44.5・― 夢が終わるとき W


 何もかもが終焉へと動き出している。

 現実から逃げたいんだ。
 辛い事ばかりで、苦しいんだ。
 だけど二人一緒なら何も怖くない。
 だけど、夢から覚める時が、いつか来る……。
 現実は、甘くない。

 もう許されないというのなら、終わるしかないのだろう。
 ショパンのエチュード……別れの曲がどこからか聴こえてくる……。


【Side:華音】

 それを知ったのは、両親襲来から二日経った朝だった。
「どういう……コトですか?」
「昨日、出かけるって言ったっきり、帰って来ないし、連絡も取れない……」

 頭の中が真っ白になった。まさか自殺なんてありえないとは思うけど、私に何も言わずに居なくなってしまった。最悪の結果に追加で大盛りおかわり、お腹いっぱい。
 私……どうしたらいいの?
 どこに行っちゃったの? タカくん……。
 体がカタカタと振るえ、視界が揺れてきた……。
 私の隣に居た祐紀ちゃんがそっと肩に手を置いた。
 涙は止まるどころか、どんどん溢れてきて、両手で隠すように覆った。

 泣いて解決することじゃない……。
 そうよ、泣いてたって仕方ないじゃない。タカくんが帰ってくるのを待っていればいいの。必ず帰ってくるよね?


 ――カノン、腹減った……。
 ――カノン充電するー。
 ――カノン、今日はドコに行こうか?


 部屋に残ったCK-oneの香りが、楽しかった記憶を呼び覚ます。走馬灯のように流れては消える……。
 辛くて目を閉じると、また涙が頬を伝った。
 今までの幸せな日々はまるで夢だったように感じる。
 ずっとずっと、長い間……私は夢を見ていただけなのかもしれない。
 本当は、藤宮孝幸なんて、存在しなかったのかもしれない。
 私が作り上げた、架空の人物だったのかもしれない。
 藤宮孝幸は、ここにはいない。

 私を……一人にしないで……。
 何もかもを壊してしまいたい。自分さえも、存在する価値がない。
 私なんか居なくなっても、誰も……誰も……

 私は弱い……。なんて弱い人間なんだろう……。


 携帯が鳴り出し、ふと我に返った。
 この着信音はタカくんからのメールだ。
 しかし、期待する程のものではなかった。
 件名、本文すらなく、添付ファイルだけがある。
 ううん、変に期待させるような事が書いてあるよりは、なにも書いてない方がいいのかもしれない。今の私たちには……。
 添付ファイルを受信すると、それがメロディで……。
「カノン?」
 パッヘルベルのカノン。私と同じ名前……。

 お母さんが好きだった曲のタイトルから取って、私の名前がカノンになったって、聞いた事があった。

 今、こういう時だからこそ、自分自身に負ける訳にはいかない。


 昨日もゆっくりと眠れなかったせいか、タカくんのベッドでうたた寝をしていたみたい。
 ドアをノックする音で、目が覚めた。
 目を擦りながら体を起こすのと同時に、祐紀ちゃんがドアを開けた。
 もう、外は随分暗くなっていた。
「ごめん、寝てた?」
「ううん……大丈夫」

 祐紀ちゃんたちまで巻き込んでしまった事も気にはなるんだけど……。
「ごはん、作ったんだけど食べれる?」
 折角、作ってくれたのに、いらないなんて言えないよ。
「うん、食べる」
 笑顔で答えたけど、それが本当に笑顔であったのか、自信はない。

 食事をテーブルに並べながら、祐紀ちゃんが言いにくそうに喋り出した。
「勝手にお風呂まで入れちゃったんだけど……何で風呂場に水鉄砲が置いてあるの?」
 ……見られたぁ!!!
「いや、アレは……タカくんが……」
 やはり、二十一にもなる男が風呂で遊んでるんだから、言い辛くて口ごもってしまった。
「……何か……ヤラシイことしてない?」
「……アヒルよりいいでしょ?」
「まぁ……そうだね」

 ふぅ、何とか深く突っ込まれずに済んだみたい。
 いや、まだ赤い顔して何か考えている。変な想像しないでよ! 否定できなくなるからそれ以上言わないでよ……。
「ご飯食べたら、お風呂入りなよ。片付けとか全部するからさ」
「……うん、ありがとう」



 誰にも、取り乱した姿は見られたくない。祐紀ちゃんが居るから、何とか自分を保ててる。
 だけど、時間が経てば経つほど、不安が大きくなり、何かにすがりたくなる。
 ……やっぱり、お母さんに連絡した方がいいかな……。
 もしかしたら、実家に居るかもしれないし。

 そう思って、祐紀ちゃんがお風呂に行っている間に電話してみたけど、頼りの綱も空振りに終わってしまった。

 携帯も電源が切れてて、タカくんの消息は全く掴めない。

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