011 突撃! でんじゃらす・がーる☆ 【瑞希―3】
お昼前。
年頃の男子と女子がふたりきり。
静かな部屋。
ひーはーひーはー。
窒息死しそうです。
北都くんは自分の部屋にこもって勉強でも始めるんだと思ってました。
しかーし、リビングで新聞を見ながらお茶を飲みつつくつろいでいる。
なぜ新聞!
せっかく、ふたりきりだというのに会話なし。だから余計にこの部屋の空気が重い。そして苦しい。
いつもと同じスピードで流れている時間も、ものすごくゆっくりと流れているように錯覚する。
そして、気付いたこと――あたしは、勢いばっかりで本番に弱い。
今がチャンスなのに……。
横目で北都くんの様子を伺うばかりで何もできない。
高鳴る胸の音――この想いを、無駄に募らせるばかり。
何もできない、あたし。
新聞に目を落としていた北都くんが急に顔を上げ、壁の高い位置にある時計をじっと見つめた。
「……昼か……」
よくある独り言の一種であろう。それは、あたし個人に向けたとは思えない言葉だった。
「メシにするか?」
今度はあたしに向かって言っている。こちらに顔を向けて。
北都くんと視線が合った瞬間、あたしの心臓はものすごい音をたてた。それこそ、この部屋にいれば聞こえるんじゃないかってぐらい、強く、激しく……。
め、メシって、ご飯? 昼食だよね、うん、分かってる。そのぐらい理解できる程度には脳みそが動いてる。
「あ、うん」
反射的に答えたものの、そのぐらいしか言えない。いや、まさか、そんなことを言ってくるなんて、予想もしていなかったとも言う。
北都くんは読んでいた新聞を丁寧にたたむと、テーブルに手を突いて立ち上がり、キッチンへと向かった。
……。ん?
前もって出掛けることが分かってたんだから、お母様が作り置きでもしていてくれたのかな? それをレンジでチンして、昼食……だと思ってました。
北都くんは冷蔵庫と炊飯器の中身を確認したあと、シンク下から何かの金属音。鉄でできた物を取り出しながらあたしに言った。
「チャーハンでいい?」
……え? それって、作るってことー!?
ああ、あたしって何て幸せな女なんでしょう。好きな人の手作り料理を食べられるだなんて。
もぅ、幸せすぎて、幸福死できます……。
――じゃなくって!
「え? 作れるの?」
驚きのあまり、まるでバカにしたような言い方になっていた。決してバカにしている訳ではないけど、北都くんは男だし……って、それは偏見か。
だからと言って、あたしに昼食を作るような技量はないんだけど。むしろ、できない。無理。
そんな感じでちょっと自己嫌悪して反省したりしてたんだけど、北都くんはあたしの発言を気にもせず、普通に、穏やかに言葉を紡いだ。
「まぁ、家庭科でちょっとやったぐらいで、そこまで自信はないけどね。恒には評判いいし……たぶん大丈夫」
なんて言いながら、先ほど取り出したフライパンをクッキングヒーターに乗せた。
恒くんに評判がいいってことは、何度か作ったことがあるってことだよね? それも、恒くんに。……憎らしい。いや、えと……羨ましい、か。
そんなことはどうでもいいって。ここでボケっとしてたら、とんでもなく気の利かない女子になってしまうじゃないか。
あたしだって、得意な方じゃないけど……。むしろ、苦手の範囲。だけど、そうも言ってられないでしょ!
「何か手伝おうか?」
そう言うのが常識であり、気の利く女の子ってところをアピールしてみたり。まぁ、普段はそんなことしませんけど。
だけど、『具材切って』って言われたら、頑張って切りますとも。指まで切り落とさない程度に。
そんな感じで手伝う気満々で立ち上がったんだけど、
「いや、いいよ。テレビでも見といて」
なんて言われて多少ショックを受けたのは言うまでもなく、がっかりしつつ、ゆっくりと腰を下ろした。
……残念だ。非常に残念だ。キッチンに並んで、初めての共同作業なんです〜、というのを、少々思い描いていたので……勝手に。
……あたし、邪魔ですか?
冷蔵庫から材料を取り出し、手際よく……とはちょっと言いがたい手つきで具材を切っているのだろう。ふぞろいでスローな音が、キッチンから聞こえる。
――トントン……トン…………トン……トン。
テレビなんて、見ている場合じゃなかった。
真剣な表情でそれらを切る北都くんの顔に見とれていた。
やはり刺さるような視線で気付いたのか、手を止めると曇った表情をこちらに向け、こう言った。
「……あのさ、そんなに見ないでくれる?」
――!! ウザい?
そこまで言われてないのに、そう捕らえたあたしは、少々ショックを受け、誰も見ていないのに勝手に喋っていて、映像を映し出しているテレビの方へと向きを変えた。
――嫌われちゃ、元も子もない。
予想以上に、あたしの押しは弱くて当てにならないし。勢いだけよね、ホントに。
結局は実行できない自分が……何とも情けない。
ここまで来た理由……分かってるのに、まだ、何もできてない。
ただ、想いだけが強くなった。
それから、フライパンで炒める音がして……作り始めてからおよそ三十分経った頃にようやくテーブルに並んだ。
ケチャップライス……いや、チキンライスと言うべきか。失言でした。
本人はみじん切りにしたつもりであろう、具……ちょっと大きめ。自分だってできないのに、失言です。
チキンライスというネーミングなのだから、鶏肉が入っていると思ったらそれは間違いです。ベーコンでした。……ベーコンライス……ポークライス? ごめんなさい。
せっかく作ってくれたものをじっと見つめて観察したあたしが悪ぅございました。
「……味見はちゃんとしたって。普通に食えるから」
はっ! 食べ物に手を付けず、じっと見つめるという異常な行動に、違う方に解釈されてしまった! 違う、違うの〜!!
「そうじゃなくて……すごいなーって思って。あたし、ここまで作れないし……」
母さんが出掛けていないときに何度か作ろうとしたことはあったけど、うまくいかなくて、イラついて、放置。それを妹が手際よく調理して……。
あたしって、どうも料理とか、掃除とか苦手なのよね。
――はっ! 主婦に向いてない!
ぬぬ〜、克服せねば……。
帰ったら頑張ってみよう……帰りたくないけど。
いやいや、そういうのを考えるのは後回しにしよう。せっかく、北都くんが作ってくれたチャーハンが冷めてしまう。
あたしは両手を合わせた。
「いただきます」
スプーンを利き手に持ち、大きく口を開けずに食べられる分だけすくって、口に運んだ。
もぐ、もぐ、もぐ……ん!!
料理系のアニメのごとく、背景や体に稲妻が走る――ありきたりなイメージ映像。
こっ、これはっ!!! ――お決まりのセリフ。
すぐにでもおいしいって言いたかったけど、口に入っているものは飲み込んでから喋りましょう。ってことで、急がず、焦らず、ちゃんと噛んで、味わって飲み込んだ。
「おいしい。すっごくおいしいよ」
尊敬の眼差しで北都くんをまっすぐ見つめたあと、すぐに視線は手元へ。
「そ、そう……かな?」
おいしい、おいしいよぉぉぉぉ!!
やめられない、止まらない、まるで某お菓子。
「ただいま〜。お兄ちゃん、ご飯ある?」
「あるけど、先に手を洗ってこい」
「分かってるって〜」
「おかわり!!」
あたしは空になった皿を北都くんに向けて差し出していた。
「……はぁ?」
北都くんの呆れた声と顔があたしに向けられているけど、そんなことも気にならないぐらい、チャーハンはおいしかった。
恒くんの昼食を減らす訳にはいかない、ということで、北都くんは自分の食べかけをあたしのお皿に少し分けてくれた。
ごめんなさい、ホントに……。だけど、おいしいんです。だから、もっと食べたいんです。
他人のご飯まで食べちゃって……食いしん坊でごめんなさい。
う〜む、これはあたしのイメージダウン?
昼食を終え、食器の片付け。
そこまで北都くんにさせては申し訳ないので、皿洗いぐらいこのあたしが!! キッチンに食器を持っていくとき、あたしが名乗り出てみた。
「あたしが洗ってもいいかな?」
「いや、適当に汚れ取ったら……この中に入れておけばいいだけなんだけど……」
流し台の隣にある引き出しを開けたと思えば、なんと! 食器洗い乾燥機!!
あたしって……ホントにダメだ。穀潰しとでも呼んで下さい。だけど、こんな些細なことでもやらせてください。そうでもしないと、ダメが加速して取り返しのつかないことになりそうです。
「ま、頼むわ」
「了解しました!」
すぐキッチンから立ち去る北都くんは、テレビを見ている恒くんに向かって、
「勉強するから、静かにしろよ」
と言い、自分の部屋へ戻っていった。
……やっぱりチャンス逃した、あたし!!
テレビでやっていることを話題にしつつ、恒くんと一緒に居ます、in リビング。
……当初の予定とは全く違うこの現状。
いえいえ、不満ではないですよ。そりゃ、贅沢を言えば不満だけど、仕方のないこと。相手は受験生ですもの。あたしみたいに不真面目な学生さんではなかっただけなのです。
だけど、部屋にこもって勉強ばかりして、それでいいのかな?
なんとなくテレビを見つめ、恒くんが振ってくる話題に答え……こんな所で何をやってるんだろう、と思ってたりする。
同じことばかり考えていると、無意識に溜め息を吐き出している自分に気付いた。
「瑞希さん……聞いてる?」
「あ、いや……ごめん。何の話だったっけ?」
何かを言われる度に返事はしていたものの、どういう内容かなんて、実は覚えていなかったりする。
「だから、付き合うなら上下何歳ぐらいが許容範囲? って話」
どういう話をしてるんだ、小学生! 都会の子は違うのか、そういうのが……。
そんなことはともかく、質問に答えねば……。彼氏にするなら……やっぱり、下よりは同じか年上の方がいいけどなー。
「そうだねー、十四歳以上かなー?」
「…………」
「ん? どうした、恒くん」
「僕って、範囲外?」
「あ、いやぁ……」
あたしの回答からすれば、そうなるよね、うん。
けどさ、よく考えてみてよ。恒くんはまだ小学生であって、そういうのには……あーうー。どんどん言い訳がヒドい方向に……。
「僕が今、瑞希さんに好きですって言っても無駄なんだよね、それって」
「え?」
は? 何だって? え、ええ――!?
無駄というかですね、困りますね、それは。イキナリすぎだし。
いつもはニコニコしている恒くんがだよ、顔を引き締めてまっすぐこちらを見つめているとだね、つまりはその……やはりご兄弟なわけで、多少似ているところもあり、ゾクっとドキュンしちゃったわけですよ。
なんでやねん! ――って、自分でありきたりなツッコミまでも。
「いや、あの、それについてはですね……」
何も考えずにそういい始めたものだから、言葉が続かない。
えーっと、うーんと……保留? いや、もっといい言い方はないのか!!
「恒、言い訳に困ってるじゃないか」
びっくー!!
あたしは反射的に声がした、対面型キッチンの方を向いていた。
いないと思っていた人の声がいきなりすると、普通は驚くって。それより、いつ来たの? キッチンで何やってるんです……
――がちゃーん☆
うわぁ!!
グラスが割れた音ではなく、シンクに落ちた感じの音なんだけど、それで更に驚き、目を見開くあたし。
「……な、何だよ。手が滑っただけで、そんなに注目すんな!!」
そりゃ、ついつい見てしまうでしょ。あんなハデな音がしたんだから……。
それにしても、今の北都くんの顔ってば……自分でも驚いたらしく、目を丸くしてたし、注目されたのが恥ずかしかったのか、ものすごく慌てていた。
冷静で沈着な人なんだというイメージが定着しつつあっただけに、新しい北都くんを発見したような気がして、ちょっと嬉しかった。
同時に、そんな様子の北都くんが、何だか急におかしく見えてきた。
「わ、笑ってんじゃねぇよ!!」
「いや、だって……」
ムキになったりもするらしい。失礼だけど、カワイイとか思ってしまった。
「あー、もぅ!! 黙ってテレビでも見てやがれ!!」
「はいはーい」
あたしは返事だけして、笑いをこらえつつ北都くんを見ていた。
落としたグラスは角度を変えながらヒビ割れがないかチェックし、問題がないことを確認すると冷蔵庫から出した麦茶を注いだ。
何気ない、自分でもやったりするありきたりな行動なのに、ついついじっとその姿を見ていた。
用事が済むと、北都くんはまた部屋にひきこもり――リビングには恒くんとあたしだけ。
先ほどのこともあり、今までのような楽しい会話なんてできず、ぎこちなくなってしまった。
――意識してる? 誰を? 恒くん? 違うよ、それは……たぶん。
――冗談かもしれないじゃない。もし、本気だったら……。
――あと二日。どう過ごせばいい?
本来の目的は――まだ果たしていない。……果たせそうにもない。
これじゃ、ここに来た意味がないじゃない!!
……いつもの『あたし』らしくない。