19・釜 学園祭一週間前
学園祭が近づくにつれ、ボランティアサークルも準備に忙しくなってきたけど、祐紀のテンションは下がる一方だった。
仮装大会、そんなにイヤだったのか?
藤宮の言葉に踊らされて、一人で舞い上がっていた僕。今更後悔したって遅いけど……だけど――どうしても、見てみたいんだよ!
彼氏として、一人の男として!
祐紀を……。
「バザーの品物、もう少し増えないかな?」
部室棟、ボランティアサークルの部室にて。
剛田さんと細木さんは相談しながら品物に値札を付け、どこかに寄付するために予想売り上げ金額の合計を弾き出している。
「目標金額には程遠いぞ? 皆、あと二つずつ集めてくるように!」
「「え〜」」
「文句言うな! お前らには、ボランティア精神が微塵も感じられん! 中途半端なことするぐらいなら、サークルなんか辞めちまえ!」
うわ……大胆なこと言うな。さすが体育会系。やる気のない人材には容赦なし。というより、八つ当たりな気もしなくもない。
そんな中、室内でもひときわ浮いている人物が静かに立ち上がり、マッチョの方に歩いていく。肩に提げたままの大きく膨れたカバンを探りながら。
「あの……」
「何かね? 古賀くん」
「私の……作品、売ってください!」
まるでラブレターを渡すかのようにマッチョに差し出したモノは……A5サイズの冊子。しかも見覚えのある表紙がちらっと見える。それはつい最近、この僕をいろんな意味でどん底に突き落としかけたアレではないか!
「待てコラ! 僕の許可を得ずに勝手に売るな!!!」
大声を上げ慌てて立ち上がる僕は無視され、古賀ちゃんが差し出したものはマッチョの手に渡ってしまった。
「……これは?」
「私の書いている漫画です。普段は一部八〇〇円で売っているモノです。私がこれをタダでバザーの売り物として提供し、売れたらどこかの困っている方のお役に立てますし、興味を持ってくれた人が他の作品も買ってくれたり、口コミで広がって売れっ子同人作家にのし上がったりしてみたりしたら、一石二鳥だと思うんです!」
よく言うよ、ホントに。
それより、あんなものがこの地域にばら撒かれてたまるか!
マッチョは手にしているアレな同人誌を開き、内容を確認しようとした瞬間――僕はソレを強引に奪い取った。
マッチョは本を開こうとした体勢で止まり、僕、古賀ちゃんを交互に見た後、首を傾げた。間一髪、間に合ったようだ。
僕はゆっくりと古賀ちゃんの方を向く。自分の中では笑顔のままで。
「き……きゃはw」
「きゃは……じゃねぇ! 周防舞子(すおう まいこ)、きさまぁあぁあああ!!!」
僕はホモじゃない、ホモじゃない、ホモじゃない! ――というとても口に出せない思いもぶつけるように、彼女の胸倉をつか……みたかったが、相手は一応女の子な訳であり、肩を掴んで思いっきり揺さぶるに留めた。
「いや〜ん、何で名前知ってるですか〜?!!」
揺さぶられながらも微笑顔。喋り方もまだまだ余裕とは……この女、やはり普通ではない。さすが、ホモネタを売り物にしているだけのことはある。――だから、僕はホモじゃないってば! 当たっても無駄だと思い、手を離すと、僕は先ほど奪い取った同人誌の最後にある奥付けページを開き、古賀に見せた。
「ここに、書いてあるだろ? 本名、住所が!」
「……通販用ですよぉ……」
郵便物はペンネームで届かないということか……。そりゃそうだ。
そんなことでは全く動じない、肝の据わった古賀ちゃんは――、
「でも、そこまで見ているとは……隅から隅まで見ちゃったってことですね。うふw」
僕に見事なトドメを刺した。
弁解の余地なし。そうさ……確かに隅から隅まで、時折目を覆いながらも見てしまったさ。見なければならなかったのだ。どうにも見苦しいのなら、差し押さえして永久追放するつもりだったから……。なのに、こうして世に出回っているということは、それを許可してしまった僕のせいであり……。ああ、やはりあの時の判断は間違ってた。今なら絶対に許可してない。増刷だけはやめてもらおう。初版限定で……。いや、今残っているものを全部押収すべきか。
「はぁぁぁぁぁぁ」
静かになった一瞬、何とも言えない大きなため息が室内に響き渡った。
ため息の発生地点には、机にひじを突き、手で頭を支えて外をボーっと眺めている祐紀の姿があった。
「……またアレの日か?」
という剛田さんのデリカシーに欠けた質問。それに対し僕は首を横に振った。
月に二回も来ないだろ。
「……姫……今日ココに来る前に、一発かましたんじゃないか? あのポ〜っとしているカンジが、終わったあとに似ている気が……」
結局そっちの方か。
「あの……」
違うと言おうとしたが、
――ゴガシャーン……ゴン、ゴベン……
マッチョめがけてゴミ箱の一斗缶が飛んできた――はずなんだけど、勢いが足らずマッチョのところにまで飛ばなかったし、巻き添えになった部員がいないのは不幸中の幸いというやつで、結局は言うほどの元気はなくても反論したくて、とりあえずは物を投げてみたというか……そんな感じだろう。
机もなく、人もいない場所に角から落ちたせいで少し缶が歪んで……何度か弾んで動きを止めたゴミ箱。
「あの反応……図星だな……」
「間違いない……」
「それはそれは、いいものをお持ちなんでしょうね? 姫」
「……勘違いしてるよ」
脳みそ筋肉マッチョーズは、顔を近づけながら寄ってというより迫ってきて、僕の体を軽々と持ち上げると、部室の隅に連れて行かれ――、
「うわ、ちょっと……!!! 触るな!」
右から左から、下半身をめがけて怪しく伸びてくる手を必死に叩き落し、落とし、おと――。
――数分後、少々乱れた着衣を直す僕。部室の隅には膝を折ったマッチョが床に手を突いていた。十人を越える人がいるにも関わらず、部室は静寂に包まれていた。
「世の中、不公平だよ……」
「贅沢は言わないから、体の大きさに比例したものを付けてほしいものだね……」
そして同時に大きく溜め息をつく。
後ろから視線を感じたので振り返ってみると、刺さるような視線が僕に向けられていた。微妙に帰りたいオーラも含む。
もう用事は終わったと思うし、終わったからこそ変な方向に話題が展開しただけだとも思う。首を戻しても膝と手を突いたマッチョが二人。これ以上の発言も期待できない様子だったので、みんなの代表として二人に聞いてみた。
「あの、もう解散していいですか?」
「好きにしろ……」
剛田さんはいつもと違い、体に似合わぬハリのない声でボソボソと言った。
「ってことなので、解散です。ご苦労様でした」
今度は会長、副会長に代わってみなさんに挨拶と一礼。やる気を失ったままのマッチョは、ヨロヨロとしながらも一番に部室を後にし、他の部員たちも帰る支度を始めた。
古賀はやたら背を曲げ机に向かっている。なにやらメモを取っているような仕草。彼女といえばアレなので、念のため確認に行くと……、
「カマちゃん、ビッグマグナム……っと」
喋りながら言ったことと同じ言葉をメモ帳に書き記していた。
また資料か!
側にいた僕に気付き、顔を上げてきた古賀ちゃんはパッと笑顔になり、
「さっき、助かりました。八〇〇円の本をタダで提供なんて、もったいないな〜って思ってたんですぅ」
だとさ。
「……だったら最初から出すなよ」
こっちは阻止するため、バカみたいに必死になって……いい迷惑だ。
「もしかしたら、リピーターが付くかな〜とか思ったりしたのは本気なんですけどね。何て言うか、利益倍増するかもですよ、みたいな……」
「思うな! 儲けるな! それよりモデル料払え!」
古賀ちゃんはにっこり微笑んで「イヤですよ〜ぅ」と言って、メモ帳と筆記用具を手に持ったまま逃げ出した。
ホントにコイツは……。
この前のアシスタント代とやらも、結局ケチられて焼肉バイキングだったからな。九十分一八〇〇円食べ放題。だけど飲み物は別料金。飲み物に至っては自分が飲んだ分は自腹だったし。
追っても言うだけ無駄だと判断した僕は、帰る支度を兼ねて彼女の座る席へ戻った。
外を見つめたままの祐紀に帰ろうと声を掛けると、彼女はボクの方を向き、視線が合ってしばらくすると……
「はぁぁぁぁ……」
目を逸らしながら、聞いている方が不快になるほどの大きなため息を吐き出した。
彼女をこんな風にさせたのは僕の軽はずみな決断。危うく逆ギレしそうだったけど、全部僕のせいです。このままにしておく訳にはいかない、と思って、祐紀に改めて聞いてみることにした。
「そんなにイヤなら、断ろうか?」
「……ふふん……ムリだよ。アイツだし……」
鼻で笑ってから出てきた言葉は、諦め混じりだった。
確かに、あの藤宮が企画者なんだから、色々とうまく理由をつけて断れなくさせそうだ。それに見事にハマってしまったのが僕なんだけど……。
「僕が言えば何とかなると思うよ?」
と、胸の高さで拳を握ってみた。高校時代のこともあり、コレを見せればフリーパス。いくらアイツでもこの脅しには敵うまい。そんな自信があった。卑怯でイヤな自信だな。できれば使いたくなかったが、祐紀のために……使うしかない。
「じゃ、とりあえず、演劇サークルに殴りこみに行くとしよう。先に帰っとく?」
「いや、ここで待ってる」
「そう?」
軽い足取りで指をポキポキと鳴らしながら一人、部室棟一階にある演劇サークルの部室へ。
話し声が聞こえるドアの前で止まり、上にある札が「演劇サークル」であることを確認すると、ドアをガラリと開けた。
「たのもー」
あ、違う、と思った頃には言った後だった。
それよりも、目の前の光景がちょっと、何というか、見ていいものじゃなかったので、顔が紅潮していくのが自分でも分かる。
「見てんじゃねぇよ! 出直して来い!」
「すみません……」
ついつい素直に謝って、ピシャっとドアを閉めた。
……今の光景を一度、頭の中で整理しよう。
藤宮と、妹の華音が居た。
劇の衣装と思われる服を着ていた。コスプレと言っても過言ではないだろう、そんな衣装。
でも、着衣は乱れてた。
手っ取り早く言うと……最中? 略してコスプレイ? なーんて、あははは。
…………。寒い。
いや、まさか。ココは学校という神聖でなければならない場所だぞ〜。
ははは、僕の目に狂いが生じた――ならいいんだけどね!
怒りゲージが一気に振り切れ、MAX値を軽く超えた。
――羨ましい!! おのれぇぇぇ!!
あ、いや……。
再びドアを開ける。今度は勢いを追加して。
「なにヤってんだお前はぁあああ!!!!」
羨ましいことをこんなところで堂々と。おかげで押さえきれないこの気持ち。八つ当たりせずにはいられない、このやりきれない気持ちを、思いっきり怒鳴ってぶつけた。
「いや……リハーサルを……」
服を直しながらそんなこと言われてもね……。怒りゲージがポキっと折れて、脱力感が全身を覆う。
だいたい何のリハだよ?
「この衣装、いいだろ? お前らの為に選んでやったんだからありがたく思えよ」
藤宮はご機嫌に、クルクルと回って見せてくれたが、
「生臭い衣装は着ないからね」
藤宮の動きが、ピタリと止まった。
「いや、何もしてないから。しようかな〜とは思ったけど、邪魔されたから」
「僕か……」
臭い衣装は、着なくてすみそうだな。
そうじゃなくて、そんなこと思うなよ。こんな所で催すなよ。いや、そっちじゃなくて、本題に入ろう。
「その件だが、祐紀が嫌がってるから断りに来たんだ」
「コレ見ろよ〜。真部にコレ着せようと思うんだ。いいだろ〜?」
と、藤宮は僕の発言は無視し、妹ちゃんの衣装を指差していた。
祐紀が絶対に嫌がりそうな衣装だった。ヒラヒラ〜っとしてて、なんというか、言い方を変えればアレの……似てる……かな?
「で、いいムードになって、あんなことやこんなことがあるんじゃないか……ってリハーサルしてたら、こっちが盛り上がっちゃってさー。ハハハハ」
さりげなく、前かがみな藤宮の存在をアピールしている部分が気になったりするが――変な意味ではなく、同じ男として気になっただけだ。
――盛り上がってますね、色んな意味で。
っていうか、何を考えてるんだよ、お前は。
「真部がこの衣装着て、うるんだ瞳で『直……』って呼ばれたらどうする?」
言われた通りに想像してしまい、しまったと思った頃にはもう遅い。めくるめくありえない世界が僕の脳内に展開中。
――なぜかベッドでお姫座り(命名:僕)の祐紀が脇に立つ僕に上目遣いで、求めるような視線で僕を射抜く。
ドキューン。
はやる気持ちを抑え、平常を装いながら僕は祐紀の側に座り、そっと頬を撫で、唇を重ねる。
頬を撫でた手は、ゆっくりと体を伝い下り――以下省略。
結論・間違いなく襲う。
「第二体育館裏は誰も来ないぞ。がんばれよ!」
「……体育館裏……」
再びありえない世界がシーンを変えて脳内に展開。理性ぶっ飛ばすのに十分な要素がこれでもか、ってぐらい含まれている。しかしながら僕という人物保護ため、脳内で展開中の妄想は省略させてください。
「初日の十三時に、ココに集合だからよろしくな」
「おう! まかせとけ!」
と、ガッツポーズしてみた。
めくるめくアレやコレな世界は僕だけのものだ! それが現実になるかもしれないぞ。早く来ないかな、学園祭。
ボランティアサークルの部室へ戻ると、祐紀が不安を隠せない表情で僕に近づいてきた。
「直……どうだった?」
「もう、バッチリ! ……あ……」
違う……違う!!!
「うあああああああ!!!! やられたー!!!!」
ここで僕はようやく正気を取り戻し、本来の目的を思い出す。しかしすでに遅い。頭を抱えて仰け反りながら悔しさの混じった悲鳴を上げることしかできなかった。
この僕としたことが、あんなヤツにまんまと丸め込まれてしまった!
心理学を学んだ演技、恐るべし? 違う。男心を見事に利用したスバラシイ策略にハマってしまったのだ。
あのウフ〜ン、アハ〜ンな世界を脳内に展開させる巧みな口車。
所詮、僕もただの男か……。
「……直?」
更に不安げな表情でボクの顔を覗き込んでくる祐紀。残念ながら、ご察しの通りでして……。
「す……すまん……」
「うわぁぁぁぁ!!! 直のばかー!!!!」
祐紀も頭を抱えて仰け反りながら叫び声を上げ、戻ったと思ったら、一瞬、僕をキッと睨みつけ、捨てゼリフを吐きながら走って逃げしまった。
真部祐紀
年齢:20歳
性別:女
元気: 0
食欲:30
やる気: 0
最近の主食:リポD
だいたい僕のせいなんだけど、何とかせねば……。
彼女が心身不安定であってもバイトをすっぽかす訳にもいかなかったので、時間通りに働いてから帰ったアパートにて――。
今日は、玄関の鍵も開いていなければ、電気さえ付いていなかった。まぁ、任せておけ、みたいなことを言い張り切って殴りこみ(誤)に行ったはずがアレだもんなぁ。当たり前の反応だ。
一応「ただいま」と言いながら玄関に入ったものの、返事はない。やはり心配なので祐紀の部屋のドアをノックし、返事を待ってみたがテレビだけが音を出すだけで、何も返ってこない。
「開けるよ?」
そう声を掛けてからドアを開けてみると、祐紀はやる気なさそうにベッドに伏せて顔だけをテレビに向けていたが、その目には活気がないように見えた。
起き上がる気配もなければ、顔も視線もこちらに向けてくれない。かなり重症だ。
「ただいま。祐紀」
「……んー?」
僕はできるだけ明るく言ってみたけど、祐紀の返事にはやる気のなさがにじむどころか溢れ、こんこんと湧き出ている。
この状態を招いたのは僕。なぜ仮装に出たいなんて思ったのか、説明すれば祐紀だって分かってくれるかもしれない。それでもイヤだと言うのなら、本当に断る覚悟で……。
僕はベッドの側で腰を落とし、祐紀と同じ視線の高さで、彼女の目をまっすぐに見つめて話を始めた。
「仮装の件、勝手に決めたのは悪かったって思ってる。ゴメン。……今回は仮装という形になるけど、祐紀のドレス姿が見てみたいから僕は……。だから……ね?」
「……んー……」
祐紀は一応返事をしてくれたけど、その後ため息をついた。
「……ご飯、ちゃんと食べないとダメだよ?」
「ダイエット……」
違うな。精神的にきている。それに断食ダイエットほど体に悪いものはない。
これは僕の得意分野かな?
「飯抜きダイエットで一番最初に消費される脂肪は、腹でも背中でもない……」
「へー、そうなんだ」
知らないということはダイエットしてそうなった訳ではなく生まれつきか……。
「胸の脂肪だ……」
「……消費するほど付いてないから、腹の脂肪消費してる〜」
虚しい言い訳だな……。
「どうでもいいからメシ食え! 僕一人で食べてもつまんないだろ!」
どうにか動かそうと思って祐紀を抱えようとしたけど、体に力が入っていない分、余計に重かった。脇の下に手を回し、どうにか立たせてやろうと必死になっていたけど……身長差のせいか僕はバランスを崩し、後ろへ豪快に倒れた。まるでバックドロップを失敗したレスラーのごとく。
「あーくそー、身長あと十センチ伸びないかなー……」
毎日カルシウムを過剰なぐらい摂取してるけど、もう遅いか?
と、ここでやっと今の状況に気付き、心臓が急激に速度を上げた。
祐紀が僕の上でもぞもぞと動く度、髪が僕の首筋をくすぐる。
「……ゆう……」
祐紀に体にそっと手を回し――いかん! まだ、飛ばすわけには……!
「私は……今のままじゃ、ダメなのか?」
祐紀の声は微かに震えていた。
「そんなことないよ?」
「付き合いだして一年三ヶ月……同棲始めて三ヶ月になるのに……何もないなんてヘンじゃないか……」
ソレね……。そういえば、言ってなかったね……理由を。
女にそこまで言わせるなんて……最低だな、僕は。
仮装の参加理由といい、その件といい、僕は肝心な部分をいつも言ってない。昔から……変わってない部分かもしれない。そういう性格なのかな?
そんな性格のせいで祐紀が不安になっているのなら、ちゃんと言って、分かってもらわないと……じゃないと、祐紀もずっと、不安なままだよね。
僕は、自分の思い、考えを隠さず言った。
「それは祐紀のせいじゃなくて、僕のせいなんだ。この身体……祐紀だけには見せたくない。だから、何もしない……できないんだ、今は。本当のこと言うと、手術費用、今年中に貯まりそうなんだ。だから、もう少し待ってくれる?」
祐紀はゆっくりと顔を上げ、涙を浮かべた瞳で僕を見つめてきた。
「え?」
「驚かそうと思って黙ってた。それが返って祐紀を苦しめてたなんて、気付かなかった……ごめん……」
そっと涙を拭ってから抱きしめると、祐紀は安心したように僕の胸に顔を埋めてきた。
――祐紀を傷つけるような隠し事は、もうやめよう……。
僕はそう心で誓いながら、祐紀をそっと抱きしめた。
しばらくして、祐紀がお腹すいたと言い出したので一緒に夜食を取る事にした。
祐紀は自分の前に並べられたメニューに不満があるらしく、しかめ顔をこちらに向けた。
「何でおかゆ……」
文句を言えるまで回復したみたいで、少し安心した。だけど、ここで甘やかす訳にはいかない。
「あれだけ食事抜いて、急に食べても胃が受け付けなくて吐いたりしたら、元も子もないでしょ? キミは女の子なんだから、体は大事にしないと……」
健康で元気な赤ちゃんが産めないぞ!
とまでは口に出さなかったが、僕はそんなことまで気にしていた。……いや、祐紀がいなければ、僕の存在理由がないんだ。
キミがいなければ……。
「……うん……」
やけに素直な返事をする祐紀――僕の心臓は鼓動を早くなり、間もなく思考力が衰えてくる。そして口は、勝手に喋り出す。
「それと、恥ずかしくて言わなかったけど……祐紀のドレス姿見たいという本当の理由は……」
ここで祐紀と目が合い、僕をマジマジと見つめてくるからそれ以上言うのが恥ずかしくなって、やめようかとも思ったけど……先ほど隠し事はやめようと決めたばかりなので視線をそらしてから続けた。
「……け……っこんしきまで……待てないからで……」
声を飲みながら、またしてもフライングなセリフ。言ってる最中に顔や耳がものすごく熱くなった。顔から火が出そうとはこんな状況のことか。
「……なんだ、そんなことだったんだ。それなら先に言えば良かったのに」
意外な反応に驚いて顔を上げると、祐紀は照れの混じった笑顔を浮かべ、食事を口に運びはじめた。
その姿を見て安心していたら……、
「スキあり! アジフライげっちゅー!!」
「あああ!!!」
夜食のアジフライを一匹、強奪された。
まぁ、ここまで回復すれば心配ないな。
おいしい、おいしいと言いながら満面の笑顔でアジフライを頬張る祐紀――当たり前のことなのに、いつもの彼女が一番いい……そんな風に思った。