011 突撃! でんじゃらす・がーる☆ 【瑞希―5】


 出会わなければ、こんな思いはせずにすんだのかもしれない。
 出会ったから、こんなにも好きになった。
 初めて、心から愛する人に出会えたの。
 抱きしめられて、キスして……互いのことをたくさん話したあの夜の出来事は――流れ星のような一瞬。




 ――四日目、最終日。
 朝、目を覚ますと寝た時間の関係で九時を過ぎていた。
 北都くんはもう学校に行った後……最後に言葉を交わすこともできなかった。
 最後じゃないと信じたいけど……せめて、帰る前に話がしたかった。
 学校が終わる時間と電車の出発時刻は同じような時間。もう、会えない。
 哀しくて、悲しくて……目頭が熱くなり、涙が出そうになった。
 そのうえ、致命的なミスを犯したことに気付く。
 ――携帯番号とメアドの交換を忘れた!!
 サイアクだ。ホントに、布団に伏せてわんわん言いながら泣きたくなったわ。

 起きてすぐに少し遅い朝食を取り、帰る支度をする。
 客間で荷物の確認をしながら着替えをカバンに詰めていると、お母様が入ってきた。
「このハンカチ、瑞希ちゃんの?」
 お母様が持ってきてくれたのは、二日前――この辺りの案内をしてもらった時、北都くんに貸したものだった。
「あ、あたしのです」
 受け取ると、きっちりとアイロン掛けしてあって、かすかに残る洗剤の香りがした。
 ……ああ、昨日、北都くんからも同じ匂いがしたかな?
 急に切なくなった。
 ――会いたい。
「ありがとうございます」
 お母様にはできるだけ元気にお礼を言い、深く頭を下げた。笑顔を作れない顔を隠すように。
「……瑞希ちゃん、また、いつでも来ていいのよ?」
「……はい」
 とても嬉しいお母様の言葉。あたしは顔を上げずに頷いた。
 すぐに来れるような距離じゃない。受験生にとって、一番の追い込み時期になる冬休みは来れない。きっと春休みが来る頃には、北都くんの気持ちだって変わっているかもしれない。来年はあたしが受験生――そして、ここまでに掛かる交通費。
 容易く会いに来れない状況は変わらない。止まらない時間が、会えない時間が、きっと何もかもを変えてしまう。人の心を――。

 色々なことをぼんやりと考えていたら、昼になっていた。
 最後の昼食。
 北都くんは午後からも模試があるとかで、お弁当を持って行ったとか。
 今ごろ、ちょうど昼休みぐらいかしら?
 何を考えてるのかな? せっかく毎日勉強してたのに、寝不足のせいで発揮できてなかったら……。
「瑞希ちゃん、ホントに大丈夫?」
「……大丈夫じゃないかも」
 お母様とおばさんが口々に言う。
「はぁ……」
 あたしからはもう、溜め息しか出てこない。
 ゆっくり、ゆっくりと食事を口に運ぶ。
 ここに滞在できる時間は、あと二時間を切っていた。

 口から魂が抜けかけている、午後一時。お母様とおばさんが慌しく家の中を動き回っていた。リビングのテレビでは、昼ドラが始まる。
 今日は出掛けなかった恒くんも、同じリビングにいた。
「昨日の……冗談じゃなくて、本気だからね」
 少しスネた口調で恒くんが言った。
 それに対しての返事をしていないままだった。急なことだったし、北都くんがいたから言えなかったけど、今なら返事ができる。
 いくら、北都くんに似ているところがあっても、あたしの想いはもう揺らがない。
 あたしは、北都くんだけが好きだから。
「ごめんね、恒くん。気持ちは嬉しいけど、好きな人がいるから……」
 少しだけ気が楽になった。あたしは少し弱い笑顔で、恒くんに伝えた。
「……やっぱり。そうだと思った」
 恒くんは苦笑しながら言った。
 何? あたしってそんなに分かりやすい?
「でもさ、また遊びに来てよ。今度は遊園地とか一緒に行こ?」
「うん」
 あたしの笑顔もようやく全開に近づいた。
 そう、二度と会えない訳じゃない。いつか必ず、またここへ来るから……。


 電車の出発時刻三十分前――マンションから駅まで、徒歩でそんなに時間は掛からないけど、今日もものすごい猛暑ということもあり、お母様に車で駅まで送ってもらった。恒くんも見送りしてくれるということで一緒に乗っている。
 車の中で、事前に購入していたという切符をおばさんから渡された。
 すぐに駅に到着。改札前までお母様と恒くんが見送ってくれた。
 ――一番会いたい北都くんは、来るはずもない。
 改札を通る前、あたしは一度後ろを振り返り、お母様と恒くんよりもずっと向こうを見つめた。
 ――来るはずはない。
 それでも、探していた。
「瑞希」
 おばさんに声を掛けられ、我に返り、
「あ、うん」
 おばさんの方を向いて返事をした。そして、やはり名残惜しいんだろうな……もう一度、後ろを振り返っていた。
「おばさま……お世話になりました」
 そう言うと、あたしは改札を抜けた。
「また、いつでも遊びに来てね」
 あたしは振り返らず、ホームを目指した。


『間もなく、三番線に……』
 駅のアナウンスが、電車の到着を知らせる。
『黄色い線の内側までお下がりください』
 線路が鳴く金属音が徐々に大きくなり、電車が入ってきた。
 電車の起こす熱気を帯びた風が、あたしの髪をさらう。
 止まり、ドアが開き、降りてくる人。
 それが途切れると、おばさんは電車に乗り込んだ。
 だけど、あたしはホームから動かなかった。電車に乗ろうとはしなかった。
「瑞希、どうしたの? 早く乗らないと出発するじゃない」
「あたし……電車、一本遅らせます」
 おばさんは呆れもせず、少し笑顔を浮かべた。
「分かった。じゃ、次の駅で降りて、待ってるから」
『ピィ――――ッ』
 笛の音がして、ドアは閉まり、電車はゆっくりと走り出した。
 電車が巻き起こすぬるい風が……今のあたしには、気持ちよかった。

 ――電車が出て、誰もいなくなったホームは、とても静かだった。
 静けさのなかに響く足音――階段を急いで駆け上がる音だった。
 電車はもう出た後なのに、間に合わなかった乗客だと思った。
 あたしが、電車を遅らせてまで残った意味は、何だろう? 一体、何を期待しているんだろう。
 ホームの黄色い線の上に立ったまま、あたしは……何がしたいのだろう。
 自分がしていること、考えていることがおかしくて、目を閉じ、鼻で笑った。
 ――なぜ、こんなに虚しくなることをしてるんだろう? バカみたい。
 あまりにもバカすぎて、涙が出そう。
 目を開くと、自分の足が歪んで見えた。瞳から何かが落ち、少しだけ視界がはっきりして、また歪んだ。
「はぁ……はぁ……」
 階段を駆け上がってきた人だろうか、息を弾ませていた。
「瑞希!」
 ……あたし、ちゃんと名乗ったっけ?
 ずっと、『お前』としか呼んでくれなかったから、あたしの名前なんて知らないんだと思ってた。
 腕で涙を拭うと、あたしの名前を呼んだ声がした方をゆっくりと向いた。
 まだ、少しだけ視界がぼやけているけど、そこには北都くんが肩で息をしながら立っていた。
 会いたいがあまりに出てきた幻覚にしてはできすぎてる。制服みたいだし……。
 あたしはまだ、信じられないでいた。
 彼は疲れたのか、手を膝に突いて前屈みになっていた。
「つーか、何で……一人なんだよ」
「そ、それは、その……えっと……」
 理由は一つだけなんだけど。もしかしたら、来てくれるかもしれない、という賭けというか……。
「ま、でも良かった……。おかげで会えたから……」
 北都くんは体を起こすと、開襟シャツの中に空気を送り込むよう、シャツの胸元を掴んでバタバタとさせた。
 よく見れば、額には汗が滲んでて、こめかみの辺りから輪郭に沿って伝っていた。
 あたしはカバンからハンカチを取り出し、北都くんへと差し出した。
「あ、ありがとう」
 疲れのせいか、弱々しい笑顔で受け取り、使ってくれた。
「お願いがあるの」
「何?」
「いつか、そのハンカチを返しに来てほしいの」
 あたしたちを繋ぎとめる約束。形のある何かを、彼の元に残したかっただけなのかもしれない。
「……うん、分かった。いつか、必ず返しに行くから……」
「約束だよ。おばあさんになるまで待ってるからね!」
「大袈裟だな……」
「それからついでに、携帯番号とメアドも教えて!」
 もうそんなに時間もないし、勢いで言っていた。
「……オレも、今朝になって聞き忘れてたことに気付いたわ」

 まだ、誰もいないホームのベンチに並んで座り、携帯番号とメールアドレスを交換した。確認を兼ね、互いの携帯にワンコしたり、メールしたり……。気付けば、回りに人の姿が見受けられるようになった。
 残された時間はわずか。
 言い残したことはないか、必死に頭の中を検索した。
 ……何も、見つからない。何か、あるはずなのに。きっと、電車に乗って、ドアが閉まったら思い出すのね、お決まりの展開で。
 じゃ、せめて、あたしの想いをもう一度、言葉にして伝えよう? 今さら、恥ずかしがることもないでしょ。
 あたしは、言いたいことを喋るのに必要な量の空気を、肺に吸い込んだ。
「改めて、それと、直接言えるのはもしかしたら数年先とかになるかもしれないから、聞いて」
 北都くんはあたしを優しい瞳で見つめながら、軽く頷いた。
「あたしは……北都くんが……好きです」
 彼は目を細め、嬉しそうな顔をして、こう返してくれた。
「オレも、瑞希が好きだ」
 もう、その言葉だけで、十分だった。
 それから電車が来るまで、寄り添い、夏の暑さで汗ばんだ手を繋いでいた。

 駅のアナウンスが電車の到着を知らせる。
 繋いだ手に、力がこもった。
 ――離れたくない、と。
 金属音と共にホームへ滑り込んでくる電車。
 あたしはそっと手を離し、ベンチから立ち上がると、荷物を肩に担いだ。
 ――やっぱり、離れたくない。
 ここで北都くんと向き合ってしまったら、帰れない気がしたけど、あたしの体は彼の方を向いた。
 ひどく悲しそうな彼の顔を見てしまい、やりきれない気持ちが心を支配した。きっと、あたしも北都くんと同じような顔をしているのだろう。全く笑えない。最後ぐらい、笑顔で別れたかったのに……そんな、ドラマみたいな別れ方、あたしには……あたしたちにはできない。
 また視界が涙で滲む――やめてよ、北都くんの顔が見えないじゃない!
 懸命に手で涙を拭うけど、一向に止まる気配がなく、呼吸までおかしくなりはじめた。
 ――イヤだ。離れたくない!
 そっと、抱きしめられた。
「大丈夫だから……約束しただろ? 必ず、ハンカチを返しに行くって」
 そっと、子供をなだめるように、頭を撫でてくれた。
「だから……また会えるから……」
 北都くんは、かすかに震えていた。
「もう……泣くなよ。こっちまで辛くなるだろ……」
「っく……北都くん……」
 名前が呼べただけ、良かったのかもしれない。もう、言葉は何も出てこなかった。

 彼に背中を押され、乗りたくない電車に乗った。閉じた扉があたしたちを隔てた。
 電車が動き出した――彼の口は、何かを言っている。
 ドアにへばりついて、あたしは必死にそれを聞き取ろうとした。
 だけどあたしには、何も聞こえなかった。
 電車はスピードを上げる。ホームが途切れ、カーブに差し掛かり、次第に小さくなる彼を、駅を、やりきれない気持ちで、ただ呆然と目に映していた。
 涙が、視界を曖昧にさせるので目を伏せると――零れ落ちた。








 夏休みから二ケ月。
 北都くんとのメールで頻繁に鳴り続けていた携帯が沈黙した。
 北都くんは受験生。そんなことはお構いなしにあたしはメールを打って送信し、北都くんもそれに対する返信をしてくれていた。
 あの夜に話したこと、欠かさず続けていたメール――たったそれだけのことで、あたしは、彼のことなら何でも知っていると勘違いしていた。
 日に日になくなる話題。
 薄っぺらで淡白な反応の返事。
 あたしは、彼のことを何も知らないということに気付かされた。
 それでなくても彼は受験生ということで、こちらも気を使って気軽にメールを打ちにくい状況でもあった。
 離れている時間は、次第にあたしから何かを奪い失わせていた。
 あの日、北都くんはあたしが好きだと言ってくれたけど、今でもそうなのか……無常にも流れる時間があたしの想いまでも曖昧にしていく。
 本当はあたしのことなんて何とも思ってないのかもしれない。
 鳴らない携帯がそんな考えを一層強くさせる。

 あたしは北都くんが好きなのかな?
 北都くんは……あたしのことなんて、もうどうでもいいのかな……。
 あたしは、これからどうすればいいのかな……。


 それから高校二年が終わるまでに交わしたメールは年に数回。互いの誕生日や新学期の始まりを知らせるたり、特別何かがあった時だけ。
 最後は……そう。北都くんが卒業式を迎えた日だっただろう。
 話題は相変わらず見つからないまま、春休みになり、人生二度目の受験生になろうとしていた。


「あれ? そこ歩いてるのって、三組のまやちんじゃない?」
 友達と買い物に出て、昼食を兼ねた休憩で入ったファーストフード店の窓際席。隣に座る友達が外を見ながら驚いた声を上げた。
「どこ?」
「ほら、あそこ……」
 指差す先に、まやちんが確かにいた。親しげな呼び方をしたけど、学校で委員会が一緒になった時期があり、その時に少し話した程度。だから制服以外の服装の彼女を見たのはこの日が初めてだった。
 あたしの目には制服の時とは別人のように映った。何より、彼女は誰かと手を繋いでいた。ウチのクラスの男子――彼もまた、教室では見せたことがない笑顔で彼女に語りかけている。
「まやちんがあのヤマトくんと付き合っていたとは……何だか以外だねー」
「うん、そうだね」
「それに比べてうちらは……何とも寂しい身分か」
「……うん」
 あたしがいつも一緒にいるのは女友達。男も近寄れないぐらいの団結力があるとかなんとか。
 まぁ、そういう話が全くなかった訳ではない。それなりに言い寄られることだってあった。
 だけどあたしは……断り続けていた。瞬きのような一瞬の出来事だったあの夏を忘れられないでいた。
「瑞希はどうなの? あの、中二の時やたら熱を上げてた彼は」
「……うん……何というか……どうなんだろ」
「まだ連絡取ってるんでしょ?」
「……まぁ、年に数回」
「……やはり、エンレン(遠距離恋愛)は想いが朽ちやすいか……」
「朽ちてなんかない! ただ……」
 あたしから真相が聞きたいのか、そこまで誘導した友人は、興味津々な顔であたしの様子を窺ってきた。
「ただ?」
「……話題がない」
「ほらー。似たようなもんよ」
「似てない!」
 ムキになって反論すると、友人はクスクスと笑い始めた。
「待ってるのよね〜。メアドもケイバン(携帯番号)も変えず」
「うっ……」
 図星だ。
 確かにあたしはあの時からメールアドレスも携帯番号も変えていない。変えたくなかった。もしかしたら、いつか連絡をくれるかもしれないってどこかで思ってるから……。
 あたしが年に数回のメールを送信する時、不安に思うことがある。それは北都くんのアドレスや番号が変わっていること。それが分からなくなってしまったら、全てが夢、幻に変換されてしまう。それが一番怖かった。
 あたしからメールを出せば、必ず返信はあった。卒業式の日も、同じアドレスでの返信だった。それだけで、あたしの想いは現実に繋ぎとめられた。

 携帯の型を変えても、想いと同じで変えられないものがある。
 彼と唯一、繋がっているものだから……。

 深く溜め息をつくと、最後のメールの内容を頭の中に呼び出した。
 あたしの卒業おめでとう、という淡白な言葉に対し、北都くんの返信はいつもより長く、内容のあるものだった。
『ありがとう。お前よりは少し早いけど、忙しい春休みになりそうだ。
 大学は県外に出て一人暮らしになるから、部屋探しとか引越しとか――』
 大学受験のことは詳しく知らない。勉強の邪魔にならないように、メールは出していなかった。どこの大学に行くのかも聞いてみたけど教えてくれなかった。『県外』の一点張りで。
 少しでもここから近い場所ならいいんだけど……そう思いながら、心のどこかでは市内の大学じゃないかって勝手に思い込んでる。どうせ期待は裏切られることになるのだから、思うだけ現実との誤差に受けるショックは大きくなる一方なのだと……。

「瑞希、携帯鳴ってない?」
「……ん?」
 確かに、あたしの携帯が着信を知らせている。いつも鳴る着うたとは違う、聞きなれないものが流れていたから、友人がいなければ気付かなかったかもしれない。
「なつかしい曲ね。えっと……中二ぐらいのときじゃない? 流行ったの」
 ――そうだ。一人だけ指定着信音設定してるんだった。
 あの日、彼が好きだと言ったあの曲を。あたしがすぐに気付けるように、と。
 だけど、今まで一度もその曲は流れることはなかった。
 それが、今流れている、その意味はなに?
 サブディスプレイは発光し、彼の名を表示している。名前の頭には、メールの受信ではなく、着信を示すマーク。
 折りたたみ型の携帯を開くと表示されているのは名前の下に賑やかに踊る数字――携帯番号。
 心の奥が熱くなってくる。それは喉のあたりまでこみ上げてきて、鼻の奥をツンと痛くして、目頭に熱いものを残した。
 ゆっくりとした動作で受話ボタンを押し、電話を耳に当てた。その頃には着うたはサビの半分以上が流れていた。
「もしもし?」
 あたしは、電話の相手が本当に彼なのか、窺うように聞いた。
「出るのが遅い! もう諦めて切ろうかと思ったじゃねーか!」
 お怒りのご様子。
「ご、ごめんなさい」
 反射的に謝るあたし。相手は目の前にいないのに何度も頭を下げていた。
「まぁ、別にいいけど。……なんつーか……まぁ……実は今、近くまで来てるって言ったらどうする?」
 え?? 近くまで来てる? そりゃもう、もちろんダッシュで行きますよ!
「すぐに行く!」
「そう、よかった」
「何しにきたの? それともウソならあたしが過度に期待する前にウソだと言った方がいいわ」
「……嘘じゃない。駅にいる。何しに来たって言われても……そうだな、ハンカチを返しに来た、ぐらいにしておこうか」
 ハンカチ? 中二の夏、別れる前に渡したもの。いつか必ず返しに行くという約束をさせた、一枚。
 それだけのことで本当に来るなんて、思いもしなかったどころか、すっかり忘れていた。
 返すに悪い意味は含まれてないよね? 嬉しいはずなのに、少し不安にもなった。

「うん、駅でいいの? ……分かった。たぶん二十分は掛からないと思う」
 あたしは携帯を閉じると半分以上残っているハンバーガーを口に押し込み、
「むーむー!!」
「はいはい、飲み物どうぞ」
 友人が手渡してくれたジュースを流し込み、あっという間に完食。
「ということなので、あたしはこれからマッハで駅に向かわなくてはいけなくなりました!」
「そうだろうと思った。まぁ、彼によろしく」
 とあたしに向かって敬礼してくる友人に向かい、あたしも敬礼で返す。
「はいっ、了解しました!」
 カバンを持ち、トレーを片付けようとしたら、
「いいよ、わたしがやっとくから」
 友人の言葉に甘え、あたしは「ありがとう」と言い、店を出ると外に停めてある自転車で駅へ向かった。

 ゆっくりこいでる余裕なんてなかった。駅まで全力で、立ってペダルをこぎ続けた。
 駐輪場にわざわざ自転車を止め、髪を整えながら駅に向かって歩いた。すれ違う人、ベンチに座る人、立って何かを待っている人、その中に北都くんがいないか探していた。
 ――外では見つからなかった。駅の中にいるのだと思い、入り口ドアをくぐろうとした時だった。

「瑞希?」

 あたしが通り過ぎてしまったベンチから名前を呼ばれ、まだ治まっていない心臓が一度、大きく跳ね、一瞬、呼吸が止まった。
 声がした方をゆっくりと向く。
 大きな荷物を横に置いた男が、あたしを見て、笑顔を浮かべた。
「つーか、全然変わってねぇ〜」
 指差されたあげく、笑われてる。
「な!?」
 嬉しいんだけど、何だか悔しい。
「あ、あたしのどこが全然変わってないのよ!」
 あれからずっと、髪は伸ばしてるし、身長はほんの少しだけ伸びて、もう止まったけど。体形の管理にだって気を使い、多少だけどお化粧とオシャレも覚えた。
 それから……もう少しであたしは十八歳になるんだから!
「どこがって……全部? あの時とほとんど変わってない。全く別人になってたらどうしようかと思ってた。……安心した」
 それなら、北都くんは……変わりすぎだ。
 まず、気付けなくて素通りしちゃったぐらいだし。座ったままだから予想だけど、身長もかなり伸びてる感じがする。声はそのままだけど、落ち着きがあるというか……。総合評価は『カッコよくなりすぎ』だ。
 ベンチから立ち上がり、カバンを担ぐ仕草だけでも、全然違う。
「とりあえず、この辺りを案内してくれない? しばらくこっちに住むことになるから」
「……は?」
「四月からここの大学に通うんだ」
「き、聞いてないぃ!!」
 あたしは嬉しいをあっさり通り越して、ただただ驚くだけ。北都くんはそんなあたしがおかしいのか、クスクスと笑っている。
「そりゃ、驚かそうと思って言わなかったからな」
 北都くんがあたしの横に並ぶ。中二の夏に会った時のまま止まっているあたしの中の北都くんとは、全然違った。
 頭一つ分ぐらい身長が高くなってるから、見上げすぎで首を痛めそうだ。
「あ、そうだ。忘れないうちにハンカチ返しとく」
 と、彼はポケットを探ってあたしのハンカチを出してきた。
「これはものすごいご利益があったよ。ありがとな」
「……ご利益?」
 あたしは北都くんからハンカチを受け取り、胸に押し当てながら聞いた。
「それがあったから、頑張れたというか……何というか……」
 北都くんは曖昧に言った。その件は想像にお任せってやつかな?
「まぁ……どんな形でもいいから、瑞希の近くにいたかったというか……」
 どきーん。本日、二回目。
「もう、あたしのことなんて、どうでもいいんじゃないかって思ってた」
「まさか……そう簡単に忘れるぐらいなら、好きになったりしない、だろ?」
「うん、そうだよね。あたしも同じ……」
 想いは、通じ合ってる。あの日から変わっていない。
「とりあえず、昼食だ!」
「えー、あたし、さっき食べたばっかりなのにー」
「ほら、案内係り、この近くにある食事ができるところへ案内しろ」
「……はーい」
 そっと、自然に手を繋いで、あたしたちは歩き出した。


 ウォーミングアップはこれでおしまい。
 あたしたちは、ようやくスタートラインに並んで立ち、歩き始めたばかり……。




 北都くんが通う大学って、ウチの父さんと母さんが出会った学校なんだって。
 それから……北都くんが一人暮らしをするアパート。少し前に新しく建て変わったけど、そこは、父さんが大学生から、結婚して少しの間まで住んでたアパートがあった場所なの。
 そのアパート前を通るたびに、父さんか母さんが言って懐かしがってたわ。
 あたしも頑張って大学に入って、北都くんと一緒に通えたら……すごくステキだと思うの。
 それから……離れていても一途に想う心は、母譲りかな?


  <瑞希編 終わり>

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