15・釜 引越ししようぜ!


 結局、あまり寝られなかったじゃないか……。
 すごく眠かったはずなのに、祐紀が真横で寝てるんだから、血圧上がっちゃって……マジで理性ぶっ飛ぶかと思った。
 何もしてないからな! 何も……いや……ウソついた。ちょっと触った……少しだけだぞ! ……服の上からだからな!(ウソをつけない、正直人間)


 少し寝てたのか? 目を開けると、隣にいたはずの祐紀はすでに布団には居なかった。
 祐紀を探すように、辺りを見回しながら起き上がると、キッチンの方から声を掛けられた。
「おはよ。コーヒー飲む?」
「……んー」

 やっぱり朝はコーヒーですね。
「はい、どーぞ」
「…………」

 出てきたコーヒーは――缶コーヒーだった。未開封で缶ごと。
「何……?」
「コーヒーでしょ?」
「贅沢は言わない! ドリップがいいなんて言わないけど、せめてインスタント出すんじゃないのフツーさぁ……」

 祐紀は、驚いた顔をして、
「そんな、肩で息しなきゃいけないほど本気で言うなよ」
 ――言いたくもなるわ! 缶コーヒーだぞ?
「……インスタント、ウチにないし」
 オイオイ、いつも缶コーヒーかい! どう文句を言おうとこれ以上いいものは出てこないことは明か。仕方なく缶コーヒーを飲むことにした。
 あ、そろそろ林田――いや、藤宮んとこに電話でも掛けとこうかな。
 と思ったら、チャイムが鳴った。
「誰だろう……?」
 祐紀は玄関の戸を開け、硬直した。
 ドアを中途半端に開いた所で祐紀が止まったせいで、ここからはまだ人物が見えなかったが、訪問者の手で全開に開かれ姿がはっきりと見えた。
 そして僕を見つけると、こちらに向かって陽気な声を上げた。
「グッモーニン、鎌井くん。すっきり爽快かい?」
 藤宮……?! ナゼ?
 止まったままの祐紀のこともあり、コーヒーをテーブルに置くと僕も玄関の方に出た。
「なんで居るって分かったの?」
「車の音。昨日、ここに引っ越すって言ってたし、帰った気配なかったし、車あるし……」
「……あ、そう」

 まぁ……その通りですわ。
「ちょっと鼻の頭触らせてみ……」
 人の顔を覗き込んで、人差し指で、鼻の頭をグリグリと……潰れる!
「あんだよ、一体……」
 視線をよそに向けたまま何も答えない。鼻を触る指先に集中しているようだ。
「割れてますね――処女じゃないね?」
 祐紀が一瞬、ビクッっとしたのを僕は見逃さなかった。
「処女って……僕、男とはヤったことないよ?」
「祐紀ちゃんはどうかしらん?」

 祐紀の方に向き、リンダスマイル……気味悪い。
「いや、私は――」
 祐紀は慌てて顔の前で手を振る。――アヤシイ……ってか、そんな鼻の頭が割れてる、割れてないで解るもんか?
「遠慮しな〜い、処女チェック〜」
 アブネー!!!
「昨日は何もしてないよ」
 困っている祐紀を助けようと思っていったのに――
 祐紀はすでに鼻を触られている。グリグリと。
「あらぁま! リンダびっくり!」
 キモイから、カマバージョンはやめれ!
「夜中に襲われたんじゃなくって?」
「ええええ?!!!」

 こっちがビックリしたわ! でも、声に出して驚いたのは祐紀の方だった。
 真っ赤な顔で、僕と藤宮の顔を交互に見て、目が泳いだと思ったら、座り込んで頭を抱えている……。
「わかるもんなの〜?」
「でたらめ。高校の時に流行ってたのを思い出してね。当たらないんだよね、これ……でも反応からして……」

 経験済み?
「処女!」
 そっちか!!
 祐紀に人差し指を向け、まるで探偵が犯人見つけた! って感じの満足気な表情だった。
 いや、コイツ、演技派だからな……どこかが演技だった……カモ?
「では早速、車貸せ」
 切り替え早すぎ。急に話題を変えるなよ。
 藤宮は満面の笑顔で、早くよこせと言わんばかりに手のひらを差し出している。いや、まてよ? 祐紀の免許のこともあったし、一応確認しといた方がいいだろう。ヤツの車はオートマだし。
「念の為、免許証を確認させていただきます。出せ!」
 こちらも手を出し、頂戴と催促した。
「レンタカー屋かよ……」
 ウォレットチェーンをジャラジャラ言わせながら、お尻のポケットからサイフ、それから免許証を取り出し、僕の手に乗せる。
 藤宮孝幸――本籍、住所は千葉県――僕の実家の隣の市か。高校が同じでもおかしくない範囲だな。さて、免許の条件はと――記載なし。合格。あ、原付と中免も持ってるんだ。
「もういいか?」
「はい、どうぞ」
「なんでいちいち確認するんだよ……」

 文句を言いながら、サイフをポケットに戻した。
「祐紀が、オートマ限定だったから」
「……最近、オートマ車多いからな。間違っても俺の車、運転させるなよ! いいな?」
「ペーパードライバーに、でかい車運転させるような、自爆行為はしないよ」

 車の鍵は――癖でいつも通りポケットを確認してみると中に入っていた。昨日、そのまま寝てしまったらしい。(あまり寝てないけど)
 その鍵を藤宮に差し出すと嬉しそうに受け取り、眺めていた。
「で、引越しは、手伝ってくれないんだね……?」
 そうだと予想していたのだが、笑顔のままこちらに向いてくる。
「手伝う気満々。エロ本でも探そうと思ってね。とりあえず、ちょっとその辺回ってくるから、準備できたら、俺の車の前で待っててくれ」
 キーリングに指を入れ、鍵をクルクルと回しながら、去っていく。ちょっとマテ!
「ターボタイマー付いてるから、エンジン切れね〜って、電話してくるなよ!」
「はいは〜い!」

 かなりご機嫌な声だ。本当に分かってんのかが心配だ。
「直……?」
 心配しているような祐紀の声。
「何?」
「エロ本なんて、ないよね?」

 こんなかわいい子が、そんなモノ読んでいる筈はないよね? とでもいいたいのか、頭を優しくナデナデされている僕。
「……僕、これでも健全な男なので、ないわけがないでしょ?」
 無言で、がが〜ん、ショック!! な顔。付いているものは余計なものまで付いてるし、溜まるものは溜まる。ソッチまではいじってないし、ホルモン剤も金が掛かるから最初から飲んでないし。
「さっさと出る準備しないと……」
 GT−Rのエンジンが掛かる音が聞こえた……と思ったらすぐに止まった。
 アイツ――やったな?
 すぐにベランダに出て、車を停めている方を見た。また、エンジンを始動している。
「エンスト、かっこわり〜」
「ウルセェ! ミッション久しぶりなんだよ!」

 窓を開けて罵声を飛ばしたあと、再び動き出す――が、カックンカックンと、ぎこちない動きをしていた。
 ……貸したのは失敗だったような気がしてきたけど、こっちも車を借りる身だし、うかつな事を言って、貸さない、とか言われても困るし……なんとか無事に帰ってくることを願うしかなかった。

「昨日、お風呂入ってないから、シャワーでも浴びる?」
「ああ、僕、後でいいから、先にどうぞ」
「そ。……ここ、絶対開けるなよ! 部屋から出るなよ!」
「はいはい」

 このアパートはトイレと浴室が別々ではあるが、脱衣室はないからキッチンで脱ぎ着することになるからな……。あ、玄関!
「ちょっと、玄関……」
 戸を開けた後で、『開けるな』と言われていたことに気付いた。
 祐紀は、Tシャツを脱いで、これからズボンを脱ごうかな〜という状態のまま、こちらを見たまま一時停止。

「開けるなって言ったでしょー!!! ばかー!!!」
 勢いよく、戸を閉められた。
「悪気はない! ごめん……玄関の鍵、閉めたかって言おうと思って……」
「……閉めてなかった……」

 僕が見る前に他の誰かに見られたら、泣くぞ……。
 しかし、スポーツブラか……色気のかけらもないな……。
 僕の方がいいの付けてるぜ! って、自慢にならないぞ。


 祐紀がシャワーを終え、僕も入る。
 自分の身体を見る度につくづく思う。
 『余計な事をしてしまった』と――。


 着替えはないから、また同じ服を着て、準備は整った。
「じゃ、行こうか」


 藤宮の車の前で、ヤツが帰ってくるのを待っていた。
 数分後、ご機嫌笑顔で帰ってきた。
「わりぃわりぃ。鍵渡しとけばよかったな?」
 外で待ってたこっちは、作業前に汗だく状態だった。
「サンキューな。また今度貸してくれ」
 そんなに仲の良い関係ではないと思っていたが、あえてツッコまないでおこう。
「では、出発しますか。鍵貸して」
「……お前運転か?」
「ウチ、知らないだろう? ナビめんどくさいし」
「……そうだな」

 藤宮から鍵を奪い、車に乗り込む。
 後部座席に乗り込んだ藤宮は、運転席の方に乗り出しお決まりのセリフを吐いた。
「足、届くか?」
 それはつい最近、祐紀がやったぞ。
 助手席の祐紀はクスクスと笑っていた。
「そんなにチビじゃない!」
 ちくしょう……好きで小さい訳じゃないんだから! もうちょっと身長伸びないかなー?


 アパートに到着し、とりあえず先に、大きな物を運ぶ。
「祐紀はこの辺の物を箱に詰めてくれる? 適当でいいから」
 キレイに入れてくれるなんて思ってないけど。
「適当? りょーかいっす」
「僕らだけで大きいものを先に運ぶから」
「えー、ミーは?」

 なんで一人称が『me』なんだよ?
「後部座席全部起こして、荷物入るだけ詰めたから、乗る所がないんだ」
「あ、ヒラヒラスカートはっけ〜ん! ……祐紀ちゃ〜ん」

 僕が以前使用していたスカート……ヤツが何をしたいのか、バカでも分かる。
「穿け!」
「いいいいいいいやぁぁぁぁ!!!!」

 思いっきり首を横に振り、僕の方を見て『助けてくれ』って顔をしたけど……にっこり笑顔の僕を見て察したようだ。
 『悪あがきはムダ』だと。

「……」
 スカートを穿いた祐紀は初めて見た。
「似合わねぇ〜」
「ウルサイ!」

 腹を抱え、笑い転げる藤宮。僕は――
「う〜ん、オカズにはならないね〜」
「もう、二度と穿かないからな!」

 まだ早すぎたかな……。


 第一陣、車内にて――
 助手席で、タバコを吹かす藤宮。
「一番軽いメンソールのタバコって何?」
「何だ急に。タバコ? 金貯めるんじゃなかったのか?」

「そうだけど……」
 僕は何て言えばいいのか考えていた。
「イ○ポになるぞ?」
 率直に言われると何とも言えない。
「いや、そのぐらいでもしないと……ねぇ……」
 襲いかねない。
「そこまで我慢することないんじゃないのー? ヤりたきゃヤっちまえ」
「……僕がイヤなんだよ」

 個人的な理由でそう決め、約束したんだ。我慢するしかない。
「ハッカの飴でも食っとけ。安上がりだし、タバコは癖になる」
「……そんなもんか?」
「いざという時に使えなかったら俺に言え」

 相談にでも乗ってくれるのか? 意外といいヤツだな。
 ちょっと見直したぞ。
「大笑いしてやるから」
 前言撤回! やっぱりヤなヤツだ!


 車に詰め込んだものを部屋に運び、ある程度配置し終わって、再び僕のアパートへ戻る。

 それから、三往復し、引越し作業完了。
 あとは、新しい部屋の片付け。

「手伝ってくれて、ありがとな……」
「……無愛想が服着て歩いているような人間だったのに、本当に変わったな……」

 また言うか。一応、最低限の礼儀はわきまえてますけど?
「夕飯頃までに片付け終わると思うから、みんなで焼肉でも行かない? おごるし」
「カノンは?」

 ……出た!
「ああ、一緒でいいけど……あまりにも見苦しいことをしたら、お前の顔面に焼き目が付くと思っててくれ」
「じゃ、GT−Rで行こうな〜。出る前に電話してくれ」

 GT−R、えらくお気に入りのようだ。……それもあるけど、酒飲みたいだけじゃないか?
 引越し業者に頼む程ではないだろうが、この出費、かなり痛い目に合いそうだ。


 片付けも終わった頃には丁度いい時間になっていた。
 藤宮兄妹を誘って近くの焼肉屋に流れ込み、運転手の僕と未成年の妹ちゃん以外はビールを豪快に消費。それを見ていた妹ちゃんの顔は、『今日は一段と激しそう……』という心配でもしてそうだ。はいはい、ごちそうさま。

 夕食も終わり、部屋に戻る。が……
「あははははははははははははははははははははははは」
 笑い上戸の祐紀。ここまで飲ませたことなかったから、初めて知ったよ。
「ああもう、わかったから、少し黙っててよ……」
 何がそんなにおかしいのかさっぱりわからない。僕が全然飲んでいないので、更に。
「ちょっと、ビール買いに行って来る……」
「やーだーやーだー行っちゃやだー」

 あまりの壊れっぷりに付いていけないんですけど? 僕にも飲ませろよ。
 買いに行こうと立ち上がった僕の腰に抱きついたまま離れてくれそうにない。
「ちょっと、祐紀!」
 振りほどこうとしたがバランスを崩してしまい、豪快に――
「…………」
 押し倒した格好だ。
 祐紀の表情はちょっとビックリ、でも嬉しい……押し倒された女の顔だ。

 ――ヤりたきゃヤっちまえ。

 今日、藤宮に言われた事が脳裏をよぎった。
 人間、素直が一番だろう……。
 今までだって散々我慢してきた。
 別に、悪いことしてるんじゃないんだから……。

 手は無意識に、見た目よりも細い腰、わき腹あたりをそっと撫でる。
 一瞬、身体を強張らせるが、何の抵抗もしてこなかった。



 ――もう、どうにでもなれ……



「う…………」
 ???
 思いっきり跳ね飛ばされ、机の角に、後頭部強打!
「……っぅぅぅぅ〜」
 言葉に出来ない激痛を、ぶつけた後頭部を押さえて堪える。
 なんだよ……いいとこなのに……。
 文句でも言ってやろうと思ったが、部屋に祐紀の姿はなかった。
 怒った……のかな?

 という心配無用。
 トイレから、
「……うえぇぇぇぇぇ……」
 ムードのカケラもない、イヤな音が……。


「ひゃはははははははははははははは、ごめりんこ。続きすっか〜? ……あははははははははははははははははは」
 両手を広げ、胸に飛び込んで来いとでも言うのか?
「いや、もういい……」
 祐紀が部屋に戻って来た頃には、そんな気分はすっかり冷めていた。


 次の日、言うまでもなく祐紀は二日酔いで潰れていた。

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