47・釜 切っても切れないもの
「今回、おれ達がここに送られた第一の原因は、直紀さん、貴方です」
……あ? 僕なの?
「勝手に引越しして、勝手に電話を解約したものだから、連絡は取れないし、どこに居るか分からない。だから、代わりに様子を見に来た。」
確かに、引っ越す前は頻繁に母から電話があった。母以外から電話が掛かる事はなかったので、ほとんど留守電だったけど。携帯の番号は教えていないので掛かってくる事はない。
「確かに最初はそれだけだったけど、同棲してるとか向こうに伝わった時、本人と身の周り調査に切り替わった。本人――直紀さんの現在の状況、彼女――真部祐紀の事、学校、サークル、今、住んでいる場所まで、おれ達で調べられる事は全部調べ、向こう――奥様に報告してあります」
「ちょっと待て! それって……」
祐紀が慌てて口を挟んだ。
「もちろん、同棲していることだけではなく、真部さんの事もこちらで調べた範囲、報告してあります」
急にうっとりとした表情になった祐紀は……何だかイヤな予感。
「ご挨拶に行かなきゃ……w」
ちょっと待て、はこっちのセリフだ! 何を考えてるんだ、祐紀!
「僕はともかく、祐紀は向こうに何て報告したんだ?」
人づての情報ほど、メチャクチャに脚色されているものだ。
「……怒りませんか?」
「時と場合と状況にもよる」
「……身長170センチぐらい。男勝りで、どちらかと言えば、直紀さんの方が上品で女らしい。酒癖が悪い。庶民。商学部。ボランティアサークルの副会長。外見については、同封の写真を参照……」
「もうそろそろ、黙った方がいいかも」
半分キレたような表情で、どこから出してきたのか、親指と人差し指でタバコをつまみ、咥え、吸い、ぶはーと煙を吐き出す。口から出てきた吹き出しには、やってらんねぇよ、と書いてある……。
最近、ちょろっと読んだ漫画で表現するとそんな感じだろう。
実際には、獲物を狙う肉食動物のような顔をして、今にも噛み付きそうだ。
「僕の携帯番号とかまで漏れてないよね?」
「残念ながら、絢菜さんがボランティアサークルで入手した、部員名簿から……」
祐紀の番号と共に漏れたと。
もしかして、あの無言電話は母さんか?
「ご注文は?」
「ふへ?!!」
いきなり話しかけてきた、店員のお姉さんに驚いてしまった。
誰だよ、呼び出しボタンを押したヤツは!
「生ビール、中で」
さっきので怒ったらしく、祐紀は酒に逃げた。
今日のキミは、和○アキコに見えるよ……。
「チョコレートパフェ!」
会話に入る気がない石野は、かわいい声色でそんなものを注文した。
「……じゃぁフライドポテト」
と、僕も何となく注文してしまった。
まだ外は明るいというのに、大学生――しかも女がビールをかっ食らい、童顔であっても十九歳の男がパフェを突付きながらにんまり。
他人のフリをしたくても同じテーブル。僕と同じ心境なのか、坂見も恥ずかしそうだった。
「で、どこまで話したっけ?」
「……ええっと、確か携帯番号ですね」
そうだったね。すっかり話を折られてしまったよ。
「あとは……学園祭。あの時、僕の母が来てたのは知ってるよね?」
「はい、それもこっちが情報を流したので、奥様が是非行きたいということで、ご案内しましたから」
……こっちに来て、学園祭だけ見た訳じゃないだろう。
「まさか、今僕が住んでるアパート……」
「絢菜さんが案内しました」
モロバレ!!!
「外観を見ただけですから。部屋番号なんか住所をお知らせした際にバレてますから」
「バレてるんじゃなくて、お前らが勝手に流したんだろ!」
少々ヒス気味に突っ込んだ。
急にもう一人の巨大な存在を思い出し、背筋がゾクリとした。ゴクリとツバを飲み込み、恐る恐る聞いた。
「……父さんは……もう全部知ってるの?」
正直、その返事が一番怖いのかもしれない。心臓がドクドクという嫌な音を立て始めた。
「知りませんよ、ご心配なく。奥様が貴方を心配して調べてるだけですから」
それを聞くと、安堵の溜め息が漏れ、同時に失望した。
やっぱり僕は、鎌井家の汚点でしかない。何をしても認めてはくれない、努力しても認めてはもらえない。今も、僕のことなんか忘れて国会で熱弁を振るってるだけ。
イヤでもテレビで顔を見る父は、家に居た頃に比べ少し老けた気がする。
カップのコーヒーが空だ。祐紀に頼もうと思ったが……、
「べらぼうめ、父ちゃん、父ちゃんってうざってぇ! このファザコンが!!!」
すっかり回っていいカンジ? つーか、壊れてるよ。誰がファザコンだ!
「イモ食わないならちょうだい」
言う前から勝手に食べてたでしょ! 話に集中できないので、フライドポテトを皿ごと祐紀の前に置くと、黙ってモシャモシャと食べ出した。
「ちょっと飲み物取ってくる……」
そう言って席を立ち、熱いコーヒーを淹れに行った。
向こうはそういう手で僕の事を調べている。
僕は……父の事、母の事をどう考えているんだろう。
父に勘当されたのは事実。僕を心配して、よく電話を掛けてくれたのは母。そんなことは気にせず接してくれる兄。そういえば、一年ぐらい前に会った姉さんも、家に戻るように言ってた。
僕はどうするのが妥当なんだろう。
家に帰りたくないというのは、僕のわがままなんだろうか、意地でしかないんだろうか。
実家に戻った所で、家に父は居ない。
しばらく、コーヒーを淹れる機械の前で止まり、そう考えていた。
一度戻ろうかとも思ったけど、思うだけに留まった。心のどこかがそれを拒絶し、吐き気がして気持ち悪くなる。
いや、僕はもう戻らないと決めたんだ。誰が何と言おうと絶対に戻らない。そのつもりで家から出たんだから、何も悩む事はない。信念を貫けばいい。
そう自分に言い聞かせ、カップを手にすると、席に戻った。
「何……これ」
テーブルの上はビールのジョッキだらけ。つい先程まで悩んでいた事がぶっ飛び、違う悩みができた感じ。
「まぁ飲めよー」
「いや、ぼくは未成年なので……あうっ」
「先輩の言う事がきけねーのかよぅ」
並々とビールの注がれたジョッキを石野の顔にグリグリと押し付ける祐紀。かなりキャラが変わっている。
「や、やめてくださいぃぃ」
そういう子供みたいな反応をするから、酔っ払い祐紀のいいおもちゃにされるんだよ。
「直もどうぞw」
今度は、満面の笑顔で丁寧にジョッキの底にまで手を添えて僕に差し出す。明らかに態度が違う。
飲んでる時に暴走されると困るよな、さすがに。仕方なく祐紀からビールを受け取った。
向かい側に座る、坂見の前にもジョッキ。これは少々口が付けてある。無理矢理飲まされたに違いない。坂見は、眉間にしわを寄せ、口をモゴモゴと動かしている。
祐紀のせいで話はそのまま脱線し、何とかジョッキを空にした坂見は顔を青くして具合が悪そうだし、石野はケラケラとバカみたいに笑い出した。そして祐紀はご満悦。
何故か全部の僕の奢りにさせられて、余計な出費が……。
二人のおかげで大体の内容は掴めた。
足元がフラといている二人を見送り、ぐでんぐでんに酔っ払った祐紀を引きずるように家路に着いた。
帰ってすぐに祐紀は寝てしまったので、祐紀の部屋でテレビを付けたまま、考え事をしていた。先程の延長であって、なにも答えは出てこない。ただ、少しだけ昔の事を思い出したりするだけ。
――母との最後の会話を。
――父との最後の会話を……。
初めて殴られて、もう二度と帰ってくるなと言った、父の表情を。
溜め息が漏れる。自分が望んでした事を、なぜ今は後悔しているのだろう。
急に鳴り出した携帯で、ハッと我に返った。
ディスプレイには、公衆電話と出ている。
受話ボタンを押し、ゆっくりと携帯を耳に当て、応答した。
「……もしもし」
無言だった。たまに自動車が通る音が聞こえるだけ。
「誰?」
どれだけ待っても相手は一向に喋らない。イタズラか、と思い切ろうとした時だった。向こうから声が聞こえた。聞き落としそうなほど小さな声だった。
その瞬間、全身がゾクリとし、息をのんだ。
僕の名を呼ぶその声の主を、僕は知っている。
何を話そうか少し考え、息をつくとゆっくりと口を開き、押し出すように声を出した。
「……僕は元気だよ。心配しなくても大丈夫だから。……もう絢菜たちを使ったりしないで」
期待はしていなかったが相手の反応はなく、時折聞こえるのは、車の通り過ぎる音だけ。
「……じゃ、切るね。おやすみ……」
携帯を耳から離し、ゆっくりと閉じた。
……会いたくない訳じゃない。
母さんだって、学園祭の時は僕に会おうと思って来たはずだ。
……会いたい?
でも、それだけは出来ない。きっと、優しさに甘えてしまう。
切りたくても切れないもの、無い事にしたくても出来ない過去。
僕の前には、まだ道はない。
僕の後ろには、手探りで探し、切り開いた道がある。
決して消す事の出来ないその道の先に、今の僕が居る。
携帯を両手で握り締めると、その上に頭を乗せ、目を閉じた。
ぐるぐると過去の記憶が脳内を駆け巡る。決して消す事の出来ない記憶。
溜め息をつき、ゆっくりと瞳を開く。眼前には、テーブルの一部しか見えないけど……。
――僕は、ここに居る。今はここに居る。……ここに居たい。