52・鍋 かんがえ


 片瀬絢菜が絡んだ一連の騒ぎは、背後に『鎌井直紀の母』の存在があった。
 音信不通の息子を心配してやった事ではあるものの、少々度が過ぎるのではないかと思う。
 あれだけ嫌がらせばかりしていた片瀬も、私に対する態度が一八〇度変化。片瀬との衝突はなくなり、今では良き先輩、後輩関係。
 とは言ってもなかなか切り替えが効かず、常時、構えっぱなしの私、真部祐紀。

 彼女――片瀬絢菜――は私が知らない部分をたくさん知っている。
 昔の直のこと、家の事情、直にとって最大の障害――父親の存在が直にとってどんなものなのか……。


 遠目からだけど、一度だけ見た直のお母さん。
 あの時、少し疲れたような表情に見えた。
 片瀬たちにあそこまでさせた、お母さん。それだけ直を心配していたということ。
 父親に勘当されて家を出た息子を、やり方は過剰ではあったものの一人影から見守ってきた人。
 それだけ、直を大事に思っているということ。


 私も前は実家に戻りたくなかった。
 理由は、過去の過ち。女である事を捨てたくなるような現実。あの頃の私にはそれを受け入れることができなかった。それ故に、真実から目を背け、家族――兄妹の間に溝を作り、友人関係までも壊し、結局は逃げ出した。
 そして、直と出会い、受け入れ、取り戻した。
 今の自分が自分であること、それは鎌井直紀という存在が、私を本来あるべき姿に戻してくれたと言っても過言ではないはず。
 それは、直にとっても同じことだと思ってる。
 私と直は正反対ではあるが、どこか似ている……。

 直はまだ、全てを取り戻してはいない。
 今度は、私が――。




「私、正月あたりに直の実家に行きたいんだけど」
 目の前の人物は首を傾げるばかりで、なんのことやらさっぱり、な表情。
「順を追って話をしませんか? 飛ばしすぎです。大体、何をしにいくつもりなんですか?」
 仕舞いには半分呆れたような表情の片瀬。
「それはもちろん、直の話をしに行くに決まってるでしょうが。いきなり結婚させてくださいなんて言うか!」
「貴女なら言いそうですよ、十分に。まぁ、その辺りは向こうに報告してありますから、今更でもありますけど」

 なんてこった。片瀬に言っちゃった、こっちの発言は向こうに全部筒抜けかよ。
「それなら話は早いでしょ。尚更、挨拶に行かなきゃよ」
「……総理公邸……いや、貴女なら総理官邸でも議事堂にでも乗り込んで行きそうな勢いですものね」
「……警備員か警察かに捕まってニュースで放映されて全国デビューか? 冗談やめてよ」
「冗談ではなく、そうしそうだと言っているのです。今までの調査で、貴女の行動は度が過ぎているという分析結果があります」

 一体何の、どういう分析結果だ。この私を何だと思っているのだ。研究所のモルモットじゃないっての。
「直紀くんのお母様は私の父の姉。片瀬の長女であることをお忘れなく、ご理解ください」
「……元・お嬢様ってこと? 一般市民、それでなくてもガサツっぽい私では話にならないとか言わないよね?」
「……そうではなくて……」
「なくて?」

 片瀬はしばらく考え込む。額を掻き、抑えた。
「自分も含まれるような言い方になるので言いたくないのですが、片瀬一族は……」
「は?」
「かなりの変人です」
「確かに! ズバリ的中!」
「私のどこが変人なのですか! いい加減な事を言うのもいい加減にしてください! 冗談は貴女の顔だけで十分です!」
「おうおう、私の顔のどこが冗談なんだよ!」
「表情、言動、行動、発言、全てが私には理解できません!」
「私の存在が冗談だとでも言いたいのか!」
「直紀くんだって、あんな、あんなこと……きっと、貴女のせいです!」

 顔を真っ赤にしてそんなに必死に言わなくても……さすがの私も傷つくよ。
「下事情を平気で言うだなんて、とても信じられません」
 それはそれは、随分前の話ですね。今更言うなよ。
 それを今頃になって掘り返したって事は……。
「あら? あらら? あらららら? あら〜?」
「なななん、ですか! む!」

 鼻の頭をぐり、ぐりぐり。人差し指で何かを確かめるように押し付けた。
 いつぞやリンダこと藤宮、今は林田孝幸にやられたのを思い出し、片瀬にそれをやってみたのだ。
「ロスト・バージン、グッバイ・マイ処女」
「へへへへへ、変な事言わないで下さい! こんな所で!!」

 ここは大学近くの喫茶店。昼の時間を外しているだけに人はまばらだが、居ない訳ではない。
 さすがの私も生粋のお嬢様相手に本気でそんな事が言えるか! ってことで、これは……。
「冗談だよ、バカ」
「じじじじじ、冗談でも言って良い事と悪い事があります! だから私は理解できないと言っているのです!」

 あー、そういえば、ダンナは曖昧だと言っていたよな、アレ。
 急に不安になり、片瀬に顔を近づけ、小声で言った。
「冗談じゃなかったらゴメン……」
 片瀬はものすごい形相で、少し大きめの声で言い放った。
「だから私は貴女の事が理解できないんです! 何だかもう、信じられないような事ばかりで、だから直紀くんが下……」
 オマエがソレをリピートしてどうするよ。


 って事で、結局話がこじれてしまい、直の実家がどこだか分からないままだし、片瀬は狂ったし。……片瀬一族が変人か……。なるほど納得。
 納得したら、それが直にも半分入ってるって事だよね。はっはっは。それはないと思う。きっとオヤジさんの血が濃いんだと思うな。今のところは。
 それに比べたら……直の兄さんってちょっとアレだよね。お姉さんとはちょろっと会っただけで会話はしてないから分からないけど。
 片瀬との話はまた次回にして……今度こそちゃんと本筋だけ話そうと思う。
 この歳になるとどうしても……ねぇ……。ツッコミだすと止まらないんだよね。話ズレまくり。
 とりあえずは、直に内緒で事を進めたいので、黙っておくように釘を刺しておいた。


 直の誕生日も過ぎ、クリスマスも過ぎ……今年も残り数日となった。
 今年は早めに、こまめに各所の掃除をしていたので、大晦日に焦って大掃除をする必要はなさそうだ。
 去年は直のお兄さんが突然やってきて……。


「お正月、やっぱり実家に行くんでしょ?」
 ぎーくー。
 直が言うのは私の実家の話であろう。しかしながら、私の計画では直の実家へ行くこと。
 バレたのではないかと一瞬ドキリとした。
「んー、考え中?」
「……夏休み、結婚式があったから一度は帰ってるけど、まともに帰ってないでしょ。やっぱり帰らなきゃ……」

 いや、直にそんなこと言われたくない、と思った。
 喉の奥まで出かかっている。口を開いたら言ってしまいそうだ。
 ――直は、実家に戻らないの? って。
 答えが『ノー』であること、その話になるといつも決まって『勘当されてるから』と言うことを容易に想像できる。
 一度決めた答え、決心を曲げない。何か、きっかけを作らなければ、それこそテコでも動かないだろう。
 問題は、どんなきっかけを与えるか……。
 お父さんとお母さんが会いたがってる、だけじゃダメだ。もっと、大きな、何か。
 どこまでも頑固な直。
 その扱いに慣れているのは、やはりお兄さんか、お姉さんか。
 協力を求めるならその辺りになってくるだろう。しかし、姉さんはちょっと……怖そうだし、ゴージャスだし、話が噛み合わなくて田舎者だとののしられそうで怖い、怖い、怖い。
 巧みな話術で直をたじたじにさせる、お兄さんに一票。
 まずは、携帯番号ゲットから始めましょう。変な意味ではなくて。
「ちょっと、出掛けてくる」
「あ、また一人で! 最近どこに行ってるの!」
「女の子のヒミツ」

 ……不快な表情の直。最近、一人でのお出掛けが目立つ、とでも文句を言いそうだ。
「別に浮気なんてしてないよ」
「当たり前だ!」

 おお、怖い。そんなに怒鳴るなよ。
「今後の方針を決める大事な会議を内密に進めているので、大変申し訳ないが、出掛けてくる」
「何を内密に進めてるのか知らないけど、納得いかない」

 しまった、内密なんて言ったら益々怪しいじゃないか。
「今晩、サービスするから……」
「そんなことで誤魔化されないよ」

 私のセリフに表情、態度が悪化傾向。
「……しょうがないな……」
 ふと、自分的に悲しそうな顔をして目を伏せてみる。口元が引きつらないよう口を開いて、
「結婚式の準備」
 大嘘を吐く。これ、リンダ式嘘のつき方。
 相手に思い込ませるには、自分がそうだと思い込むことが大事。とか言ってたと思う。
 持つべきものは、風変わりな友達だ。
「だから……今のは聞かなかったことにして」
「そうだったの? ごめん……」

 でも、直の反応に笑いがこみ上げてきそうで、表情を固くし、奥歯を噛み締め必死に耐えた。
「ごめんね、直!」
 色んな意味で。
 何とか脱出成功です。
 早急に話をつけねば、毎度こんなことをしている訳にもいかない。

 駐輪場まで降りると片瀬の携帯に電話し、今からヤツのアパートで会議開催が決定。
 自転車に跨り、全速力で向かった。

 いや、ここは確かに他人の目を気にせず話が出来る。
 でも、そこ! 熱い。
 お邪魔しました。
 と反転して出て行きたいところだが、せっかく来たので我慢。
 以前よりも増して、ラブラブなこのお二方、片瀬と坂見。
 若いっていいねぇ。二歳しか違わないけど、まだ十代ってだけでオーラが違って見える。
「順を追って話してくださいね、ちゃんと」
 そりゃ毎度、本題をズバリ申すからな。
「ぶっちゃけ、これ以上一人で出歩くのは無理。休み中だからかなり無理があることが発覚しました」
「……結構、縛るタイプなのね、直紀くん」
「そこで、本日は話をまとめたいと思って、今年最後の会議を……」
「会議って……」
「まずは、正月早々、鎌井家に乗り込む件ですが……」
「冗談ではないのですね」
「当たり前だ! 協力者として、直のお兄さんと連絡が取りたい」
「巻き込むつもりなんですね?」
「巻き込むだなんて横暴な!」
「貴女が、横暴なんですよ」

 呆れた表情で、ふぅ、と溜め息を漏らす。
 やはり、私とは意見が合わない。
「まず、正月といえば、鎌井家では皆が集まって会食をされるのです。私もよく呼ばれますが……」
「それ、いいね。皆が集まってるんだったら、いい案が出そうじゃん」
「……全員を巻き込むつもりですか……」
「坂見のお母さんって、確か直ん家の家政婦だったよね? 会いに行くついでにさぁ……」
「おれも?」
「賢まで巻き込むつもりですか?」
「協力者は多い方がいい。だから、お兄さんと連絡が取りたい」

 渋々といった感じで携帯を手にする片瀬。メモリから番号を呼び出し、電話を耳に当てた。どうやら掛けてくれたようだ。
「あ、お兄さんですか? 絢菜です。実は……真部祐紀に脅されて、電話しました」
「誰が脅したんだよ!」

 思わず大きな声で突っ込む。
「かなり横暴な事を言うと思いますから、大笑いしてやってください。代わりますね」
 携帯を私に差し出してくる。
「どうもこんにちは。今、紹介された通り、真部祐紀です。実は、直を実家に連れ戻そうと、直に黙って奮闘中なんですが、是非とも協力を要請します」
 ……あれ? 何だか文法が変じゃないかな?
『無茶をしますね、貴女は……』
「その前に、直のお母さんにご挨拶に伺いたいところなんですが、正月にでも乗り込んで……いや、行きたいと思っているのですが、片瀬に許可をもらってもどうかと思うし、お兄さんの許可を……」
『正月ですか? それはまた急ですね。ボクも正月には実家に戻るつもりだったので、ご一緒しても構いませんけど、直紀は……』

 しまった、一番の難関を忘れていた!
「もちろん、私一人で、内緒で行くつもりですけど、どうやって気付かれずに行くかが問題でして……」
 急に先が真っ暗になったような気分だ。
『……無茶して日帰りしてみますか? できなくもないですよ』
 日帰り……荷物を持たずに、怪しまれずに出るには向いている。だけど、帰った後の直が……。
「後々、直からどれだけ怒られるかが怖いです」
『じゃ、誘拐しましょうか』
「誘拐?」


 そんなことを淡々とした口調で言うお兄さん。
 私がしようと思っていたことは、大掛かりで大胆な計画になりそうだ。

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