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  【8】


 ――一月四日、火曜日。
 朝食の準備をしていたら、父さんが起きてきてキッチンに並んだ。
「おはよう、と……」
 父さんの顔を見て挨拶。しかし、すごい形相だ。昨日、夕飯とその片付けに対応しなかったから? だったら食器そのままでもいいのに、ちゃんと食洗機にかけてあった。理由が思い当たらない。
「なに、怒ってんの?」
「紘貴がダメダメだから」
「は?」
「ダメ男」
「ぐっ」
 そんなに言わなくてもいいのに。
「ヒロくん、女の子にプレゼントとかしたことあるの?」
「え?」
 そういえば、もらうばかりだ。
 咲良の誕生日も、食事でもてなすのに手一杯で、そっちに気が回らなかった。
 手に何かを握らされた。手を開いて見ると、一万円札が、二枚?
「なに、これ」
「……お年玉。女心がわからない、ダメ男へ」
 機嫌の悪そうな声音でそう言うと、自分のコーヒーを入れて食卓の定位置に座る。頬杖ついて、そっぽ向いて……拗ねた子供みたいだ。

 食事中も目が合わないし、会話も特にない。
「……あのさ、今日も車使っていい?」
 雰囲気に負け、おそるおそる聞いてしまう。
「使えば。そのかわり、ぶつけんなよ、突っ込むなよ、ひっくり返るなよ」
 子供か。
「……わかってるよ」
「事故したら、すぐ電話しろ。生きてるって」
「うん、わかってる」
 怒ってるくせに、心配なのか。忙しいな。

 愛里の出産以来、通勤には使われない車をフル活用中。一応、免許持ってるし。忘れかけてたけど。

 朝食で使った皿を片付けると、ちょうど洗濯が完了。洗濯物を干し終わった頃には父の姿は玄関にあった。スーツにロングコートを羽織っている。もう、出勤の時間らしい。

「いってらっしゃい」
 習慣で、言わないと気が済まない。どんな心境のときも。
 父さんはまだ機嫌の悪そうな顔を俺に向け、目を伏せ、自分の手をじっと見つめた。
「咲良ちゃん、指が綺麗なんだよ、知ってた?」
「は?」
 唐突に何を言い出すかと思えば。
「行ってきます」
 何事もなかったように家を出る。

 指?
 ああ、確かに綺麗な手をしている。細くて白い、家事知らずの指だ。
 父さんが見ていた手……左手だった。
 いつも左手の薬指に指輪をしている。二年ちょっと前に愛里とお揃いのものに変わったけど。仏壇に母さんのもあったけど、いつの間にかなくなってて、心配になって父さんに聞いたら、母さんに返したって意味不明なことを言われたな。
 当たり前で気にしてなかったけど、父さんは、母さんが死んで、愛里と結婚するまで、ずっとあの指輪をつけてた気がする。

 突然握らされた、お年玉。
 煮え切らない、女心がわからないダメ男。
 プレゼント。
 指。

 そういうことか。
 俺ってホント、鈍感だ。

 気付いてからはすぐに動いた。
 電話するほどの度胸がなかったのでメールだったけど。

 ――昨日はごめん。今日、会えますか?

 返信は、
 ――私の方こそごめんなさい。今日も会いたいです。

 ――家まで車で迎えに行きます。
 と返し、更に、

 ――準備して待ってます。
 と返ってきた。
 俺も素早く準備して、車の鍵を持って玄関を出た。


 車だと家からそう遠くない咲良の自宅前。彼女は玄関で待っていたのか、すぐに出てきて助手席に乗り込んだ。

「おはよ」
 元気にそういう咲良だけど、少し無理をしてるようにも見えた。
「おはよう」
 俺も笑顔で言ったつもりだけど、どうだろうか。
 ふと視線を下げて手を見た。何かを塗っているわけでもないのに、爪がつやつやと光ってる。やたら塗ったり盛りつけてある長い爪は嫌いなので、咲良の指は、俺にとって理想的な指で、繋ぐとすごく落ち着くんだ。

 触れたくなって、手を伸ばして握ってみると、自然な笑顔がこぼれた。

 うちの車はオートマ車なので、左手は咲良の手を握ったまま、右手でハンドルを握った。
「どこいくの?」
「いいところ」
 市街地からどんどん離れ、家より畑が目立ちはじめる。車通りもなくなって、山道を上りはじめた。
 市内で一番高い山。小さい頃、ロープウェイで上にある公園に行ったことがある。数年前に車で上る道も整備されたとかで、そんな曖昧な記憶をたよりにやってきた。
 いつだったか、誰かが夜景が綺麗だと言ってたのもふと思い出した。
 さすがに道もわからない所を夜走るのは危ない。今日は下見がてら、ということにしよう。
「小学校三年のとき、社会見学で来たよね。覚えてる?」
 記憶に、ない。小三は確かに、咲良と同じクラスだったのに……記憶に残ってないんだよな。
「雨が降ってて、全然外で遊べなくて、建物の中でお弁当食べて、ロープウェイ乗っただけ。つまんなかったなー」
「俺たぶんそれ、行ってない。たしか、熱で休んだ」
「え? そうだっけ?」
 十一年ぐらい前。一緒のクラスだったくせに、互いにあの頃の記憶はあいまいだ。今思えばもったいない。
「今日は雨降ってないよ」
「お弁当作ってきたらよかったね」
「うん、そうだね。突然思いついたから、仕方ないか」

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2011.12.14 UP