46・釜 掛け
絢菜の背後にいる人物が、僕の母だったら……。
絢菜の行動が、母に頼まれてやったことだったら……。
「何で逃げたの。いくら、勘当されているからって……折角来てくれたのに」
来てくれなんて頼んでない。だけど、言い訳をしても祐紀の機嫌を損ねるだけだろう。
何も、祐紀に話していないのだから……。
「さっきの話で気付いたんだ。だから、絢菜に話を聞きに行く!」
「ちょっと、話題を勝手に変えないでよ」
胸倉を掴まれ、グイっと引き寄せられた。さすがに殴られるか?
僕を覗き込む祐紀の表情が、みるみる引きつってきた。
「アンタねぇ、私に散々、実家に帰れだとか言って引きずり回した癖に、自分は逃げたのかよ」
……怒ってるよりも、恨みがこもってるような感じだ。
「ゆーるーさぁぁぁんんんんん」
手を離してくれたかと思ったら、今度は首の後ろを掴まれた。
「引きずってでも連れて行ってやるー!!」
「うが、くるし……ぐるじぃ……」
そのまま引っ張られてしまい、服で首が絞まる……頭が熱くて耳元でドクドクと大きく聞こえる……。
目の前がブラックアウトする寸前、五十メートルほど引きずられた頃に、ようやく祐紀が僕の異変に気付き、手を離して平謝り。
「ごめん、本当にゴメン。殺すつもりはなかった」
死んでないよ。死ぬかと思ったけど。何度か大きく息を吸うと、変な頭痛も治まってきた。
「片瀬の住んでる所って、直が前に居たアパートだったよね?」
「うん、多分ね」
四月に本人がそう言ったけど、実際に行った訳じゃないから本当かどうかは分からない。
だけど、そこを当たるぐらいしか、学校以外では捕まりそうにないし。
僕たちはとりあえずそのアパートへと向かうことにした。
郵便受けで僕の住んでいた部屋の両隣りの住人の名前を確認。ご丁寧にちゃんと表記してあったので、ここに住んでいることは確かなようだ。
階段を上がり、覗き穴から見えにくい位置――ドアの横に隠れるように立つと、チャイムを押した。
ハイハイ、と陽気な声が返ってきて、足音が玄関に近づいてくる。
ドアが開いた瞬間、閉められないように足を踏み込む。チェーンが掛かっていない事を確認すると、勢いよくドアを押し開けた。
絢菜は一瞬、驚いたような表情をしていたが、ニコリと笑って……、
「いや〜ん、直紀くんの方から来てくれるなんて、感激〜」
と言ったものの、僕の後ろに祐紀が居る事に気付き、みるみる表情を曇らせた。
「アナタも来たの? 何か最悪……」
話を相手に合わせる必要はない。単刀直入に聞こう……と思ったんだけど。
「何か、ムカツク」
祐紀が思いっきり食らい付いてしまった。いちいち突っ込んでたら本題に入れないうちに祐紀に引きずられて帰ることにもなりかねない。ここは無視して……。
「僕に隠れて、母さんと何やってんの?」
一瞬、見逃しそうな動揺を見せた絢菜は、何度か目を左右に泳がせ、首を傾げた。
「何の話?」
返答までに掛かった時間は二、三秒。本人は普通に装ったつもりだろうが、動揺が隠しきれていない。これが藤宮の言う、演技がヘタクソ、な部分……というより、ウソがヘタクソと言った方がいいと思う。何より、僕の知ってる絢菜は、ウソをつくような子じゃなかった。
「じゃ、話を変えようか。――学園祭の時、どうして母さんと一緒に居たの?」
絢菜は僕から視線を逸らし、口を堅く結んだ。それに関しても何も言うつもりはないということだろう。
「僕は、学校の事に関しては、兄さんにさえ話してない。一体誰が学園祭の日時を教えたんだろうね?」
何を言っても押し黙ったまま。更に僕は続けた。
「ストーキングしたり、やめたと思えば野田に調べさせたり……母さんにでも報告してんの?」
ビクっと体が強張ったのを僕は見逃さなかった。
その瞬間、絢菜の背後に母が居る事を確信した。
「キミがどんな事をしても、僕は家には戻らないからね。――母さんにも、そう伝えてくれ」
吐き捨てるように言うと絢菜に背を向け、祐紀の手を引きアパートを後にしようとした時、男の二人組みが行く手を阻んだ。
「絢菜さん!」
後ろでドアと鍵を閉める音が聞こえた。
この二人、どこかで……。
「……あ! いつぞやのナンパ小僧!」
祐紀が思い出したように二人の方を指差した。
……ナンパ?
祐紀の手を離すと、奴らにズカズカと近づき胸倉を掴むと、引きずるように連行した。
近くのファミレスに連れ込み、事情聴取だ!
あれ? 僕はいつから捜査一家サークルみたいな事を……まぁいいか。
とりあえず、飲み物を注文……と言っても、フリードリンクなので運が悪ければ逃げられる可能性もあると思い、祐紀に四人分取りに行かせた。
「ナンパって何?」
とりあえず笑顔でそう言ったつもりだけど、声が怒りで微かに震えているのが自分でも分かった。
「いや、あれは……」
「僕の彼女にちょっかい出そうだなんて、百万年早い!」
ぼそっと、好きでやった訳じゃない、とか言ったので更に頭にきた。
「ふーざけんなー!! 大体、お前ら何者だー!!!」
テーブルを両手で叩き、その勢いで立ち上がると、二人に人差し指を突きつけた。これもまた、怒りで震えている。
「ちょっと、直……みんなが見てるよ……」
祐紀が服の裾を引っ張りながら恥ずかしそうに囁いた。立ち上がったままの僕に、痛いほど視線が突き刺さってきた。
う……大人気ない。
椅子に座り直すと、祐紀が持ってきたコーヒーに口を付け、とりあえず落ち着くことにした。
「同じ大学で、片瀬と同じ一年だよね?」
僕が喋るとケンカ腰になるので、祐紀が二人に話を聞いている。
二人は頷くぐらいで、あまり喋らない。
「名前は?」
「……石野です」
童顔で糸目な彼はそう答えたが、もう一人がなかなか口を開かない。
「キミは?」
僕がちょっとイラついたような声を出すと、仕方なく口を開いた。
「……坂見……です」
……坂見? まさか……。僕の表情で察したらしく、こちらが聞く前に彼のほうが先に喋りだした。
「鎌井家に雇われてる家政婦の息子ですよ」
「ちなみにぼくは、片瀬家の家政婦の息子でーす」
聞いてないよ。
家政婦の坂見さんが、僕によく息子の話をしてくれていたのを思い出した。結局、一度もその息子とは会った事はないけど、こんな所で会うことになるとは……。
ということは、この二人も母が送ってきた刺客か! 一体どこまでグルになってんだ?
いや、そういえば他にも引っかかる所があったけど、確か祐紀が先に口を挟んだからすっかり忘れていた。
「……サークルの部員交流旅行の時、駅の待合室、それとホテルも一緒だったよね?」
二人はこれ以上隠そうとはせず、すぐに首を縦に振った。
「おお、ビッグサイトの同人オタクか!」
それはこっちが勝手にそうじゃないかって言ったアレではないか!
二人は何の話かさっぱり分かってないみたいで助かったけど。
「違うよ。きっと彼らは絢菜の護衛か何かだろう。超過保護な片瀬家が娘を一人で地方の大学に出すはずがない――」
絢菜は僕がこっちに居るから許可したような言い方をしたが、そのぐらいで許すような親ではないことぐらい知っている。その片瀬の両親を説得した人物、絢菜の父親の姉である、母だろう。
そして、信頼できる護衛として、自分の家に仕える家政婦の息子。失敗すれば親の失職は免れないということか。
絢菜の大学への進学を上手く利用したものだ。家政婦の家族までも巻き込んで……。
「違うかな? 坂見くん、石野くん」
坂見はすぐには返事をせず、目の前のコーヒーを一度口に含んだ。
「ええ、その通りです。旅行の時も確かに一緒でした。ちなみに、真部さんに声をかけたのは絢菜さんの指示です」
……その絢菜の背後に母か。
絢菜を使って僕の身の回りを調べていたということか。それで度の過ぎた尾行、ストーカー行為。やりすぎ、やらせすぎ。
そういえば、あの時の行動も引っかかってくるな――。
「僕らが兄さんのマンションへ行った日、帰りに絢菜が用事があるって一人でどこかに行った時も、キミ達が後で合流したということだよね?」
二人の表情が急に険しくなった。間違いはなさそうだ。確信はなかったが、鎌を掛けた言葉を続けた。
「僕の実家にでも行ったんじゃないの?」
坂見が表情はそのままで、口元だけを吊り上げた。
「総崩れですね。お手上げです。全部話しますよ」
苦笑いする坂見。石野はわたわたと慌て出した。
「そんなこと言ったら、お嬢様が……」
「いいんだよ、もう。……ずっと辛そうだったから。全部話す代わりに約束してください」
坂見は真剣な顔で僕を見据えた。僕も彼から視線をそらさず頷いた。
「絢菜さんと、奥様を責めないでください。これは、貴方の事を思ってされたことなのです。決して悪意があった訳じゃない、だから……」
「分かった。約束するよ」
「ありがとうございます」
僕の返事を聞くとようやく、坂見の表情が和らいだ。
そして、ゆっくりと口を開いた――。