011 突撃! でんじゃらす・がーる☆ 【北都―1】
彼女はまるで嵐のようなものを起こして、あっという間に去っていった。
中学三年の夏、数年ぶりにおばさんがやってきた。姪だという少女を連れて。
リビングのドアを開けると、前回見たときと大して変わっていないおばさんと、見たことない女の子がいた。
「こんにちは、おばさん」
「おおー北都、ひさしぶりー」
挨拶をすると、おばさんは相変わらずのテンション。
で、なぜか女の子の方はオレをじっと見つめている。もし、目からレーザーが発射されるのなら、そりゃ大変なことになるぐらい、見られている。
「この子、私の姪で真部瑞希……って、瑞希?」
まなべみずき? 誰だよ、それ。つーか、初対面の人間をそんなに見つめてどうするつもりだ。
もっと驚くべきことは、彼女の第一声だった。
「どうも。ただいまご紹介に預かりました、真部瑞希でございます! どうぞ、結婚を前提にお付き合いをお願いしたいです」
頭がおかしいとしか、思えなかった。
その日はキッチンとダイニングもあるリビングでしか彼女と顔を合わせる機会はなかったが、その度に、こっちの具合が悪くなりそうなほど見られた。
……オレの何かがおかしいのだろうか?
黙って見られるのはかなり不快だった。
とにかく、この女とはあまり一緒にいるべきではないと思ったものの、いつも通り部屋にこもって勉強をしているふりをして、それを楽にしのいだ。
受験勉強なんてものは、ほぼしていなかった。
友達の家へ遊びに行くには時期が悪く――夏休みから始めなければ志望の学校に入れない! と焦る親が原因で、塾や家庭教師を頼りに受験勉強を始めるやつも多かった。
その辺りに関しては無関心というか、両親は無理矢理オレに押し付けるようなことはなかった。
――無理なく無駄なく、マイペースでいいから、自分が好きなことを見つけて、道を切り開いていくことが大切なのよ。
と、母。
――レールの上だけをまっすぐに走らされる、親に押し付けられた人生なんて、自分の人生じゃない。親の人生の延長とか願望でしかないよね?
と、そんな経験をしたような言い草の父。
その言葉は、とても嬉しかったし、そんな両親を失望させない程度に頑張ろうとも思った。
志望の高校は、市内では進学校で有名だった。
志望校のレベルは高い方だろうけど、自分のストレスにならない程度の勉強しかしない、そんな受験生。
はっきり言うと、夏休みだろうと、普通に学校がある時期であろうと、オレの勉強方法と生活は、去年も今年も、きっと来年も変わることはないだろう。
朝になれば、弟に付き合ってラジオ体操にも欠かさず行っていた。
おばさんと変な女が来て二日目。今日も部屋にこもるつもりだったのだが、昨日の夕食の時、その女にこの辺りの案内がなんとかという話が出たので、一応、そのつもりでいた。
涼しいうちに、と思い勉強をしていると、母さんとおばさんは、じーちゃんちに行くとかで出かけた。
――今日の宿題は終了。この調子で進めれば、盆までには全て終わるだろう。
オレは広げていた問題集を閉じ、机の角にひとまとめにして置いた、その時だった。
「お兄ちゃん、瑞希さんが散歩に行こうって」
やっぱり来たか……。
ドアを開ける前から喋っている恒。いつもの二倍は嬉しそうな声をしている。
「はいはい。それより、せめてノックぐらいしろ」
「まぁ、細かいことは言わないで、早く行こっ。玄関で靴履いて待ってるからね」
と言ってドアを閉めた。
やはり強制か。断るスキもなかった。どうせ、断っても強引に連れて行かれそうな気はするけど。まぁ、しばらくまともに外へ出てないからいいか。
机に手を突き、どっしり腰を下ろしていた椅子から立ち上がり、クローゼットに向かった。
外を見ると今日も強い日差し――タンクトップなんかで出たら肩が焼け、夜には体が煮えるように熱くなって寝られなくなるかもしれない。
適当に羽織るシャツを選んで袖を通し、クローゼットを閉めて部屋を出た。
玄関を出るとむっとした空気が体にまとわりつき、すぐに汗が滲んできた。
こんな天気で散歩だなんて、間違ってる。
そう思うだけに留め、オレは玄関の鍵を締めた。
エレベーターは少しだけマシだった。エントランスを出ると、アスファルトから湧き上がる熱気、上からは太陽の刺すような日差し。熱のサンドウィッチ、オレは具だ。
とにかく暑い。マンションから出たばかりだというのに、オレは汗だくになり疲れきっていた。
夏の日差しが奪う体力は予想以上だった。特に最近、ひきこもってばかりだったオレにはキツすぎる。このまま回れ右して帰りたかったぐらいだ。
あまりの暑さに思考力低下。
「あー、さっきやったところ忘れられそう……」
朝、涼しいうちに勉強しても、昼に出たら意味がない。どのページまでやったか、その辺の記憶さえも曖昧になり始めていた。
「たまには外に出なきゃね〜」
それはそうだが、こんなに晴れた日には二度と出ねぇぞ。
「……日焼け止め忘れた」
……女って、何でそんなことをいちいち気にするんだろ?
こんな所で突っ立ってたら、脳が程よく半熟になって使い物にならなくなりそうだ。
「とりあえず、コンビニが一番近い」
そこで涼んで、どこに行くか考えよう。
だいたい、目的もないのになぜ出てきたんだ、オレは。
「こちらが有名な大手コンビニ、駅前店です」
たまに利用している程度。
店の中は外とは比べものにならないほど、快適な気温に設定されていた。いつもエアコンの効いた部屋にこもりっぱなしなので気にしたこともなかったのに、この暑さのせいか、コンビニの店員が少し羨ましく思えた。
適当に店の中を回っていると、彼女はレジでペットボトルのお茶を購入して、恒はお菓子売り場やアイス売り場をもの欲しそうに見つめながらうろうろしていた。
スーパーで買った方が実は安いということに気付き、オレはできるだけコンビニでは物を買わないようにしている。それに、長時間外をうろつく気もないので、何も買わずに店を出た。
店内で少しだけ回復した気力と体力は、あっさり熱気に奪われた。
コンビニから歩いて見えてきたのは、
「右手に見えますのが、最寄の駅です」
徒歩十分以内にある。
更に歩くと、ちょっと高いがおいしいと評判の、
「そこのありますのは、洋菓子店です」
今日も若い女性がたくさん列を作っている。うちの母もこの店のケーキが好きだし、常連なんだけど。
次に見えてくるのは、
「あちら本屋」
店舗の大きさ、品揃えは市内一だというウワサだ。
そして、どこにでもある、
「交番」
これもどこにでもある、
「パチンコ」
それからしばらく民家ばかりになり、フェンスで囲まれた空間が姿を現す。三年前まで通っていた小学校だ。
ここで、恒が駆け出した。
「ここ、僕が通ってる小学校だよー」
大きな校門の脇にある小さな門から敷地内へと進入。いや、侵入になるのか?
まぁ、グラウンドで遊んでいる小学生らしき人も数人見えたし、たぶん大丈夫だろう。こんな所で長居するつもりもないし。
三年ぶりに見た運動場――遊具も在学していた時から何も変わっていないのに、今のオレには少し小さく見えた。
高学年にならなければ遊べなかった遊具、競争率の高いブランコはだいたい女子が占拠していた。人気なのだが目を回して嘔吐するヤツが続出する地球儀――三年という月日は、短いようでとても遠い昔にも感じる。
運動場に入り、恒が真っ先に向かったのはブランコだった。夏休みということもあり、全てがら空きだ。しかも、見た目がいくら幼く見えるとはいえ、小学六年生の弟と、中二の女子が並んで乗っているというのはどうかと思う。
「瑞希さん、どっちが高いか競争だよ〜」
お前ら、年齢を考えろ。
オレはそんな二人から視線を逸らし、溜め息をついた。
ここに突っ立っている訳にもいかないので、辺りを見回して影を探し、避難した。
風は相変わらずぬるく湿っているが、ひなたに比べると影はひんやりとした空間を作り出していた。
「恒〜」
「あ、やっぱり恒じゃん」
「一緒に遊ぼうよ」
「うん!」
せみの鳴き声を聞きながら休憩していると、ブランコ辺りからそんな声が聞こえた。どうやら、学校へ入る前にグラウンドで見た人は恒の友達だったらしい。そして、恒たちの話し声は徐々に離れていく――。
おいおい、客はほったらかしか。
見た目同様、恒はまだまだガキだ。自分のことばっかり考えてないで、回りの状況も気にしろよ――って、オレもまだガキか。
声変わり途中の半端に低い声と甲高い声が遠くから聞こえる。それに混じって耳に入るのは足音――地面を踏み、蹴る。ゆっくりとだがこちらに近づいてくる。オレから二メーートル弱離れた場所で止まると、足音の主である彼女はそこに腰を下ろした。
提げてきたカバンを開け、顔や首あたりを取り出したハンカチで押さえるようにして何度も拭いていた。そんなに頻繁に拭き取らなければならないほど汗でも出るのだろうか。買ったお茶で水分補給している分、それも出ているだけか?
そんなしょうもないことを考えている間にも、オレの額からは汗が引くどころか、じわじわと滲み出ていて、大きな粒にまで成長したそれは流れ、顎の下までくると雫を落とした。
残念ながらそれらを拭くものは持っていない。洋服で拭くのはイヤだし、顎の下で気持ちの悪い感触を残した部分だけ、手の甲で拭った。
「良かったら使って」
隣に座る彼女の方を向くと、照れたような笑みを浮かべてオレにタオル地のハンカチを差し出していた。
…………。
ぶっ飛んだ女だとしか思っていなかったが、意外と気がつくタイプ?
まぁ、せっかくだし、断るのもあれだ。人の厚意を無駄にするわけにもいかない。
「ありがとう」
呟くように言うと、そのハンカチに手を伸ばし――思わずそのハンカチをじっと見つめてしまった。
いまどき、名前をちゃんと書いてる中学生がいるんだ……。
有名なキャラクター絵が描かれているハンカチには、しっかり「真部瑞希」と書かれていた。
額から顔の横側、鼻――と順番に拭いている最中、視線を感じたので横目で確認してみると……隣からの視線がアツかった。
ハンカチの心配だろうか?
顔を彼女に向けると、なぜか少し引くような動作。しかし、じっとオレを見ている。
そんなに大事なハンカチなのか? なら貸さなきゃいいのに……。
「……何? ちゃんと洗って返すから」
彼女は何度も首を縦に振って、それに答え、不自然な動きをしながらカバンからお茶を取り出してキャップを開ける。そして、口をつけた。
「……あー、やっぱりコンビニでお茶ぐらい買ってくればよかった」
この日差しと気温。外に出てからそんなに時間は経っていないのに、喉はカラカラだった。こういう時、無性に人が持っているものが欲しくなってしまう。今はまさに冷たいお茶。一気に流し込みたい。
彼女は口からペットボトルを離すとじっと見つめて何かを考えていた。
しばらくすると、顔を真っ赤にして、片手にお茶を持ったままの手で顔を押さえ、横に顔を振りはじめた。
蓋の閉まっていないペットボトル内でお茶が暴れて零れそうだ。それより、泡だったお茶が非常にマズそうだ。欲しくない。
つーかお前……今、何を考えてた!!
そんな感じで、ここにいてもすることはないし、暑いし、喉も渇いたことだし、案内するって言ったって行く所はこれ以上ないし。仮に中学校まで行ったとしても、部活中の連中に何か言われるのも癇に障る。……さっさと帰るに限るな。
暑さのせいで思っていた以上に体力と気力を消耗していたらしく、重くなった腰をゆっくりと上げ、伸びをしてから借りたハンカチをポケットに押し込むと服についた砂を払った。
まだ首を横に振り続けている女はどうしたものか……置いて帰って迷子になったり、脱水症状でぶっ倒れられても困るな。
「オレ、帰るけど、お前どうする? 恒と一緒でいいなら、一人で帰るけど」
しかし、このマヌケで意味不明な行動をしている女を見ていると、一緒に帰りたくはない、という思いがこみ上げてくる。
「あ、帰る」
こういう場合は即答かよ。つーか、帰るのか、オレと。
そうなると、友達と遊んでいる恒に言ってから帰らないとな。
恒たちがいるのは影もないグラウンド中央部。こういう時に限って、運動場がやたら広く感じるものだ。オレは恒に聞こえるぐらいの声で言った。
「恒、オレら先に帰るからな」
「は〜い」
「昼にはちゃんと帰って来いよ」
「わかってる〜」
遊びに夢中でこっちを一度も見ることなく空返事。本当にわかってんのかどうだか……。まぁ、言わなくても昼には帰ってくるだろう。お腹すいた〜って少々甲高い声を発しながら。
自宅までは来た道を歩いて戻るだけ。来る時に一通り辺りのことを言った分、喋ることなんてなかった。
同い年ぐらいの女子と何を話せばいいのか分からないし、共通の話題といえば、おじさん、おばさんのことぐらいで他には何も見つからない。
ここでおじさんたちの話をしたって意味もない。それにとにかくこの暑さと喉の渇き。喋る気力さえもないのが現状。話題を探すところまで脳も回っていなかった。
ただひたすら、自宅の冷蔵庫に入っている冷えた麦茶を目指し、歩くのみ。
帰って真っ先に向かったのは、キッチンの冷蔵庫だった。
一杯目の麦茶をグラスに注ぐと一気に飲み干し、二杯目を入れ、それを一口含んでからペットボトルを冷蔵庫に戻した。
ちなみに、この夏休み時期は麦茶の製造が消費に間に合わないという理由で再利用されているペットボトルであり、中身は母が沸かして作ったものであることを補足しておこう。
ひんやりと気持ちいいグラスを手に食卓テーブルの椅子に座り、隅に置いてあった四つ折りにされている新聞を広げてみた。
一面をざっと見てから裏返し、テレビの番組覧で気になる番組がないかチェックした。それから新聞を開き、気になる記事だけを目で追って読んだ。
しばらく新聞を読むのに集中していたので、今ごろになって気付いた。
テレビもついていないリビングダイニングに二人きりだったという状況に。
今さらするような会話は相変わらずない。だからと言って自室に戻るにはタイミングが悪すぎる。
時計に目をやれば、十一時を過ぎたところ。昼食には少し早い。
オレは一通り目を通したたんだ新聞を再び開き、読んだ部分を復習するように読み返した。
三十分がやたら長く感じた。
株情報をじっと見ていたせいで目が疲れた。
何度も見上げた時計はようやく十一時四十五分を指した。
「……昼か……」
溜め息と共にオレの口から独り言が漏れた。
退屈すぎて逆に疲れた表情の彼女に向かって「メシにするか?」と聞くと、目を丸くして、うん、と答えて目を逸らした。
オレはテーブルに広げられている新聞をたたむと、それがあった場所に戻してから、椅子を立ち、キッチンへ入った。
先ほど冷蔵庫内を見たとき、昼食の作り置きは見当たらなかった。母さんからも何も聞いていない。
選択肢は二つ。作るか、買ってくるか、だ。
しかし、買ってくるには金が必要だ。彼女が気を使うかもしれない。
簡単な料理なら作ることはできるし――炊飯ジャーを開けると三人分より多いご飯がある。冷蔵庫には卵、ベーコン、ピーマン。たまねぎもあるな。あとはケチャップと塩コショウ。
よし、材料は揃っている。できそうだ。
シンク下から一番大きいフライパンを取り出した。
「チャーハンでいい?」
「え? 作れるの?」
――バカにされた? それとも驚かれただけ?
ここは円滑に物事を進めるためにも後者の方にしておこう。
まぁ、バカにされたところでムキになって反論できるほどの腕もないし。
「まぁ、家庭科でちょっとやったぐらいで、そこまで自信はないけどね。恒には評判いいし……たぶん大丈夫」
見た目はアレだが、味に関しては今までクレームがついたことはない。
振るには重いフライパンをヒーターに乗せると、手を洗いながら材料の下ごしらえの順番などを頭の中で整理した。
「何か手伝おうか?」
やる気満々の表情で勢いよく立ち上がる彼女。しかしオレは、
「いや、いいよ。テレビでも見といて」
そっけなくその厚意を蹴飛ばす。
だって、二人が同時にみじん切りを始めれば早いかもしれないけど、それはまな板が二枚ある場合のみ。ウチでは無理だ。
野菜は一度洗ってからみじん……切り。
みじん、みじん、みじん……。
――トントン……トン…………トン……トン。
細かく、細かく……。
――トン……トントン……トン。
オレには無理だ。
コーンの粒ぐらいの大きさだが……ピーマンのみじん切り終わり。
問題はたまねぎだ。目にしみるからイヤなんだよな、コレ。
……よし。
いや、よくない。
テレビの方を向いていればいいのに、なぜあえて反対側であるオレを見ている。
そんなに心配か? 食えないものが出てくるとでも思ってるのか?
つーか、見られてると気になって、手までスライスしてしまいそうだ。
「……あのさ、そんなに見ないでくれる?」
「――!!」
そんなあからさまに、困ったハニワみたいな顔されてもなぁ……こっちも困る。
たまねぎを切るとどうして目が痛くなるんだ。誰か、教えてくれ!
対処方法は知っている。冷凍庫で目を冷やすといい。家庭科の調理実習で、あまりの痛みにたまねぎ係が全滅したことがあって、帰って母さんに聞いたらそう教えてくれた。おじさんの受け売りらしいけど。
切る回数を減らしつつ、ひたすら目の痛みを我慢して、コーン粒より一回り大き目のみじん切りが出来上がった。
それから最後に、ベーコンも不慣れな手つきで適当に切り刻んだ。大きさはバラバラだ。
フライパンを熱し、卵、具。火が通ったらご飯を投入。程よくほぐれたらケチャップと塩コショウで味を調えて完成。
三枚の皿に均等に盛り付けると、皿の脇にスプーンを置いた。
北都特製チキンライス、スプーン添え?
……まぁいいか。ネーミングなんてどうでもいい。腹に入ればみな一緒。
チキンライス入りの皿を二つ持ってテーブルに行き、彼女の前に一つを置いて席に着いた。
両手を合わせ、小さな声で「いただきます」と言ってからスプーンを手に取り、すくって、口に運んだ。
――ん。見た目は悪いが味は良し。まぁ、オレ好みの味付けだが。
だけど……そこの女、なぜ食わずに見ている。そんなに見るな。食欲が後退するぞ。とっとと食え!
「……味見はちゃんとしたって。普通に食えるから」
彼女はオレの声で我に返り、両手を胸の高さで横に振りながら、頭も横に振る。
五往復ぐらいで頭の振りだけをやめると、オレとチャーハンを交互に見ながら彼女は言った。
「そうじゃなくて……すごいなーって思って。あたし、ここまで作れないし……」
……手伝うとか言ってたくせに、作れないのかよ。頼まなくてよかった。
彼女は振っていた両手を合わせ、「いただきます」と言うと、ようやく食べ始めた。
ひとさじ目を口に入れ、噛み始めて間もなく、彼女は体をビクっと震わせ、目を見開き「んん!」と唸った。
その反応は美味いのか、マズイのか……どっちだ。
ゆっくり噛んで、飲み込むと、彼女はものすごい満面の笑みで口を開いた。
「おいしい。すっごくおいしいよ」
それだけ言うとがっついて食べ始めた。
「そ、そう……かな?」
つーか、すごい食べ方だな……おい。
オレは手を止めてそれを見ていた。あまりにもすごい勢いで食べるので、目が離せなかった。
――ガタン。パタパタ……
玄関が閉まる音と長くもない廊下を走る音。恒が帰ってきたようだ。
オレはスプーンを置いて椅子から立つと、恒のチャーハンを取りに行く。
「ただいま〜。お兄ちゃん、ご飯ある?」
ドアを開けて入ってくる恒の顔は走って帰ってきたのか真っ赤で、かなりの量の汗を流している。
「あるけど、先に手を洗ってこい」
「分かってるって〜」
そう言いながらキッチンへ入る。
恒の昼食をテーブルに置き、食事を再開しようと思ったとき、
「おかわり!!」
スプーンを咥え、空の皿をオレに差し出す女。
「……はぁ?」
ものの一分ぐらいで全部食べたのか!? オレはまだ一口しか食ってないっていうのに。しかもおかわりだと?
もちろん、オレが彼女に向けて発した言葉は、呆れ混じりだったけど……嬉しかった。オレの料理はおかわりしたくなる味みたいだから、マズくはないんだ。
「おかわりはないから……オレの分を少し食えば?」
三分の一ぐらいを空になった彼女の皿に移してやると、
「うわ〜ありがとー。ごめんねー」
また嬉しそうにスプーンを口に運び始め――あっという間に完食。
満足げな笑みを浮かべて両手を合わせ、「ごちそうさまでした」。
オレと恒が食事を終えたのは、彼女が食べ終わった五分後だった。
昼食が終われば片付けをしなくてはならない。
シンクに放置したままのフライパン、しゃもじ、刻んだ具を入れていた皿、そして人数分の皿とスプーン、お茶を飲むのに使ったグラス――そう多くはない。
適当に水で流し、食器洗い乾燥機に放り込んでおけば、あとは機械が勝手にやってくれるし、特に苦になる作業ではない。
食卓テーブルから食器を運んでいると、彼女も自分の皿をシンクまで持ってきて、
「あたしが洗ってもいいかな?」
なんて聞いてきた。
……まぁ、何かを手伝いたいってのはよく分かるんだが、特に不要なんだ、それは。
「いや、適当に汚れ取ったら……この中に入れておけばいいだけなんだけど……」
流し台の隣にある引き出し――食器洗い乾燥機を開けながら言うと、彼女の表情はみるみる曇らせ、肩を落とした。
どうにかしなきゃな、これは。
皿の汚れを水で流すぐらいしかすることはないけど……、
「ま、頼むわ」
って言ったら、彼女の顔はぱっと晴れ、なぜか敬礼をしてきた。
「了解しました!」
片付けのことは彼女に任せ、オレはグラスにお茶を注ぎながらリビングでテレビを見ている恒に釘を刺した。
「勉強するから、静かにしろよ」
「はーい」
テレビの方を向いたまま返事をしたから、空返事だな。
まぁ、あまり騒ぐ方でもないからそんなことを言う必要は特になかったし、勉強するつもりなんてない。読みかけの本の続きを読むぐらいだ。静かな方が集中して読めるし……。
オレはグラスを持ったままエアコンが効いて居心地のいいリビングダイニングから出ると少しむっとする廊下を歩き、自室へ入った。
カーテンは閉めておいたが窓から射す日差しのせいで室温は廊下より少し暑かった。
部屋に入ってすぐにエアコンの電源スイッチを押した。
本棚から一冊の本を選ぶと椅子に腰掛け、しおりの挟まっているページを開き、読み始めた。
文章を脳内でイメージ映像として形成していく。オレはどんどんその物語へと入り込んでいった。