――も、もう、ダメだぁぁぁ!!!

 あまりの恐怖に体がガタガタ震えるし、何より寒い、寒い!
 スッチー、毛布プリーズ。

「この人、本当にアルコール燃料なんじゃないですか?」
「……ものすごく震えていますね。まるであまりの空腹で体が震え出した人みたいだ」

 おおおおお、それどころじゃないんだよ、こっちは。
 話しかけられても、何言われても、返す元気はないからね!
 はうぁぁあぁぁ、早く、早く、とにかく早く着陸してくれー。今すぐにでもしてくれー。



 魂の半分ぐらいが口から抜け、それこそ高い所に昇っていこうとしているとき、ようやく機体は無事に地上へ降りた。
 大きく深呼吸をして、抜け出たものも一緒に吸い込む感じ。
 生き返った……。何とか生還しました、お父さん、お母さん。
 二度とこんなものには乗りません。

 空港からは快速電車で夏にも来たあの駅に辿り着く。
 到着した頃には昼になっていた。
 新幹線の場合だと、もう少し遅くなったのだろうか……。
 駅の建物から出ると、黒い高級車がドーンと止まっていた。
 こういうお車はちょっと怖い。
 しかも、運転席には車に不釣合いな小さな女性。
 あれ? あの人……。
 そして、その存在を気付かせるように、甲高い音を上げる車がもう一台……。
 黒い高級車の後ろには、真っ赤ないつぞや見たフェラーリ?!!
 左ハンドルであるその車。駅側にある運転席の窓から顔を出し退屈そうにこちらを見ていた、ゴージャス姉さん。ものすごい毛皮を身にまとっている。
「お兄様、待ちくたびれましたわ」
 お兄さんは一度、腕時計を見た。
「時間通りだろう」
「わたくし、五分以上は待てませんわ」

 かなりのワガママだ、それは。これが例の片瀬の血というやつか?
 お兄さんは黒い車に近づき、窓をコンコンと叩くと窓が開いた。
「芹香さん、運転変わりましょう」
 そう言われて運転席から出てきたのは、お兄さんの奥さん。直より小さくて、かわいい感じの人だ。
「じゃ、絢菜と坂見くんは、後ろに乗ってください。狭いかもしれませんけど」
 と黒い車の後ろのドアを開けた。
 運転席の後ろには、チャイルドシート。そりゃ狭い。
 ……私は?
「祐紀さん、すみませんが、あちらの赤い方にお願いします」
 え、ええ、えええええ――――!!!
 ゴージャスで、ワガママそうで、怖そうで、眩しい感じの――?!!
「本当は、ボクの車に詰め込もうと思ってたんですけど、優奈に話したら、是非とも貴女に会って話がしたいと言ったので……」
 お姉さんの方を見ると、私の方をじっと見ていて、にこりと笑顔。
 こっちも一応、笑顔で対応。
 視線を戻すと、片瀬なんか真面目な表情で手を振っている。
 何? やっぱり何かあるの?!

 何となく嫌な予感がしながらも、右側の助手席に違和感を感じながら、黙って乗っておくつもりだった。
「直紀は元気ですか?」
 あ、そうだ。直の話ならいくらでもできそうだ。
「元気すぎるぐらい元気ですよ」
「去年……もう一昨年の夏でしたね。貴女と直紀に会ったのは……」
「そうですね……」

 ははは、と乾いた笑いが口から出た。
「もう、胸はないんでしょ?」
「そうです。きょ……一昨年の十二月に取っちゃったんです」
「だったら、戻ってくればいいのに……。お父さんに似て、変に頑固なのよね、直紀は……」

 ふと、お姉さんの様子を横目で伺ってみた。
 運転中なので前を向いているが、少し悲しそうな表情に見えた。
「貴女が連れ戻そうとしているって聞いて、居てもたってもいられなくなったの。わたくしにできることがあったら、何でも言ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
 強力な協力者を味方につけた感じで、益々頑張ろうと思った。
 お姉さん、意外と普通の人じゃん。
「それから……貴女に謝らなくてはいけないことがありまして……」
 え? 何もされてないよ?
「わたくし、貴女を始めて見たとき、直紀のお友達の男性だと思って、盗撮マニアだと勘違いしましたの」
 いや、言わなきゃ私が知ることはなかったのだが……。
「いや、いいです。よく間違われてましたから……」
 『盗撮マニア』ではなく、『男』ということだけね。
 そして再び、乾いた笑いが吐き出された。
「でも……ここまで私を戻してくれたのは、直……紀くんのおかげなんです。だから、何とかしたいんです」
「……そうですわね。直紀が男の子に戻ったのも、貴女のおかげですもの。もう一押しですわ」

 その一押しが今の大問題だ。テコでも動かぬ直をどう動かすか……。


 車で移動を始めて十数分。
 住宅街の中にひときわ目立つ豪邸が姿を見せ始めた。
 どんな家かは知らないけど、それを目指しているように思う。
 お兄さんがあの車であること、お姉さんがこの車であること、ファミリーカーがベンツだとかって言ってたし、家政婦まで居る家なんだから。

 高い壁に囲まれた大きな家。門構え、車庫の作りも明らかに一般を超えている。
 まるで医者とか芸能人の家だ。
 ――こんな家に住んでたんすかー?
 車庫経由でその敷地内に入った私は、立ち尽くして外観をぽかんと見上げていた。
 一、二……三階建ての洋館。
 玄関は観音開きの大きなドア。ウチの玄関の扉より一回りは大きなものが二つも付いている。
 とにかく、テレビで見るホワイトハウスよりスゴイと思った。
 お兄さんがドアの横にあるインターホンを鳴らすと、中年女性らしき声で応答があった。
 しばらくして出てきたのは、直のお母さんではない人。この人が坂見の母だろうか。
「おかえりなさいませ、おぼっちゃま、芹香さん、お嬢様。奥様がお待ちでございます」
「ありがとう。前もって言っておいた通り、お客様も居るから――」
「賢!! アンタは玄関からじゃなくて、裏のお勝手口から入りなさい!」
「はぁ?!」

 おお、いきなり親子の会話だよ。
「いいですよ。賢くんもボクが連れてきたお客様ですから」
「そ、そうですか? そう仰るのでしたら……」

 ぞろぞろと玄関に入る途中、また坂見親子が会話を始めた。
「アンタ、ちゃんと絢菜お嬢様の護衛してるんでしょうね!」
「し……してるって……」

 それ以上のこともね。坂見の表情は妙に強張っていたけど。
「いつも、お世話になっております。無理言って付き合せて申し訳ありません」
 と片瀬が坂見母に挨拶をした。
「いえいえ、そんな……。こんな甲斐性なしですけど、どうぞ、こき使ってやってください」
 坂見母は片瀬に向かって深々と頭を下げる。
「アンタも!」
 坂見の頭を押さえつけて無理矢理頭を下げさせている。
「どれからもよろしく……」
「お願い致します、でしょ!」
「お願い致します……」
「こちらこそw」

 にっこり、営業用お嬢様スマイルだ。
 ってか、私ってば、めっちゃ浮いてる!!
 皆、さりげなくスーツとかお出掛け着なのに、私ってば完全に室内着って感じじゃん!
 場違いにも程がある。
 マジで帰りたい。
 急に不安になって、お兄さんの服を引っ張った。
「あの、私……この格好、マズくないですか?」
「ご心配なく。大丈夫ですよ」

 とお兄様スマイル。イヤミのない、爽やかな笑顔だ。
「まぁ、上がってください」
「お邪魔します……」

 玄関を上がると、皆揃って一番手前の部屋に入る。
 やはり、赤の他人である私は入りづらく、列の後尾についた。
 皆がお母さんに新年のご挨拶。
 私は、丁度隠れられるサイズであるお兄さんの後ろでちっちゃくなってたけど。
 しかし、急に私の横に並び……。
「母さん、この人ですよ。直紀の彼女」
「まままままま、真部祐紀です! いつもお世話になっております。あけましておめでとうございます。はじめまして」

 うわぁぁん、メチャクチャだー。
 お母さんが私の目の前まで来る。ひゃぁ!
「はじめまして、祐紀さん。直紀がいつもお世話になっております。直紀の母、鎌井亜季でございます」
 と深々と頭を下げられた。
「主人はあいにく、仕事の関係で、報道陣を連れて初詣に行っておりますので、しばらく不在でございます」
 それが総理大臣の元旦のお仕事ですものね。よくご存知であります。……? あれ?
 いや、声にしなくて良かった。バカだってバレるところだったよ。まぁ、代わりに口がパクパクしてたけど。
「話は正臣から聞いております。……本当に誘拐してくるとは思いもしませんでしたけど」
「え??」

 あの、どういう話の流れなんですか?
「母さん、ボクの話、ちゃんと聞いていたのですか?」
「誘拐計画でしょ? 聞いてたわよ」
「彼女の……いや、発案は確かにボクですけど、ウチで話がしたいということで、直紀から怪しまれずにアパートを出る口実ですよ」
「あら? そうだったの? 本当に誘拐してきたのかと思ってたわ」

 これか? 片瀬の血というのは……。さっき、お姉さんも急に変な事を言い出したし。
「まぁ、まずはお食事でもしましょう。時間も丁度いいですし」
 あの、ココはどのぐらいの広さがあるんですか?
 お兄さんの後ろに隠れたり、お母さんが近づいてきたりで今、初めてこの部屋を見渡した。
 玄関に面した窓側にコの字に並んだソファー、部屋の中央部に大きな食卓テーブル、その奥にキッチンまである。リビング、ダイニング、キッチンの三点盛りだ。

 坂見母とお兄さんの奥さん――芹香さんが、テーブルへ次々と料理を並べていく。
 最初に来たのは、大きなお皿が三枚。皿に描かれた模様が透けて見える程、薄く、丁寧に並べられた、刺身。……まさかこれは……。
 内臓に毒を持ってる、風船みたいに膨らむ魚、『河豚』と書いてふぐ? それが大皿で三皿も?
 毎年、こんな感じですか。スゴイよ。庶民の私には驚くことしかできませんよ。でも、一度は食べてみたいと思ってたんだよねー。どんな高級珍味なんだろうか。
 全ての料理が並び、芹香さんがグラスにお酒を注いでいる。
「祐紀さんはワインとビール、どちらがいいですか?」
「ビールでお願いしたいです」

 ワインの味など知らん。とにかくビールが一番!
 未成年者の片瀬と坂見はジュース。鎌井家の大人はワイン。芹香さんと私だけビール。
 でもさ……この席順、かなり息苦しい。
 左手側にお母さん、右手側にお姉さん。みごとに鎌井家の女性に捕まってしまった。

「今年もよろしくお願いします」
 とお兄さんが乾杯の音頭を取り、一気に飲み干す勢いだったが、場所が場所なだけに、一口、二口ぐらいに留めた。
 ふぐの刺身を、震える手で一枚、また一枚と丁寧に口に運んでいたのだが、隣から伸びてきた箸の動きに、目玉が飛び出る程驚いた。
 ブルドーザーのごとく、ごっそり、一度で十枚以上は攫っていった。
 おおおおお、しかも、あっという間にぺろり……。
 一枚ずつ味わうのは貧乏人だけか? やっぱり味がよく分からないんだけど……。
 ちょっとマネして、それでも控えめに五枚ぐらいに抑えて、口に運んでみたけど……。
 ――個人的には、鯛の方が……。
 庶民だから、きっと味がわからないんだよ。そうだ、そうだ。

「祐紀さん、どうやって直紀を連れ戻すおつもりですか?」
 とお母さんに尋ねられた。とりあえず、口の中のものを飲み込みその件の話を始めた。
「そうしたいとは思っているのですが、けっこう頑固なところがあるのでどう動かそうかと考え中なんです。お母さんへの挨拶がてら、その辺の話ができればと思って……」
「ボクも会いに行く度に帰れとは言ってるんですけどね、勘当されている、の一点張りですよ」
「そうそう。わたくしも一昨年の夏に会った時、同じことを言われましたわ」

 お兄さんとお姉さんも話に参加してくる。
「でも、その話をすると、決まって悲しそうな顔をする。だから……本当は帰りたいんだと思うよ」
「私もそう思います」

 片瀬も口を挟んだ。
「私も説得しようと努力したんですけど、気軽に戻れるような身じゃない、とかってカッコイイこと言われました。そうは言っても、やはり気にしているみたいで、確かに悲しそうな顔をしていましたね……」

 これだけでも十分だろう。直がここに帰りたいことに間違いは無い。
 だからこそ、どう動かす?
 無理に連れてくる事はまず無理だ。
 だったら勘当の撤回?
 それは違う気がする。
 他に、方法なんてあるのだろうか……。

「学園祭の後、何度か直紀の携帯に電話を掛けたんです」

 え? なにそれ。初耳。
 そういえば、無言電話が何とかって話が十一月頃にあったような……。
「もしかして、無言電話の犯人って、お母さんだったんですか?」
「ええ、最後の電話の時、ようやく口を開いてくれました。確かにあの子は、絞り出すような声で、言ったんです……」

 全員がお母さんに注目し、私は唾を飲み込んだ。

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