011 突撃! でんじゃらす・がーる☆ 【北都―3】


 自室に避難したつもりが、逃げ場のない迷路に迷い込んでいた。
 同じ所ばかり、ぐるぐる回って――答えは出てこない。

 いっそこのまま……逃げてしまおうか。キミと二人で、オレたちを引き離さないどこかへ――。

 そんな場所なんて、どこにもない。
 あればいいのに……。だったらこんなにも悩まずにいられるのに……。
 まだ子供のオレには、どうにもできない。
 出逢いが早すぎた? やはり、出逢うべきではかなったのではないだろうか……。

 止められない想いにもがき、苦しんでいた。


 ふと気付けば、今日も残すところあと三十分になっていた。
 流れる時間すら忘れて、彼女のことを考えていたのか? それとも、目を閉じている間に眠っていたのか。
 ベッドに仰向けで寝転んだまま身動きもせず、吐き出されるのは溜め息だけ。何もやりたくない――憂鬱な気分だった。

 そういえば、前にも同じ症状になったことがあったかな……。
 あの時は、出遅れて……思い出したくない。
 過去は過去。現在は現在。また同じ過ちを繰り返してしまうようなら……オレはそういう人生しか歩めないのだと諦めるしかない。
 まだ風呂へ入っていないことに気付き、ようやく体を動かす気になった。
 明日で彼女との繋がりが完全に途絶えてしまう訳じゃない。
 オレたちは、どこかで繋がっている。
 途切れないものが、ある。
 それがおじさんと、あのおばさんだというのがちょっと……微妙にイヤだけど、自分の想いがどうにもならなくなった時、頼れる人がいる。
 微妙におばさんだけには頼りたくないけど。絶対に面白がるから。
 ま、とりあえず、風呂に入って気分転換。明日は模試があるんだから、こんなことばかり考えているわけにはいかない。
 オレがどう望んでも、なるようにしか……ならないさ。

 着替えを持って部屋を出ると、廊下の電気は消えていて静まり返っていた。
 全員、寝てしまったらしい。
 廊下の電気スイッチを暗闇から探し出して点けると、柔らかい色の光が廊下を照らしだした。しかし、静かなまま。
 ということは……少しイヤな予感。浴槽が空になってそうな……。早く入らなかったオレが悪い。その時はシャワーで我慢しよう。
 イヤな予感は見事にはずれ、ぬるくなった浴槽にゆっくり浸かり、今日の疲れを落とした。

 およそ三十分の入浴を終え、一通り服を着た後に濡れた頭をタオルで乱暴に拭いた。そのタオルをそのまま肩に掛けて洗面所の扉を開けると――。
 大きな溜め息が聞こえた。
 それからドアを閉め、電気のスイッチを押す音。静かな廊下では普段は気にならない音でも大きく聞こえた。
 焦るな。とりあえずここは普通に出て、普通に扉を閉めるべきだ。
 落ち着け……オレ。
 オレも彼女も、部屋へ戻るにはすれ違わなければならない。
 それが……最後のチャンスだ。
 自分の部屋の方へ向くと、彼女と目が合った。
 彼女は何か言いたげに口を開きかけるが何も言わない。目も泳がせた後に伏せた。まつ毛がかすかに震えている。
 こういう時、どう声を掛けるべきなんだろう。
 どう言えば会話に発展するんだろう。
 そういえば、まともに話なんてしてないままだ。
 少しでも、キミを知りたい。表向きのキミだけじゃなくて、もっと内面を――。
 そんな願いが叶ったのか、自然な言葉が浮かんだ。
「まだ起きてる?」
 彼女は大袈裟に頭を何度も縦に振った。
「……うん……。ちょっと、眠れそうにない……かな」
 動作のわりにはおとなしい返事だ。
 眠れないのなら……いいよな?
「部屋に来る?」
 すぐ彼女は首を縦に振った。さっきみたいな大袈裟なものではなく、大きく一度だけ。
 オレは彼女の前を通り過ぎると自分の部屋の前へ行きドアを開けた。できるだけ普通に、いつものようにやった当たり前の行動だけど、内心――舞い上がりそうなほど嬉しかった。
 目で彼女に部屋へ入るよう合図してみたが……あー、目が笑いそう。
 部屋に入ると、彼女はぐるりと部屋を見回している。
「適当に座って」
 机の椅子に腰を下ろすと、オレはまだ濡れている髪を必要以上に拭いた。
 呼んでおきながら、特にすることを考えていなかったというか、考えてはいたんだけどこの状況で全部ぶっ飛んだというか……。何をやってんだろ、ホントに。
 手を止め、ちらっと彼女の方を見ると目が合った。
「ん? 何?」
 反射的にそんなことを言ってしまう。
 いや、呼んだのはオレなんだし、それって変じゃん。だからと言って代わりになる言葉が出てくるわけでもないけど。
 椅子に座るオレ。ベッドに背を預ける格好で座る彼女。オレが彼女を見下ろしているような状態だ。
 彼女は笑顔でオレの問いに答える。
 その笑顔は……オレだけのものにしたい、そんな願望さえも沸きあがってくる。
 しかし、彼女は視線を室内の至るところに泳がせた。
 何を見ているのだろう? なぜ、オレを見てくれないのだろう? やはり……彼女の想いはオレが望むものとは違ったのだろうか。
 もう今は、彼女へこの想いを伝えたいだけなのに……。
 ただの思い出にするつもりはないんだよ、オレは。
 この夏は――オレにとって、特別以外の何でもなんだ。
 キミが最初に、俺に言ったあの言葉は……何?
 聞きたい、キミの想いを。
 ――キミの声で、あれが間違いでなければ、もう一度。

 彼女は明るい表情でオレを見つめてくるので、その瞬間、心拍数が跳ね上がり、心臓の速さは継続する。
「ねぇ、そこにあるCDのアーティストって、どんな感じの歌なの?」
 机の向きから言うと右後方にある本棚。その一角に設けてある数少ないCD置き場を彼女は指差していた。
 その中のどれを指しているのかは分からないが、オレが聴くものと言えば、友達の間でも評価のいいものだし、特に自分が見つけてきて聞き始めた、というものとは違う。あくまで友人のオススメ程度だ。
 友達にもそう言って勧められたかな?
「どんなって……まぁ歌詞もいいし、耳にすっと入る感じがいいかな?」
 そうとしか答えようがない。確かに歌詞もいいし、個人的な理由かもしれないけど、耳に入りやすいものだ。
 彼女は少し困った顔で考えた後、
「オススメの一曲とかない? 聴いてみたいな」
 そう聞いてくる。
 聞かれてもピンとこない。時間を掛けて考えるのもおかしいとも思った。
「おすすめ……っていうか、最近、よく聴くのなら――」
 あるんだけど、オレの言葉を遮るように、彼女は言葉を発する。
「それ、それでいいから、聴きたい」
 何か、焦るように。
 時間がそう残されていないことは、オレにもよく分かっている。
 CDではなく、机に置いてあったデジタルオーディオプレイヤーに目を移す。
「じゃ……」
 左手でイヤホンに手を掛け、右手で小さなデジタルオーディオプレイヤーを操作して電源を入れ、再生。ディスプレイに表示される項目を今、一番聞かせたいと思う曲に変え、椅子ごと彼女との距離を詰め、イヤホンだけを渡した。
「この曲が一番好きだと思う」
 耳にイヤホンを付けたことを確認すると、その曲を再生させて、プレイヤーも彼女に渡した。
 オレが選んだ曲は――恋愛系の歌詞の曲。
 歌詞では結末がハッピーではないものだけど、その曲が、メロディが好きだった。
 その曲が終わったぐらいで、彼女も「結末が悲しい」なんて感想を漏らしたが、声を掛けれるような感じでも、会話をするような雰囲気でもないので、机の側まで椅子を戻した。
 その後も目を閉じてじっと、流れる曲に耳を傾けている彼女。
 机に肘を突き、手で頭を支える姿勢で、オレは彼女の姿を目に焼き付けていた。
 それから、数曲聴いたぐらいの時間が流れた。
 一緒にいられることが嬉しいのに、会話がないことが悲しい……何とも言えない時間だった。
「ご、ごめん。ついつい聴き入っちゃった」
 イヤホンを外しながら、慌てた様子でオレに向かって言う。
 もちろん、オレしかいないんだからオレに言うのは当たり前だ。
「えっと……」
 肩をすくめ、今度は困ったように言う。気持ち、頬が赤く染まっているのは気のせいだろうか?
 ……ああそうだ。あの曲――キミにも聴いて欲しい曲がもう一つあったな。
 オレは椅子から立って、少し距離を置いた彼女の隣に腰を下ろすと、彼女が手に持っているプレイヤーをオレに渡すよう手を出した。
「あと、この曲も結構好きかな」
 そう言いながら、聞かせたい曲のタイトルを探し、再生させた。

 口にできないオレの想いにも似たその歌を、彼女に聞いて欲しかった。
 そして、何かを感じて欲しかった。
 キミは、この曲をどんな気持ちで聴いてるの?
 横顔ではそれを窺い知れない。
 もっと近くでキミの顔を見たい。顔を上げたらきっと、困った顔をするんだろうな。
 彼女は先程より近くなったオレの気配に気付いたのか、最初は目だけをこちらに向けて、後から顔もゆっくりと向けてくる。
 そして耐えれなくなったのか、ふと視線を逸らしたのは彼女の方だった。

 ――オレだけのものに……したいと思った。
 オレだけを見ていればいいと思った。この瞬間(とき)だけでも。
 だから……。
「恒には……絶対に渡さない」
 キミは……オレが……。
 彼女は驚いたような表情でオレを見つめてくる。
 みるみる頬を、顔を、耳まで真っ赤に染めて。
 オレも彼女の瞳から目を離さない。
 キミの本当の想いを知りたいから……。
 オレは一度目を伏せて再び彼女を見つめ、ゆっくりとその距離を詰めた。
 抵抗されるなら、無理にするつもりはなかった。だけど、拒絶されることも怖かった。だけど、オレの想いを――知って欲しかった。
 言えないから、態度で示すことしかできないけど……。
 顔を傾け、互いの呼吸が唇にかかるぐらい近くなって――息を吸ったところで一度呼吸を止めて間もなく、唇に触れる感触に全意識を集中させた。

 憑かれたように、オレは何度も、何度も唇を重ねた。貪るように。
 彼女の体を抱き寄せて、より深いものまでも求めた。
 強く抱きしめて……今にも押し倒しそうなぐらいの勢いで、彼女への想いの全てをその行為だけにひたすら込めた。

 まだ、足りないけど……ゆっくり彼女から顔を離し、様子を窺ってみた。
 彼女の瞳はしっかりとオレを捕らえて離してくれそうになくて、それが急に恥ずかしくなってきた。
 何かがぷっつり切れたのか、オレは急に落ち着かなくなり、自分が今したことが恥ずかしくなって、顔が紅潮したように熱くなった。
「――っ、はぁはぁ」
 ……いや、彼女に至っては、呼吸さえも忘れていたらしい。
 何度も肩で大きく呼吸していた。

 しばらくして――呼吸が落ち着いた頃になって、彼女は急に口を手で覆い、思いっきり顔を逸らした。
 こういう時、どう対処すべきなのか、知るはずもなく――オレたちは黙り込んでいた。
 ベッドに縋って言葉を探したけど、特に何も出てきはしない。
 そして、十分単位の時間が流れた頃、彼女の方から口を開いた。
「あの……北都くん、今のって……」
 言葉はこれ以上聞き取れなかったが、オレへの問いだった。
 やっぱり、ちゃんと言わなきゃ伝わらないんだ。
 そう思えば思うほど、オレの唇は固く閉じられる。とても言える状態ではない。
 彼女の耳にはまだイヤホンが引っかかったままだ。
 囁くように言えたとしても、彼女の耳に届かなければ意味がない。
 オレはゆっくりとそれに手を伸ばすが、彼女は肩をすくめて身構えるような動きをした。それでも、耳に掛かるイヤホンをそっと外して床に置き、オレは言葉を発そうと思い肺を空気で満たした。
「オレは……」
 そこまで言ったところで息が詰まり先の言葉を口にできなかった。
 ――どうして言えないんだろう? 簡単なことなのに、うまく声にできない。
 何とか残りの空気を吐き出し、もう一度、ゆっくり、大きく息を吸い込んでみたが、どうしても言葉が続かない。
 もどかしい。
 焦ってばかりで何もできない自分がイヤになる。
 彼女の表情も何かを期待するものから悲しげなものへと変わっている。
 それでもオレをまっすぐに見つめてくれる彼女の視線に耐えられなくなって、オレは目を逸らして伏せ、顔も背けた。
 間もなく、オレの顔に向かって何かが伸びてきて、頬にそっと何かが触れた。
 触れてすぐ、それは一度離れ……今度は頬を撫でるようにそっと、やさしく添えられた。
 あたたかい手だった。
 これ……どういう意味? 哀れみ?
 それもまた、辛い。
 だけど、少しだけキミが見えた気がした。
 たとえこの想いが一方通行でも、キミはオレをひどく拒絶したりしないはずだ。
 傷つくことは怖いけど、キミにはオレの想いをちゃんと知ってほしい。
 だから……言うよ。
 オレはゆっくり顔を上げながら、頬に触れている彼女の手を逃がさないように包み込んだ。
 体の距離はそう遠くない。
 手は唯一の繋がり。
 でも心は……まだ遠くて、少しでもその距離を縮められるのなら……それだけでいい。
 頬に触れている彼女の手を顔から離しながら、反対の手を彼女の背中へ回した。抱き寄せはせず、オレはそっと彼女の肩に頭を預けた。
 顔が見えなくて、近くで彼女を感じていれば、言えるかもしれない。
 いや、言わなければならないんだ。
 ただ、一言でいいじゃないか。オレの想い――溢れてくる。抑えられない。
「……好きだ」
 それは、自然と紡ぎ出された。
 彼女もそっとオレの背に手を回してから、小さな声で言った。
「あたしも……北都くんが好きです」
 触れ合ったままの手は指を絡めるように繋ぎなおして、彼女の背に回したままの手には力がこもった。オレの背中に添えられている彼女の腕も強くオレを抱きとめ、肩にそっと顔を埋めてきた。
 ほんとに……夢のような、ふわふわとした心地のいい瞬間だった。
 何を話せばいいのか分からなくて、最初のうちは見つめあっては嬉しいのに照れ隠しに不自然な笑顔を浮かべることしかできなかった。頬を撫でたり、髪をすくったり、抱きしめて何度も唇を重ね、会話では得られない彼女を、オレの胸に、脳に刻み込んだ。


「誕生日っていつ?」
「一月十一日」
「あ、ゾロ目だ〜すごい。あたしは四月十一日……ん? 丁度、三ヶ月違いなんだー。それなのに学年が違うってのも変な感じだよね」

「血液型〜O」
「たぶんA」
「おお! 血液型占いでは相性いい方だね」
「う、占い?」

 彼女を部屋に呼んでから一時間ぐらい経って、ようやく、火がついたように話を始めた。
 つたない話を……。

「あたし、これでも妹と弟がいるんだよ」
「へー。三人兄弟なんだ」
「うん、妹が恒くんと同じ六年生で、すっごく冷めてんの。弟は五年なんだけど、ものすっごくナマイキで、ゲームばっかりやってんの。
 全然性格は違うけど、一つだけ姉弟に共通したものがあるのよ」

「え? 何?」
「姉弟全員、名前に『希』の字が入ること。瑞希、紗希、克希」
「そう言われると……うちって統一感ないな」
 親から一字取ったというのもない。恒以外は漢字で二文字というぐらいか?


 そんな、つたない話を続けていたが、ふと時計に目がいった。
「……三時過ぎてる。もう、寝た方がよくないか?」
 さすがにマズいと思った。
 明日、彼女は帰らなければならない。オレも朝から学校へ行かなきゃならないし……。ホントはもっと話したいけど――どうしてもっと早くに……昨日でもこうして彼女と話ができていたら、こんなに辛くなかったかもしれないのに……。
「……うん、そうだね。ごめんね、遅くまで。明日……っていうか、もう五時間ぐらいしかないけど、学校あるんだよね」
 彼女は悲しそうな顔でオレに言った。
 そんな顔されたら、余計に離れづらくなるじゃないか。だけど、引き留めることはできない。
「うん。五教科分の模試があるんだ。何もこんな時期にやらなくても……」
 『夏の暑い時期』ではなく、『彼女が帰る日』という意味で。
「五教科……ってことは、午後まであるんだよね?」
「……うん。たぶん……見送りには行けない」
 たぶんではなく、行けないんだ。彼女たちの帰る電車の時間と、模試終了時間は数分しか違わない。途中で抜け出さない限り、間に合わない。
 だから……もしかしたら、これが最後になるかもしれない。
「そっか……残念だけど、しょうがないよね?」
 弱々しい彼女の笑み。オレの胸がズキリと痛んだ。
「じゃ、あたし……部屋に戻るわ」
 ゆっくりと俺の隣から立ち上がり、背を向けたまま扉へと歩き、ドアノブに手を掛け、俯いて止まり、彼女は最後の質問をした。
「最後に聞いておきたいんだけど……今までに彼女、いた?」
「いない」
「じゃ、今も?」
「……いないって」
 二度も聞かれると、自分がいかにモテないか身に染みて痛いんだけど。
 どうせオレはモテやしませんよ。告ってみようかと思ったら、彼氏がいることが発覚し、諦めたのが数ヶ月前だったりするし、告られたことなんて一度もねぇよ。ああ、悲しい。
 今日、初めて告白ってのをしましたよ。つーか、色々……初めてですよ。……はぁ。
 彼女は笑顔でこちらを向いてきた。何か、吹っ切れたというより、喜んでる感じがするのは気のせいか? 逆にこっちが落ち込みそうだ。
「うん、そっか……へー。何だか意外だなー」
 勝手に何かに納得してる。ものすごく嬉しそうに。
「じゃ、おやすみ〜」
 彼女は笑顔のまま、部屋へと戻って行った。

 静かになってしまった部屋――余韻に浸っていても、虚しさだけが支配していた。

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