44・釜 大惨事


 学園祭も終わり、いつも通りの日常。
 今日の講義は二時限目。祐紀は午後からということで、僕は一人、大学へと向かった。


 構内のサークル掲示板付近に人だかりがある。学園祭の記事が張り出されているのだと思い、一応覗きに行ってみた。
 途中で藤宮を発見したが、まぁいいか。
 人ごみを掻き分け、押しつぶされそうになりながら……ああ、僕のカバン、進行方向とは逆に移動してますよ! なんとか張り紙が見える位置にまで来たが、記事を目にして呆然。人に揉まれて、あっという間に人だかりから排出されてしまった。
『禁断の兄妹愛、近親相姦』
 デカデカと載っていたその写真は、紛れもなくあの二人……。
 藤宮孝幸と藤宮華音。
 そういえばさっき、藤宮が……まさか、アイツ!!
 ここまでされて、やりそうなことはただ一つ。
 急いで人ごみから抜け出すと、部室棟へと急いだ。もう、間に合わないかもしれないけど、止めなきゃ、取り返しの付かない事に……。


 部室棟は構内の隅、山側に位置する。どう近道しても五分以上は掛かってしまう。更に、激写サークルは三階。
 日頃の運動不足のせいか、太腿とふくらはぎは既に悲鳴を上げている。それでも階段を一段飛ばしで駆け上がった。
 三階に近づく程、物音と怒鳴り声が大きくなる。
 その音が発される一室、激写サークルの部室の戸を勢いよく開いた……。
 目の前の光景は、既に最悪な事態だった。室内には部員と思われる三人と、藤宮。激写の部員が一方的にやられているといった状況。
 藤宮は僕が来た事にも気付かず、一人の部員を捕まえてひたすら殴り続けている。
「バカっ! やめろ!!」
 後ろから押さえつけようとしたが、身長の関係で、背中にぶら下がっているような格好になってしまった。
「お前が今まで守ってきたモノが、全部ムダになるんだぞ!」
 ようやく気付いたのか、背中に張り付く僕の方に顔を向けた……が、今まで見たことのない冷めた視線に、背筋がゾクッとした。
 ゆっくりと顔を戻し、また拳を振り上げる……。
「落ち着け!」
 いつ振り下ろされるかわからない腕を、必死になって押さえた。
「うるさい、放せ! コイツら全員、病院に送ってやる!」
 僕を振り落とそうと体を揺すってくる。肩に回した手に力をこめて何とか落とされまいとしがみついた。
「……うが……」
 ――が、脇腹に鈍痛が走る……。近くにあった机に思いっきり打ち付けられた。僕が怯んだスキに拘束から抜け、ただ怯えるばかりで抵抗をしない部員に再び向かっていく……。
 止めようにも、脇腹の痛みで、すぐには動けない……。

「何をやっている!!」

 タイミングよく現れた教員によって、藤宮は押さえ込まれたがまだ勢いは止まらず、抵抗している。脇腹の痛みに耐えながら、僕も藤宮を押さえつけると、諦めたように、強張った体からは力が抜けていった……。




 それから事情聴取だとかで僕まで捕まってしまい、結局講義どころではなかった。
 藤宮の処分が決まるまで、自宅謹慎。講義を受け損ねたので、僕は藤宮に付き添って帰ることになった。終始無言のままアパートの二階

まで来て、自分の部屋に戻ろうと藤宮とは違う方向に体を向けると、呼び止められた。
「あのさ……」
 藤宮の方を向くが、ヤツの視線は下を向いたままだ。
「……説明してやってくんねぇかな……。俺には出来そうにないから……」
 妹ちゃんに……ってこと?
「そういうのは自分で言った方がいいんじゃない?」
 視線は下を向いたまま、それ以上何も言わず、沈黙。動きを止めた僕らの間に時間だけが流れた。
「分かったよ」
 藤宮の横に並び、背中をバンバン叩いてやったが、目立った反応はしてこなかった。


 三階の部屋の前。玄関を開けたのと同時に、妹ちゃんが部屋から飛び出してくる。
「タカくん、さっきの何? どういう事?」
 詰め寄る妹ちゃん。しかし藤宮は視線を合わせる事はなく、歯を食いしばり、何とも言えない辛い顔をしていた。
 ちょんちょんと、腕をつつかれ、僕から事情を話す。
「……すごく言いにくいんだけど……キミたちの関係、バレちゃったんだ……」
 って言い方で良かったかな? 妹ちゃんの表情がみるみる青くなる。
「……え?」
「激写サークルに写真撮られてて、構内の掲示板に……」

 妹ちゃんは一度、藤宮の方を見る。僕もつられて藤宮を見たが、下を向いたまま、拳を握っているだけだった。


 それから、すぐに自分の部屋に戻ったが、祐紀は出掛けた後。部屋で一人、当事者でもないのに考え込んでしまった。
 暴力事件ということで、千葉の両親にも連絡が行くだろう。そうなったらどうなるんだろう、アイツら……。





 ――次の日の昼過ぎ。
 食事中に鳴り出したのは僕の携帯だった。ディスプレイには『藤宮』と表示されている。
 向こうから掛けてくるとは珍しい。何かあったに違いない。
「もしもし?」
『鎌井? 悪いけど、ウチに来てくれないかな、真部と一緒に……』
「は? 何で?」
『こっちは切羽詰ってんだよ、マジで頼む……』
「……うん、分かった」


 食事を途中で放置し、祐紀と一緒に藤宮の部屋に行く。
 そこは、まさしく修羅場という名が相応しい、緊急家族会議の真っ最中。僕らは証人か何かだろうか?
「俺、今日から鎌井と一緒に住む。だから真部はカノンと一緒にココで生活してくれ」
「「え、ええー?!!」」

 声が祐紀とハモった。いきなりそんな事言われても、一体何がどうなっているのやら。
「何で? さっぱり状況が読めないんだけど……」
「……バレちまった」
「「うええええ?!!」」

 再びハモる。もしかしたらそうなるかもしれないとは思っていたけど、マジか! その割には落ち着いてるのね。大丈夫か? こっちが代わりに焦って慌ててるぐらいだ。

 なにやら、藤宮と妹ちゃんの関係が両親にまでバレて、藤宮母はこれ以上一緒に住ませたくないらしい。でも藤宮は離れたくないし、妹ちゃんを一人にしておきたくないとかで、僕らのポジションチェンジを提案したということで、祐紀は妹ちゃんと、僕は藤宮と、同居生活を始めることになってしまった。
 それで一応、最悪の事態からは脱したというか、一番の回避方法だったというか――。



「めーし、めーし……」
 テーブルをバンバン叩いている。思ったより元気……って言うよりも、
「お行儀が悪うございます、アーデルハイド! テーブルは楽器じゃございません!」
「だってだって、トッテンマイヤーさん……あたし、お腹ペコペコで……クララだって……クララぁぁぁ!!!!」

 テーブルに突っ伏して肩を震わせている。いつから妹ちゃんはクララになったんだ。
「白パン捨てないで……おばぁさんが……。アルムの山に帰りたい……」
 お前の部屋はいつからスイスになったんだ?
「白パンではないがね……どうぞ」
 むくっと起き上がり、僕の顔を見る。じっと……。何??
「ありがとう、セバスチャン……」
「誰がセバスチャンか!」

 コイツ、何か演じてないと自分を維持できないんだな……きっと。まぁ、それで深く考え込まないで済むんだったら、少しつきあってやってもいいかな。僕が知っている範囲で。
 藤宮が急にニヤと笑った。
「ペーター、口笛が吹けるようになったのよ……。ユキちゃん……ユキぃ」
 と思ったら急に悲しそうな顔になって……。アンタ、誰ですか?
「もういいから、先に食べれば?」
「うん、そうする。いただきます」

 ……見事な早変わり。今のは素だよね? 結構落ち着いているように見えるけど、どうなんだろうね……。コイツはころころ表情変えるからよく分からない。

 結局、会話もなく食事を終えた。時々箸を止めて、何かを考えているような素振りをみせていたけど……。
「タバコ、吸いたいんだけど」
 外で吸えって言ったら、どこ行くか分かんないよね……今は特に。
「ベランダで吸え。窓はちゃんと閉めてよ」
「はいはい」

 僕の部屋を経由してベランダに……飛び降りたりしないよね。……まさかぁ〜。
 皿洗いを急遽やめ、体の向きを一八〇度反転。ベランダに走る! 勢いよく窓を開けると……。
「……何? 血相変えて。別に飛び降りはしないって」
 そう言って、柵から下を指差す。
「三階なら打ち所が悪けりゃイッパツだろうけど、ここ、そんなに高くないし……」
 まぁ、言われて見ればそうだよね……。着地失敗で骨を折るぐらいか。……頭から落ちなければね。……ひぃぃ!!
「……死にはしねぇよ。死なれるより、離れてるだけの方がどれだけいいか、分かってるから」
 すぐ近くに居る。でも会えない。
 僕も同棲を始めてから離れたことがなかったから、祐紀は近くに居るのに、側に居なくて……何だか変な気分だ。
「……俺、何やってんだろうね……」
「僕もお前と同じ立場だったら……きっと同じ事をしたと思うよ」

 藤宮はタバコを口にし、煙の混じった溜め息を吐いた。
「……何で、こうなっちまったんだろうな……」
 それはどういう意味で言ったんだろう?

 ――妹ちゃんを好きになった事?
 ――激写サークルの新聞記事の事?
 ――暴力事件?
 ――親にバレた事?
 ――それともそれに対する現状?

「……一杯飲む? 祐紀のだけど」
「……もらうわ」

 と言って、タバコを空に放り投げた……。
 おい、ポイ捨て禁止! 灰皿ないから、空き缶でも置いておくよ。分別収集に出せなくなるけど。


 飲みだしてから、テンションは上がらないものの、藤宮は、自分のことを色々と話してくれた。
「カノンとの関係がアレだから、誰にも言ったことなかったんだ……」
 そりゃそうだろうね、とは思いながら、あえてツッコミは入れず、頷きながら黙って聞いた。
「お前に言うのも、結構ためらったんだぜ? でも……こうなった今だから、理解してくれるヤツが居てくれて本当に助かってる……ありがとう……」
 いつもの自信に満ち溢れた雰囲気は微塵もなく、弱々しかった。
「でもさ……両親が再婚しないで、子連れ同棲するだけだったら、ここまで悩まなかっただろうし、こんな状況にはならなかったと思うんだ……」
 ふと思い出した。そういえば、母親の再婚前まで母子家庭で、本当の父親とは離婚で別々になったって……。
「自分の本当の父親との離婚がそもそも間違いだったとは思わないの?」
「それは正解だと思ってるよ。……家庭内暴力で、散々だったからな」

 ふぅ、と溜め息をついてから口を開いた。
「……俺も虐待されてた。今でも背中にキズが残ってる。だからだろうな、お前を見たときすぐに分かったんだ。コイツ、家庭に何かあるって……」
 僕? 小学四年の時に同じクラスになったぐらいしか覚えてない。高校も同じだったって、お前が言わなきゃ気付かなかっただろうし……。
「相当ストレス溜めてるって顔してて、いつもイライラしてて、他人を寄せ付けない。違うか?」
「確かに、あの頃はストレスとプレッシャーでたまらない時期だったね……。私立小学校の受験に失敗して、親の期待を裏切ったんだって思い込んでた。毎日、懸命に勉強しても家庭教師を付けられて、次は――中学受験はもう失敗できないって、自分を追い詰めていたんだろうな……」
「ストレスでぶくぶく太っちゃって、まるで家畜のブタだったぞ」
 家畜――そうかもしれないな。親の言うことがその時の僕には全てだった。当たり前なんだと思っていた。親の機嫌を伺って、何の反抗もしない。まるで人形のようだったあの頃……。
「――やっぱり、俺じゃカノンを幸せにしてやれないんだな」
「藤宮?」
「だってさ、もう……どうにもなんないじゃん」

 弱々しい笑顔、もう諦めるっていうこと? お前らしくないぞ!
 このまま、一人でどこかに行ってしまいそうな、そんな雰囲気を漂わせてていた。
 妹ちゃんだって、同じ立場なのに……第三者の僕でも、辛くなるような……そんな現実。



 ――男同士の同居生活、二日目。
 昼を過ぎてからようやく起き出してきた藤宮。タバコ、携帯、サイフ、鍵を次々とポケットに押し込んでいく。
 さりげなくイヤな予感……。
「……出かけるから」
 スッキリとしたさわやかな笑顔だ。一晩でなにがあったんだ? まさか、駆け落ちでも考えてるんじゃ……。なんとか止めねば!
「ちょっと待てー! 謹慎中だろ!」
「いいんだよ、誰にも見つからなければそれでいい」

 ただの外出みたいな言い方だった。それでもダメだ。
「タバコ買いに行くって事で、手を打ってくれ!」
「なぁにぃー?!! 待てってば!」

 こっちはまだ喋っているというのに、無視して外出されてしまった。もうどうなっても知らないからな! 勝手にしろ!


 しかし、事態は更に最悪な方へ向かっていく、そんな気がしてならなかった。
 夕食の時間になっても帰ってこない。まぁ、子供じゃないんだからこのぐらいは想定内。
 二十二時を回っても帰ってくる気配もなければ連絡もない。
 夕飯作って待ってる身にもなれ! 僕も人が良すぎるんだ。もう待つのはやめよう、と思いながらも一度携帯を鳴らしてみる。
『お客様のお掛けになった電話番号は――』
 電源切ってるのかよ。……まさか、いきなり浮気とかしてないよね? カンベンしてよ、もう。


 朝になっても、携帯には繋がらないままだった。
 ――何考えてんだ、アイツは。こんな時に……。
 祐紀だけにでも伝えるべきか、妹ちゃんにもちゃんと言うべきか……。
 車がなければすぐにでもバレるはず。それならいっそ、言ってしまった方が……。
 バレて押し掛けられるよりは、先に言ってしまおうという結論に達し、仕方なく三階の藤宮の部屋へ行った。

 出てきた妹ちゃんの表情がなんとも言えない。
「鎌井さん、どうしたんですか?」
 それでも無理して気丈に振舞っている。演技で慣れているかもしれないけど、内心、不安でたまらないはず。それでも言わなきゃ……い

ずれ気付く事なんだから……。
「すごく、言いにくいんだけどさ……」
 ごくりとツバを飲み込む。今の状況でこんな事を言うのは酷なことかもしれない。
「……藤宮……昨日出たっきり帰ってこないんだ……」

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