54・釜 不安〜とまどい
いつもの朝だと思っていた。
違うところは、新年というだけで、今年最初の朝だったぐらい。
なのに、アレは一体なんだ!
――ピンポーン。
正月早々、朝から誰かが訪ねて来た。
昨日、そのまま寝た僕は裸のままだったので、
「祐紀、出て。僕、さすがに出られない」
丁度、服を着ていた祐紀に出てもらうのが妥当だと思った。
だるそうに布団から出た祐紀を見送り、常識外れの人物だった場合の対処として僕は布団の中に潜り込んだ。
――が、玄関から聞こえてきた声に思わず跳ね起きた。
「真部祐紀だな。一緒に来てもらおう!」
「は、はぁ?!!」
何? 警察か何か?
ドラマなんかである、警察手帳とか逮捕状を突きつけて言うような、そんな口調。
だけど、聞き覚えのある声なんだけど?
なんて考えていたら、祐紀の悲鳴が!
「ぎゃー!! 直、直! たすけてー!!」
うっかりそのまま布団から飛び出して行きそうになり、ピタリと止まって視線を下に向け、改めて確認。
――さすがにコレはマズい。
いくら相手が兄でもこれだけはマズい。絶対にマズい。男として当たり前でもマズい。
だったら何かで隠してでも……。
いちいち服なんか着てられない。もつれて転ぶのが容易に想像できる。
だったら毛布だ。
だけど、この毛布、ダブル用だから大きいし、重いし……。
毛布だけを引き抜こうと、思いっきり引っ張り回し、上に乗っている掛け布団を払いのけ、体の前に回して部屋から飛び出すと……玄関に見覚えのある容姿の女の子が!
――!! あ、絢菜?!!
それに坂見まで、なんて格好なんだお前たちは……。
そんな事より自分の格好の方がどうかと思うけどね。揃いも揃って何で黒スーツにサングラスなの?
案の定、絢菜は顔を覆い、向きを一八〇度変えた。
「きゃー、何、直紀くん、その格好……」
そんな格好しているキミに言われたくない! と思いながらも必死に毛布をたぐり寄せて体の露出している部分を隠した。
「真部祐紀は貰っていくぞ、直紀! ふははははは」
怪しげな捨てゼリフと共に祐紀を肩に担ぎ上げ、玄関の前から姿を消した。
そうはさせてたまるか!
重い毛布を引きずって玄関から飛び出したのは良かったのだが、うっかり毛布を踏んでしまいバランスを崩した。
毛布から手を離せば体勢を立て直す自信はあった。
だけど、全裸なだけにこんな所でそんな事はできなかった。
だから手を突くことも出来なかった。
それでも何とか、鼻をぶつけることだけは回避したかったので、顎を引き、額に強い衝撃が走ることを予測した。
見事に額からコンクリートに正面衝突。
昔から石頭だと言われ続けてきたけど、さすがにこれは痛い。おでこ痛い、痛い、痛い。あまりの痛さに涙が滲み出た。
痛いだなんて思ってる場合じゃない。どうにも体を起こせない状態だったので、顔だけを起こし、四人の姿を追った。もう、階段の近くまで行っている。
とにかく、叫ばずにはいられなかった。
「兄さん、どういうつもりだ! 祐紀! 祐紀!!」
そのまま姿が見えなくなる。
階段を降りる音だけが響き、それも小さくなっていく。
何だよ一体……。
っていうか、背中寒い……。
背後は丸出し。
すっごくかっこ悪い。
ここにそのまま伏せていたい気分だったがそういう訳にもいかない。
何しろ、全裸だから。
体を起こしてから毛布を抱き込み、辺りを見回して誰も居ない事を確認。
辺りに気を配りながら後退して部屋に入り、ドアを閉めるのと同時に溜め息が漏れた。
黒スーツにサングラスの三人組。
どう見ても、僕の兄、イトコの絢菜、その彼氏である坂見以外の誰でもなく、バレバレだったんだけど。
何が目的で、朝っぱらから押し掛けてきて祐紀を連れ去ったのだろうか。
部屋に戻って服に手を通しながら、携帯から電話を掛けていた。
しかし、祐紀の携帯は部屋に置かれたまま、犯人の三人に至っては揃いも揃って電源が切れている。
どう考えても三人の計画的犯行としか思えない。
思考は悪い方へ、悪い方へと突き進むばかり。
――もしかして、ロリコンだと思っていた兄さんは、実は僕と同じ好みだったとか……。
それはないとは言い切れない節がある。僕が昔付き合っていた彼女――別に付き合おうって言われたから付き合ってただけで、恋愛対象だったわけでもないが――兄さんの奥さんがその子の姉であるということ。
はっきり言って、兄さんの奥さんと祐紀は全てにおいて正反対だと思っている。
だからこそ、兄さんの行動が、好みが……ああ、今頃、あんなことやこんなことをされていないだろうか……。
祐紀も顔が僕に似ているからって心も体も許して……はぁ、僕はもうダメだぁ。
兄さんは背も高いし、高収入みたいだし、包容力もありそうだし、話術が巧みだし、どれかと言えば、歩いているだけで女性をメロメロにしそうな感じだし……。
それに比べて僕は……最近になってまた伸び出したとは言っても一六〇センチちょろり、大学生、収入はバイトのみで生活費でいっぱいいっぱい。何だか女の子みたいな顔立ち、力自慢の……元オカマ。ダメだ、僕の負けだ。
一通り服を着るとベッドに腰を下ろし、頭を抱えた。
マイナス思考は止まることを知らず、自分の胸にぽっかりと大穴まで開け、その中をぴゅるぴゅると吹き抜ける風……そんな気分だった。
ホテルで一夜を過ごしたけど、何者か(ドラマ風にヤクザとか?)に女を連れて行かれた男みたいだったな、僕……。
次からは眠くても、余韻に浸りたくても、下だけでも穿いて寝よう、と心に誓った。
あれ? 兄さんの浮気になぜ絢菜と坂見が出てくるんだ?
あの二人は付き合っているし、根が真面目だから浮気の手助けなんてするだろうか。
いや、しないはずだ。
兄さんの浮気ではなく別の理由……三人の共通点はなんだろう。
――兄さんは僕の兄であり、奥さんも子供もいる。
――絢菜はイトコ。僕の母と絢菜のお父さんが姉弟だ。
――坂見は僕の実家で働いている家政婦さんの息子ではあるが、家に居た頃も会った事はない。
誰もが『鎌井家』の関係者であることは明らかだ。
まさか、また母さんが?
――あんな手紙を寄こしておいて、まだそんなことをするのか!
絢菜は母が寂しそうだったから協力したという。
あの件は母さんが仕向けたことではないような言い方をしていたのに、母さんの手紙には、全て自分がそうさせたとあった。
よく考えてみればつじつまが合わない。
本当は庇い庇われしているだけじゃないのか?
頭にカッと血が昇り、文句でも言ってやろうかと携帯を手にして番号を押していく。
発信ボタンを押す直前で、気付いた。
――ここで乗り込んでいけば、向こうの都合通りってことか……。
発信ボタンとは反対側にあるパワーボタンを一度押すと、ディスプレイが待ち受け時の画面に変わった。それと同時に、再び頭を抱え込む。
――目的はどうであれ、僕がここから動く訳にはいかない。
どんな理由であっても、あの家に戻る訳にはいかない。
我慢しなきゃ……。
いくらなんでも、祐紀の身に危険が迫ることはないはず。
あんなことはしたけど、兄さんだけは信頼している。
手荒なことはされないだろう。
祐紀だってそこまでバカじゃない。
……はずだ。
いや、何だか自信がなくなってきた――。
アレもレア級バカな面がある。
頭を抱えたままの体勢から更に背中を丸め、頭の位置を低くした。
握ったままの携帯を閉じてベッドに放ると、操作をせず開いて手に持っている時間が十分以上だったのか、携帯からは電源をオンにした時に流れる効果音が鳴っていた。
どこまでが本当で、どこが嘘なのか分からない。
でも、祐紀が兄さんたちに攫われ、どこかに連れて行かれてしまったのは、紛れも無い真実だ。