6・秋〜November Rain U


 雨が降っている。
 ぼーっと外を眺めるだけで、今日一日が終わった。
 ――せっかくの休みに、何やってんだ、俺は……。
 明日は一日中、学園祭の準備だし、イヤでも会わなきゃならないだろうし……。
 ――こんなことになるぐらいなら、最初から……。
 また、同じことばかり、考えてる。
 毎日、毎日、同じことの繰り返し……。




「はぁぁぁぁぁ」
「真面目に仕事せいやぁぁぁぁ!」
 大きなため息ばかりついて、仕事に手が付かない俺。ついに剛田さんがブチギレてしまい、バザーの売り物で思いっきり殴られた。
 マッチョの豪腕が唸る! 野球なら、場外ホームラン級のスーパーフルスイング!
「お前、それがバットだったら、首飛ぶぞ?」
「ちっ、ハリセンなら尚更よかったんだけどな……」
「よかったな。抱き枕で」
 細木さんに肩を叩かれたので、顔を上げ、細木さんの顔を見た。
「……はぁぁぁぁ」
 細木さんは、少し顔を歪めたが、笑ったままだった。
「硬式の木製バット持って来い……」
 今まで見たことない、すごい笑顔で俺を見つめる細木さん。しかし、その言葉には殺意がある。
「首飛ぶって言ったのは、細木だぞ?」
「こいつ……人の顔見てため息つきやがった……ゆるさんんんん」
 ネックハンギングツリー、そこからネックハンギングボム。拷問技のオンパレード。まるで子供のぬいぐるみのように振り回され、俺は意識を手放した……。


 次に目を開けた時は、既に誰も居なかった。部屋も外も薄暗く、少し寒い。
「……?」
 体を起こそうとすると、体中に激痛が走った。
「――っ!」
 何とか体を起こし壁に背中を預けると、ため息が漏れた。
 そういえば、いろんな技かけられて……途中から記憶ないし。
 大きなため息をつきながら、ひとりつぶやいた。
「今日も一日、何してたんだか……」

 ――ガラガラ。
 誰も居ない部室、無音の空間にドアの開く音がやけに目立って聞こえた。

「大丈夫?」

 ――え?!
「ちょっと用事があったから遅れてきたんだけど、びっくりしちゃった……祐紀くん、倒れてるから」
 直……ちゃん?
 目が合って、少し悲しそうな笑顔をするとすぐに目を逸らし、背を向けた……。
「……俺、何かした?」
「……何のこと?」
 直ちゃんの変わらぬ態度が気に入らなかった。
「だって変じゃないか! 急に態度が変わったし、今だって視線合わそうとしない」
 体の痛みを忘れ、直ちゃんの背後に立つと、肩を掴んで俺の方を向かせ、言葉をぶつけた。
「こんな中途半端な状態でいるぐらいなら、突き放された方がましだ!」
「……ちが……っ」
 彼女の顔を見て我に返った。
「好きだから……本気で好きになっちゃったから、言えなくなっちゃって、自分でどうしたらいいか分からないから……だから……」
 それを言うのが限界で、直ちゃんは泣き崩れてしまった。
 俺ってサイテー。自分だって、同じなのに……。
 気持ちだけは、あの頃から変わっていない。変わってしまったのは、状況。

「――ごめんね。……私」
「今はムリに言わなくていいから……」
「……うん、……ありがとう」
 俺に、聞く勇気がなかっただけなのかもしれない。
 自分が隠している真実を打ち明ける、勇気も……。




 ――学園祭当日。
 朝、バザー会場に入ると、見たことない人が剛田さんと細木さんに指図している。
「さあ、今日はじゃんじゃん売ってもらうわよ!」
 机の上に仁王立ちのお姉さん、一体誰?

「我がボランティアサークルOGの、柏原奈津(かしわばら なつ)さんだ! 今日はわざわざ応援に来てくれたのだ!」
 応援が来るなんて、今初めて知ったぞ。昨日言えなかったのか?
 彼女は俺に気付くと机から降り、近づいてきた。
「あらぁ? ボクかわいい。お名前は?」
 ……俺?
「……真部祐紀です」
「んん、いい名前ね。あたしのこと、『奈津』って呼んでいいわよ?」
「はぁ?」
 なんだよ、この勘違い姉さまは……。
「そっちのクルクルちゃんは?」
「鎌井直」
「んん、カマちゃんね。よろしく」
「カマちゃんはイヤだ」
 すっごい仏頂面の直ちゃん。すっかりご機嫌斜めです……。

 仕事は二人一組で、一時間ごとに交代してお勘定するだけ。
 俺は、ハメられたかのように、直ちゃんと一緒。勘違い姉さまのおまけつきでドロドロ……。
「ユウくんは、お誕生日いつ?」
 もう名前で呼ばれてるし。
「……五月……」
「あらー過ぎてるわねー。残念……」
 しかも、わざわざ俺と直ちゃんの間に座るかね?
 気になって、直ちゃんの様子をうかがってみるが、仏頂面のままだ。
「今日の打ち上げ、ウチでしようかしら」
 この人も怪しい笑みをするのか? 嫌な予感が……。
「ユウくん、おいしくいただいちゃおうかしら」
 直ちゃんのそのセリフは棒読みだった。明らかに機嫌を損ねている。
「あらぁヤダ。わかったぁ?」
 マジっすか?
「カンベンしてください……」

「沈めるぞコラ……」

「あら、今何か言った?」
「何も。空耳じゃないですか? もしくは……食い散らかしてきた男の生き霊が……」
「ええぇぇ、やだぁこわぁいユウくん……」
 そんなに怖がっている素振りではなかったが、腕にしがみ付かれた。
「直ちゃん……」
「なによっ」
 かなり怒ってますね……。
「幽霊ネタは逆効果だよ……助けてよ……」
「イヤダ」
 会話中、一度もコチラを見ず、終始真正面を向いたままだった。明らかに不機嫌満点。
 今日は一段と冷たい気が……。話をしてくれるだけましだけど。
 でも、さっきの声どこから? 本当に幽霊だったとか……。

 商品は余ることなく――元々そんなになかったんだけど、午後二時には完売した。
 打ち上げは、居酒屋二件はしごしただけで無事終わり、俺の貞操の危機は去った……って大袈裟な。
 打ち上げね、やっぱり自腹だったよ……。




 学園祭以降、直ちゃんを構内で見かけることはなかった。
 部屋の電話、携帯も音信不通。
 外は俺の心の中と同じ、ここ数日雨が降り続いていた。
「……つまらない」
 俺は、こんな人生歩むために生まれてきたんじゃない。
 地元から離れて心機一転したはずなのに、結局、何も変わっちゃいない。
 ああーうざい。何度かテーブルに頭をぶつけて、思考を遮断しようと思ったが、また同じことを繰り返している自分がイヤになる。
「考え込んでるんじゃねぇ」
 当たるところもなく、とりあえずテーブルひっくり返してみた。
「ジメジメと……俺は梅雨か?」
 部屋でじっとしてちゃだめだ。余計なことばかり考えてしまう。
「図書館でも行くか……」
 今は何かに熱中して、少しの間だけでも、そのことを忘れられたら――。
 カバンを肩に掛け、鍵と携帯を探していると、ちょうど携帯が鳴り出した。
「テレビの上か……」
 携帯を開き、ディスプレイを見た瞬間、ドキっとした。
 ――着信 『鎌井 直』
 ついに、彼女との決着がつくのだろうか。
 複雑な思いで、電話に出た。
「もしもし……?」
『……祐紀くん? 話があるの……今から大丈夫?』
 いつもより少しトーンが低い声。一瞬、本当に直ちゃんなのか耳を疑った。
「うん……」
『じゃ、大学近くの公園で……』

「はぁぁぁぁ……」
 携帯を閉じると、大きくため息をついた。
 耳を塞いで、このままどこかに行ってしまいたい気分だけど、約束しちゃったから行かなきゃ……。
 ゆっくり立ち上がり、重い足取りで待ち合わせ場所の公園へ向かった。


 雨は止む気配もなく、振り続けている。
 この雨で全てを、洗い流せればいいのに……。

 本気で好きになったから言えなくなった事、気持ちが変わった訳ではなく、それが先に進めない理由。
 それは、俺も同じ……。直ちゃんは、何を隠してるの?

 最後の最後まで、待たせてばかりだな、俺は。
 公園では、すでに直ちゃんが、傘も差さずに待っていた。
 後ろからそっと傘を差し出すと、直ちゃんは、ゆっくりと俺の方を向き、顔を上げた。
 泣いているの? ……それとも雨?
「ほら、風邪引くぞ?」
 たまたま、カバンの中にタオルがあったので、直ちゃんの頭に乗せた。
「……うん……」
 身動き一つせず、目だけ何かを訴えているようにも見える。
「……」
 俺から切り出さないと、話もしてくれそうにない。
 言いたくはない、聞きたくもないけど……戻れないのなら、進むしかない。
「……話って……何?」
 直ちゃんは目を細め、口元を軽く吊り上げた。
「驚かないでね。まぁ、ムリかもしれないけど……」
 いつもと雰囲気が違う。小悪魔のような笑顔、もう戻れないということなのだろうか。
 俺から数歩離れ、背を向けたまま、衝撃的な事実を口にした。



「私……私はね……本当は、男なんだ……」



 は?
 何が何だって? よく理解できないんですけど……。
 ――ピリリリピリリリ。
「うわ! びっくりしたー」
 とにかく今の状況から逃げたくて、躊躇せず電話に出た。
「はい、真部……」
 いつもなら受けない、細木さんからの電話だった。
「……え? 学校の裏が土砂崩れ?」
 俺が繰り返した言葉を聞いて、直ちゃんは走り去ってしまった。
 まだ会話の途中だった。とにかく追いかけなくては!
「ああ、えと……」
 直ちゃんを目で追うと、大学の方に向かっているみたいだった。
「すぐ行きます!」
 携帯を、カバンに放り込み、すぐに直ちゃんを追いかけた。
 走りながら、先程直ちゃんが言った言葉を思い出した。
 ――自分が男だと……? 何かの聞き違いだろう。
 あの体に、地球外生命物体が付いている訳がない。
 そうだ、何かの間違いだ。からかわれてるんだよ俺は。
 あの笑顔は、そういうことだ。そういうことにしよう。
「あ……あれぇ?」
 傘を差したまま、考え事をしながら走ってたら、直ちゃんを見失ってしまった。
 あんなに足、速かったっけ? それとも、火事場の馬鹿力?
 そういえば、具体的な場所を聞いてなかった。
 大学裏で崩れそうな所って……部室棟の裏にある山のことだろうか。
 部室棟の方に向かって走る者が何人か居たのでそれについて行くと、すでにたくさんの人が集まっていた。
 人ごみを掻き分け、部室棟前まで出ると、剛田さんと細木さんが色々と指示を出していた。
「お前はケガしてる奴の応急処置、そっちは?」
「警察、消防、レスキューはまだか?!!」
「電話してから三分も経ってないっすよ?!!」
 八つ当たりされている奴もいる……。

 直ちゃんは、こっちに来たんじゃないのか?
「おお! 真部。早いな」
「どういう状況なんですか?」
「……部員数名が、閉じ込められている。しかし、建物がゆがんでしまって、窓もドアも開かない……」
「どこか、人が入れるぐらいの隙間とかないんですか?」
「ないこともない。しかし、俺たちは入れない……」
 その体格じゃね……。
「じゃ、俺が!」
「お前でもちょっとムリだろ……」
「窓、割るとか……」
「何が起こるか分からんだろ! うかつなことをしたら、こっちも危ないんだ」
「じゃ……どうすれば……」

「中に……彼女がいるんだ! 早く……何とかしてくれよ!」
 悲痛な叫びに胸が痛む。何も出来ない自分が歯痒い。
 何も出来ず、ただ立ち尽くす俺たちの間に割って入ってきたのは……。
「私が入ります」
 直ちゃん、一体何を……。
「おい……本気か姫……」
「キケンすぎる……やめとけ……」
 止めようと必死なマッチョたち。しかし直ちゃんは、
「今、出来るのは私しかいません! 私が行きます!」

 直ちゃんは、一度も俺の方を見ることなく、建物の方に向くと……
 コートと髪の毛を剛田さんに渡して……、
 地毛は……ミディアム? セミロング? 俺よりは長い。
 髪の毛? ちょっとまて! アンタ、今までヅラだったのか!
 剛田さんと細木さんは、直ちゃんの頭見て呆然としていた。

 彼女の表情に迷いはなかった。
 真っ直ぐ建物を見つめ、一歩一歩近づく直ちゃんを追いかけた。
「ちょっと……直……」
 俺の方を向くこともなく、何も言わず、建物の隙間から中に入ろうとした……。
「俺、まだ何も話してない。だから絶対戻って来い! いいな、絶対だぞ!」
 彼女にその言葉は届いただろうか――。

 それから、警察や消防が到着し、けが人は病院のほうに搬送された。
 ものの数分が何時間にも感じ、俺はただひたすら、無事に戻ってくることを願うことしかできなかった……。


「この人で最後です! 早く、ここから離れて下さい!」
 閉じ込められた最後の一人を連れて無事に出てきて、建物から離れた所に座り込んでしまった。
 俺と細木さんが、あわてて駆け寄った。
「姫……大丈夫か?」
 心配する細木さん。あれからかなり取り乱してたけど、ヅラの件はもういいのか?
「アハハ……レスキュー隊にでも入ろうかな……」
 自分の肩を抱いて、苦笑いする直ちゃん。体は微かに震えていた。
「バカッ! ムチャすんな……」
「……ゴメン……」
「……よかった……無事で……」
 泥だらけの直ちゃんを抱きしめ、その存在の大きさを改めて知った。
 直ちゃんが建物から出てきて数分後、部室棟は轟音と共に土砂に押しつぶされ、飲み込まれていった……。


 警察から事情を聞かれていた、剛田さんがようやく解放され、こちらに歩いて来た。頭にウイッグ付けて……。深刻な状況だというのに、思わず吹き出しそうになった。
「姫、ヅラってどういうことさ?」
「ごめんなさい……実は私、男なんです。名前も本当は、鎌井直紀です。……すみません……」



 あぁ、冗談じゃなかったんだね……。少し気が遠くなってきた。
 親に勘当されたのも、これが理由なのかな?
「アツシィィィィィ」
「ツヨシィィィィィ」
 細木さんと剛田さんが、抱き合ってテイクオフ――現実逃避してしまった。
 剛田さんは『アツシ』、細木さんは『ツヨシ』って名前だったんだー。初めて知った。そんなことはどうでもいいか。
「お前は知ってたのか? 俺たちを騙していたのかー!!」
 涙を流しながら、剛田さんが、俺に八つ当たりしだした。
「俺もさっき知ったばかりです……」
「肉体関係ぐらいあっただろ! お前はホモかぁぁぁ」
 細木さんは問い詰める。頼むから寄らないでくれ。
「ないって言ったでしょ! ムリなんだって……」
「いつもナオキはガードが固いの♪」
 腰に手をあて、くねくねしながら某CMソング替え歌……。
「……自分でナオキって言うな……」
 名前も何か似合わないし。まあ、この機会にカミングアウトしちゃおうかな。



「実は俺……本当は女だし」
 今まで聞かれなかったってのもあるけど、何かスッキリしたなー。自分でも分かる程、口元が緩んでいる。

「え?」
「きっきききききき聞いてねぇぞ真部ぇぇぇぇぇ」
「言ってないもん。大体、聞かれてないし」
 開き直ってみた。
「証拠がない、証拠持って来い!!!」
「ああ、パスポートでいい?」
「何で持ち歩いてるの?」
「いや、訳有りで」
 携帯で公園に呼び出されたとき、自分の秘密も明かそうと思って持ってたんだけど、こんな所で見せることになるとは……。
 免許証には性別は書いてないからね。
「外見、性格がこんなんだから、よく間違われるけど。高校は女子高だったし」
「……!!! ハーレム?!!」
「あの……ちゃんと聞いてました? 俺の話……」
 おかしくなり始めた剛田&細木に、トドメの一撃!
「私も、高校は男子高でした……」
「ギャァァァ……世も末じゃぁぁぁぁぁ」
 二十一世紀になってそんなに経ってないけど。
 マッチョたちは、雨で濡れた地面をしばらくのた打ち回っていた。


 警察の人が、俺たちのほうに近づいてきた。
「キミが、鎌井直さんだね?」
「鎌井直紀です」
「……?」
「こんなですけど、生物学的には男です」
「?!!!」
 警官までもしばらく放心状態で止まっていた。
 この状況で警察の人までからかうなよ。

 それから、色々と状況などを聞かれ、開放された頃には暗くなり始めていた。
 やっと、直ちゃんと二人で話す時間ができた。部室棟があった場所から少し離れた所に――服はもう濡れていたから、気にせず腰を下ろした。
「本当に男?」
「うん、信じられない? ま、お互い様でしょ?」
「そりゃ……そうだけど……」
「ちらっと覗いてみて見るかい?」
 とズボンに手を掛け……。
「だっ……誰が見るかぁぁ!!!」
 今日は色々なことがありすぎて疲れたな……。

「なくなっちゃったね……」
 土砂で埋まった、部室棟のあった場所を見つめた。
「何が?」
「思い出の……場所……」
 ボランティアサークルの部室も、あそこにあったからな……。
 俺たちが出会った場所……。
「思い出なら、また作ればいいじゃん?」
「……そうだね……」
 直ちゃんは、そっと俺に寄りかかり、目を閉じた……。

 また、二人で思い出を作ろう。これからも、ずっと一緒に……。

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