34・鍋 空白
「もうすぐ、ゴールデンウイークだね」
「うん、お義姉さんが、早く来いってうるさいのです」
「……じゃ、祐紀の実家の方に行くんだね」
「そうなる」
兄貴に子供が産まれたのは、4月上旬のこと。
丁度、昼食を取っている時、無事に女の子が産まれたと連絡があったのだ。
それから再三、ゴールデンウイークには絶対に来い、とお義姉さんから電話がある。
女の子か……兄貴、メロメロなんじゃないかな?
待てよ? さすがに片瀬のヤツ、来ないよね?
「女の子だったよね? 名前は?」
「それがさぁ、聞いても全然教えてくれないんだよね」
来たら教えると。イヤでも来いということだ。
「僕の兄さんの所は、男の子で、名前は・・・」
たまに、直宛にお兄さんから手紙が届く。子供の写真をたっぷりと詰め込んで。
私も名前ぐらいは聞いたことあるぞ。確か……。
「おいしいキノコだ!」
きのこのこ〜のこげんきのこ、エリンギ、マイタケ、ぶなしめじ♪
「北都(ほくと)! 変な言い方しないでくれる?」
「アダナはブナピーで決定だ!」
「勝手に決めるなー!」
あらやだ、おじさん。冗談なのにそんなに怒らなくても……。
「北斗の拳。お前はもう死んでいる……おあたぁぁ!!!」
「……何それ?」
しまった、アニメ系は直には通用しないんだった! おのれおぼっちゃま、ここは普通、大爆笑するところだぞ! いや、直なら大激怒か。
直は一度、コホンと咳をすると、話題を変えてきた。
「そういえば、もうすぐ誕生日だね」
「うん、二十一になります」
「……プレゼント何がいいかな?」
「……愛」
直はきょとんとした顔をして、私を見つめた。
冗談で言ったんだけど、そういう表情されて、おかしくて笑ってしまった。
「あはは、冗談なのにー」
「いや、僕に愛が足りないのかと心配したじゃないか」
ホントに生真面目だな。
「でも、また何か買おうと考えてそうだし。モノじゃなくてもいいんだよ」
直は何かと形ある物にこだわっているような気がしてならない。
今まで貰った物も、ちょっとお高いおそろいの携帯ストラップとか、鍵が行方不明になることが多いから、去年の誕生日にキーケース、それから指輪とか洋服だとか……。
「……じゃ、リボン買ってきて、僕の頭に巻いてるぐらいでいい?」
「恋の中にある死角は下心?」
「愛の真ん中の心を揺さぶってんの」
T.M.Revolutionか?
音楽やら芸能関連にウトかった直も、私の影響で随分詳しくなったものだ。
マツケンサンバは行き過ぎな気がするけど。
今日、この講義さえ受ければ、ゴールデンウイークが始まるのだ!
直も丁度同じ時間から始まる講義があるとかで、自転車に二人乗りして大学へ出掛けた。
「今日、四時限目の講義も受けるから、先に帰ってていいから」
さすがに一時間半も待つのはキツいからな。
「うん、帰って旅行の準備でもしておきますよ」
「……珍しい。自分からそんな……」
――そうか?
「自転車乗って帰っていいから」
なんだと!
「だめ、絶対ダメ! 私は先に徒歩で帰る。直は後から自転車でぶ飛ばして帰る! 片瀬に捕まったらどうすんの……」
ブチブチと文句を垂れながら、片瀬からの数々の嫌がらせを思い出し、直の肩に掛けている手に力がこもる。
「あいたたたた……分かりましたよ。僕が自転車で帰るから……肩、痛い」
一時間半の講義を終えた私は、先にアパートに帰る。
しかし途中、構内で見ず知らずの男二人組みに絡まれてしまった。
「アナタが真部祐紀さん?」
おお、なんだなんだ? もしやナンパ? いい根性してるじゃないか。六年ぶりぐらいだ。
「そだけど、何?」
二人組みの一人が口を開こうかって時に、遠くから聞き覚えのある声が……。
「浮気撲滅キャンペーン実施中!」
何だそれは。
「はいはい、お取り込み中ごめんなさいね。このデカ女、彼氏いるからダメですよ。新入生クン」
突然現れた藤宮に、首根っこを掴まれ、強制的にその場から連れ去られてしまった。
一体何だお前は!
「何だよ、痛い……離せ!」
正門を出た所でやっと開放され、掴まれて痛む所を撫でた。
「知らない奴に呼び止められても、無視しろだと。ご主人からの伝言」
ご主人……直のこと? さっき同じ講義だったのかな。
別にそこまで心配しなくても、浮気なんかしないって。
「それから、これは俺からの忠告。あのイトコ、何か企んでるぞ」
「んなこと分かってる。散々迷惑してんだから」
ああもう、また思い出したじゃないか、バカ宮!
「背後には気を付けなさい。じゃーな」
そう言って。アパートとは逆の方向に行ってしまった。そこまで言うなら一緒に帰ってくれてもいいのに……いや、コイツ弱いんだっけ? 直が強すぎるだけか。
背後?
後ろを振り返ると、先程の二人組みがこっちを見ていた。
ヤバい。私にまでストーカーが!
危険を察し、全速力でアパートまで帰った。
「準備するとか言ってたくせに、何もしてないね、やっぱり」
私が帰宅して一時間半後――講義を終えた直が帰って来たが、出掛けに言った旅行の準備の事はすっかり忘れていた。
「いや、帰りに変な二人組みに絡まれてしまって、大急ぎで帰って……」
「忘れたんだね」
はっはっは、ご名答。いや、それより……。
「直、藤宮に何て言ったの?」
「何が?」
「今日、同じ講義だったんじゃないの? 絡まれている時に助けてくれたっていうか、その場から連れ去られたというか……知らない奴に呼び止められても無視しろとか言ったんでしょ?」
確かに今日は同じ講義だったみたいだけど……。
「……今日は話してないよ? それ、確か半年ぐらい前に頼んだ伝言だったと思うけど、アイツ、忘れてたのか? ――まぁいいか」
私的には良くないんだけど。忘れていた首の痛みをまた思い出した。かなり痛かったぞ。
しかし、あの二人組み、何だろう? 藤宮は新入生とか言ってたけど……。
それから、明日出掛ける準備をし、早めに就寝した。
――次の日
朝から鳴り響くのは、チャイムではなく携帯。
今度は携帯で嫌がらせかと思えば、鳴っているのは私の携帯。
枕元に置いてあるそれを手に取ると、ディスプレイには、『真部寿』と表示されている。――てことはお義姉さんだな?
「もしもしー?」
『ゆっきーおはよう。今日来るんだよね? 場所分かる?』
私、これでも地元住民だよ。実家に一番近い県住、ウチの自治区には一箇所だけ。四棟立ち並んでいるだけだから、棟番号と部屋番号さえ分かれば、いくら方向音痴の私でも迷子になることはない。
「C棟の202でしょ? 大丈夫です」
『迷子になったらいつでも電話してね。迎えに行かせるから』
兄さんを……でしょ?
「あははは……まぁ昼は過ぎると思いますから、気長に待ってて下さい。それじゃ……」
携帯を閉じ、布団の中で体を伸ばした。待ちわびている義姉からの電話の後だ。さすがに二度寝する気にはなれないので、直を起こそうかと思ったら、既に目を開けてキョロキョロしていた。
「はよ、直」
「お義姉さん、声デカいよね……全部聞こえたよ……」
「うん、おかげで眠気はしっかり覚めたよ。さっさと朝ごはん食べて出掛けなきゃ……」
「お兄さんが八つ当たりされるんでしょ?」
「そうそう」
本当に、面白い人を嫁にしたものだ。嫁の紗枝さんは大学の先輩だったとか何とか。少々ちゃらんぽらんな兄には、年上のしっかりした女の人がいいとは思っていたけど。
――そういえば、事件後、兄貴が一人暮らし始めて、家に寄り付かなくなって、その後、私が大学に進学した。
子供が産まれてからは、頻繁に電話を掛けてくるようになった――と言っても、ほとんど紗枝さんばかり喋っている感じだったけど。ゆっくりと会話なんてしたことがあっただろうか。
兄妹でバカ話をしたのって、もう随分前昔の事のような……。
今回は兄の所で一泊、実家に一泊の二泊三日。
日持ちの悪い食べ物は、朝食と昼の弁当、冷蔵庫はみごとに空。さすが直様、計画通り。
片瀬の事が気になっていたのだが、どうやら朝早くからは来ていないらしく、何事もなく我が故郷へ出発!
三度目の車の旅……AT限定の私はもっぱら助手席で……。
「ちょっと、そろそろ起きてよ。さすがに県営住宅の場所まで知らないんだから!」
――あ、寝てた。
頬のあたりにだらしなく伝っているよだれを拭うと、現在の位置を確認するため、辺りを見回した。
これから高速料金を払うという所か。起こされるのが遅かったら、料金所でマヌケ面をさらすところだった。危ない危ない。
――ってことは?
「昼ごはんは?」
「食べてないよ。お腹がグーピーうるさいんだけど……」
「うう、起こしてくれれば良かったのに……」
ここまで来たのなら、その辺で止まって食べるよりは、そのまま目的地まで行った方がいいかな。
ウチの実家を行き過ぎ、すぐに見えてきた4階建ての県営住宅のアパート。
県営といえば、だいたい路上駐車。すでに大量の車が駐車済み。
荷物と消費し忘れた弁当を持ち、C棟の202号室へ……。
玄関前で表札を確認し、チャイムを押す……。
「はーい」
と女性の声が返ってきた。
錠を外しドアが開くと――
「いらっしゃーい。待ってました」
と、笑顔で迎えてくれた紗枝さんの後ろで、兄がスローモーションで倒れていく姿が。
紗枝さんの右手が不自然に上がっていたので、肘に顔面をぶつけたのだろうか?
「堅苦しい挨拶はナシ! 早く上がって赤ちゃん見て〜」
向きを変えた頃になって、兄がぶっ倒れている事に気付いた紗枝さんは、
「寿、邪魔よ」
と、容赦なく腹を踏みつけられ、兄はうぎゅー、と呻いていた。
兄ちゃん、本当に愛されているのか? とちょっと不安になったりした。
私たちは顔を押さえてむーむー唸っている兄を跨ぎ、紗枝さんが入って行った部屋に向かった。
「ナイスタイミング。丁度起きてる」
紗枝さんの横からベビーベッドを覗き込むと、大きな目をくりくりとさせた赤ちゃん。
その瞬間、何かが私の体を貫いた。
「……イヤン、カワイイ……」
「え?!!」
「持って帰る」
「ちょっと、祐紀?」
何だか訳の分からない事を喋り出す自分。視界の隅に入っている直がやたら慌てているような気もするが、赤ちゃんに釘付けになっているので気にならなかった。
「ゆっきー、何だか誘拐犯みたいな顔よ。でも持って帰らないでね」
誘拐犯? ようやく我に返り、直と紗枝さんの顔を交互に見た。
「今までにない、目の輝き方だったよ。本当に持って帰るんじゃないかと思った」
と、直は少々困り顔。かわいいモノマニアとしては……いや、やはりマズいな。直で我慢するか。
「あ、そうだ! 名前は?」
電話じゃ教えてくれなかったけど、来た時に教えてくれる約束だった。
すると紗枝さんは、赤ちゃんの口を指でパクパクさせて……、
「アタシ瑞希(みずき)。よろしく、おばちゃん」
腹話術。
「おばちゃん、イヤー!!」
忘れてた。私、おばちゃんだ! 何気にショック……。
それから、あか――瑞希が泣き出してしまい、紗枝さんは赤ちゃんを抱き上げ、私たちの目を気にする事なく、乳を出しそうになったので、とりあえず横に居る直の後頭部をぺしっと叩いてみた。
「何すんの!」
「見てんじゃないの、このスケベ!」
紗枝さんも、出す前に退室勧告してくれよ。
「突き当たりの部屋で待っててくれる?」
ハーイ、と返事して、直の背中を押して部屋を出た。
「あ、そうだ。お弁当持って来たのに食べ損なっちゃったから、食べていい?」
「どうぞどうぞ」
直が部屋の中の方を向こうとしたので、今度はチョップを食らわせてみた。
「あいた!」
「ごめんなさいねぇ、紗枝さんみたいなビッグお乳じゃなくてさぁ……」
と、少し皮肉交じりに言ってやった。
――あれ? 何かうつった?
突き当りの部屋――台所と襖の向こうに居間がある。
玄関前で倒れていた兄は、既に居間に移動し、寝転がってテレビを見ていた。……親父臭く、とても二十四歳の若者とは思えない。子供が産まれるとそんなに変わってしまうものなのか?
――違う。
空白の時間が多いから知らないだけ……忘れてしまっただけなのかもしれない。
避けるようになったのは、お互い様だ。
声を掛けようと思ったけど、何て呼べばいいんだろう?
『兄さん』、『兄ちゃん』? それとも『兄貴』……前は何て呼んでたっけ?
頭の中が真っ白になった。
――兄妹なのに、こんなに距離があるなんて……知らなかった。
それを察したかのように、直が兄に声を掛けた。
「お兄さん、テーブルお借りしますねー」
直の顔を見たけど、笑顔のままで弁当の包みを開けているだけだった。
気付かれた? それとも最低限のマナーとして声を掛けたのか、その表情からは、何も読み取れなかった。
弁当のおかず争奪戦は、真部寿を交え、大半を真部祐紀が制した。
終始寝ていたくせに……と直は愚痴をこぼしていたけど。
遅い昼食を終え、居間で三人テレビを見ていると、瑞希はまた寝たみたいで、紗枝さんも居間に入ってきた。
「あら、さっきは大騒ぎしてたのに、テレビばかり喋ってるから、寝てるのかと思ったわ」
……確かに会話らしい会話をしていない。三人も居るのに、黙々とテレビだけを見つめていた。
だから逆に色々と考え込んでしまった。
去年、久しぶりに会った兄に、『お前』と他人行儀な呼び方をした事……正月ですら、『兄ちゃん』と呼んだ覚えはない。
そうだ――初めて本気で怒った姿を見たあの日から、狂い出した……。
「何考え事してるの? お姉さんが相談に乗ってあげようか?」
声を掛けられて我に帰ると、紗枝さんが私の顔を覗き込んでいた。
「いや、別に……」
首を傾げて、そう? とだけ言うと、兄の方を向き、
「ちょっと! お客さんにお茶も出さないとはどういうこと!」
と、ブーブー文句を言い、台所の方に飲み物を取りに行った。
それを追うように、私も台所の紗枝さんの所へ行った。
居間の雰囲気がどうも重苦しくて、居たくなかったというのが正直なところだ。
「あ、座って待ってればいいのに……」
「あの……」
居間に聞こえないように、小声で言った。
「兄さんって、どんな人ですか?」
妹である私が聞くことではない。そんなことは分かっているけど……。
紗枝さんは、真剣な顔で私を見ると、口を開いた。
「……知ってるわ。梶原くんの件でごちゃごちゃになったんでしょ?」
その名前を聞いて、ギクリとした。この人、どこまで知ってるのだろう?
「サークルでも大変な事になってね。彼も同じだったから……結局、すぐに大学も辞めちゃったけどね」
違う……そんな事は聞きたくない――。
「寿は……」
ふと紗枝さんの表情が緩んだ。
「単純バカね」
予想外の答えに唖然としてしまい、マヌケな反応をしてしまった。
「――は?」
「突っ走ってる割には空回りしてるし、大胆な割りに小心だし――」
自分にも心当たりがある事をズバズバ言われ、耳が痛くなってきた。
「も、いいです……」
「そう?」
要するに、似たもの同士ということだ。
「あ、それから、たまに気が利いたことするのよ」
兄を褒めるコメントはそれだけだった。
紗枝さんが居ることで、何とか会話を始めたものの、私の緊張は解れないままだった。
今日、ココに泊まっても、兄との会話なんてないままだろう。
そう思っていた。
「さて、瑞希が寝ている間に買い物でも行ってこようかな〜」
紗枝さんが居なくなったら、また会話ナシか。まぁ、直が居るからいいか。
「なっきー借りるわね」
なっきーって何だ! 直の事か?
――え?
「へ?」
直も自分が指名された事に驚き、ぬけた表情で自分を指差している。
「若い男の子とショッピングー。うふふ、オシャレしなきゃ」
と、瑞希が寝ている部屋の方に消えていった。
ショッキングー……兄さん唖然。そしてみるみる表情が変わり……。
「大統領閣下〜!!」
兄は変に燃え出した。大統領じゃなくて、総理大臣のご子息です。
「僕に八つ当たりしないで下さいよー」
駄々っ子パンチでボコスカ殴られた直。しかし表情が何気に嬉しそうなのがちょっとムカつく。
お出掛けの準備が出来た紗枝さんと、運転手として連れ去られた直を玄関で見送る。
そしてやっと重大な事に気付いた。
――ハメられた!!!
アパートに取り残された私と兄。
一体何を話せばいいんだ?!!