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  ■3−愛里


 午後七時過ぎ。無事に自分の部屋に帰ってきた。
 まだ早いけど布団を敷いて寝転び、天井をぼんやりと見つめた。今日出会ったあの人の姿を思い出しながら。

 よしたけ、ひろあき、さん。

 ステキな紳士。歳はどのくらいかしら?
 二十代かな、ちょっと年上すぎるな。
 あたし、まだ十四歳の子供だし、相手にしてもらえないよね……。
 早く大人なりたい。こんなところから、早く出ていきたい。
 ……あ、そうだ。
 ポケットに入れた紙を取り出す。少しくしゃくしゃになった二つ折りにした紙を開くと、携帯番号が書かれている。
 手を伸ばして子機を取ると、番号を一つずつ確認しながら押していく。だけど、最後まで押し切れず……切ってしまった。
 だ、だめだー。何話していいかわかんない。

 それから、正座して電話と格闘すること十数分。
 プルルルル、と呼び出し音。もう後戻りしません、できません。
『はい、もしもし』
 きゃああああ! と悲鳴を上げてしまいそうなほど、気が動転。
 だめよ、愛里。このまま黙ってたら、ただのいたずら電話になっちゃう。
「あ、あの、吉武愛里です!」
 緊張のあまり声が裏返った。恥ずかしい。
『あ、愛里ちゃん。どうしたの?』
 声が、聞きたくなったんです。嬉しくて、舞い上がってて、なんだか夢みたいで。
「今日は本当にありがとうございました。あの……また、会ってくれますか?」
 少し不安だったけど、思い切って言ってみた。
『僕なんかで良ければ、いつでもいいよ』 ひろあきさんは優しくそう言ってくれた。
『あ、一応、電話、仕事中はダメだからね。掛けても出ないし、出れないからね。土日はだいたい休みだけど……平日は五時過ぎたらね』
 と必死に付け加えてきて、あたしの緊張が少しとけた。
「はい、ありがとうございます。また、電話します」
 しばらくの間、あたしは切れた電話を抱きしめていた。
 はっきりとわかった。あたし……ひろあきさんが、好き。


 次の日、朝のホームルームから教室にピリピリとした空気が流れた。
 昨日の夜、二年の女子三人を見たという連絡が学校にあったという担任の話に一瞬ドキリとしたけど……三人?
 そうだ、ひろあきさんだ。
 昨日、学校のことやあの三人のことを聞いてきたし、追いかけてたし。
 ひろあきさん、また助けてくれた。
 先生の話は耳に入らず、なんだか嬉しくてたまらなかった。

 その日、三人は通りすがりに黙っとけよと口止めしただけで、あたしに近づいてこなかった。


 五時になるのが待ち遠しかった。
 やっと五時になっても、少し我慢して……我慢の限界で、電話の子機を握りしめた。
 五時を五分も過ぎないうちに限界突破。
 まだ覚えていない携帯番号、メモを見ながらダイヤルした。

 ひろあきさんの職場は駅近くということで、駅近くの公園で待ち合わせた。

 先に来ていたひろあきさんの姿を見つけ、すごく嬉しくなってきた。今日もスーツ姿、カッコイイ。
「ひろあきさん」
 思わず名前を呼んでいた。自分でも信じられないことをしてる。
 呼ばれて振り向くひろあきさんはあたしをすぐに見つけてくれた。
「こんにちは、アイリちゃん」

 学校でのことを話すと、ひろあきさんは苦笑いした。
「やり過ぎたかな?」
「そんなことないです。嬉しかったです。ありがとうございます」
 ひろあきさんは笑顔になり、あたしも嬉しくなって顔が緩む。緩みすぎ、緩みっぱなしで恥ずかしくて、うつむいた。
 視線を下に向けたことで気付いてしまった。
 ひろあきさんの左手薬指の指輪に。
 すごい、ショックだった。夢から醒めるような……。
「どうかした?」
「いえ、あの……指輪」
 あたしは思い切って聞いてみた。すると、ひろあきさんは左手を胸の高さに上げた。
「ああ、これ……」
「結婚、されてるんですか?」
 あたしはひろあきさんと同じ歳ぐらいのかわいい奥さんと幼い子供を想像した。ひろあきさんほどの人を世の女性が放っておくはずがない。
 あの優しさは……あたしのこの想いは……。
「うーん、どう説明しようかな……確かに結婚したけど、奥さん、もういないんだ」
 若いのに苦労してるんだな。
「じゅう……六年になるのか、もう」
「十六年?」
「うん、妻を亡くして十六年」
 なぜか笑顔でそんなことを言うひろあきさんに、あたしはますます混乱する。
「あの、失礼ですが、おいくつ、ですか?」
「あ、年齢? つい先日、三十五に」
 さ、さんじゅうご? とても歳相応に見えない。
「ごめんなさい、あたしずっと、春に大学卒業したぐらいだと……」
「よく言われるから気にしてないよ。これでも十六歳の息子を育てるパパなんだから」
 なんて言われても、やっぱり全く説得力がない。
 でもやっとわかった。ひろあきさんの包容力が強い意味。だから安心するんだ。
 指輪をずっとしてるってことは、それだけ奥さんを愛してるということなのかな。
 そんな人を好きになってもいいのかな?
 想いも、伝えていいのかな?
 二十一歳も離れてる人を好きになっていいのかな?
 恋には教科書がない。手探りで自分の幸せを掴まないと。

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2012.01.10 UP