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  俺だけじゃなくて、彼女も不安定な理由


 吐き気が治まったのか、彼女は洗面台の前で崩れた。
 呼吸はまだ荒れたままだったので、そのまま背中を撫で続けた。
 これがつわりでも、そうでなくても、病院に行くべきだと思う。それほどの症状に見えた。
「あのさ、病院、行く? 行った方がいいと思うんだけど」
 しかし、彼女は首を横に振り、小さな声で言った。
「いつもの……ことですから……」
 いや、アンタがいつものことで括っても、俺はそれで納得できないって。原因が全然わからないし、これから先も起こりうることなら尚更。

「ただいまー」

 タイミングよく父が帰宅した。
 ネクタイを緩めながら台所に入り、その奥にある洗面所でうずくまる少女と俺を見て、少し不安げな表情で寄ってきた。
「どうしたの?」
「いや、原因は分かんないんだけど、吐いちゃって……」
 ちらりと彼女に顔を向けるが、きつく目を閉じ、呼吸が落ち着くのを待ってるのか、吐き気を我慢しているのかよく分からない。
「これ……つわりとやらじゃないよね?」
 俺が深刻にそんなことを言うと、父は頬を緩めて噴出した。
「まっさかぁ〜。そんなこと、ある訳ないじゃ〜ん」
 ものすごくバカにされた気分で、アタマにきたが、それには絶対的な自信が満ち溢れていたのもまた……俺を何とも言えない気持ちにさせた。
「僕がそんなことする人に見える?」
「そんなことする人だから、俺がいるんだろ」
 ――沈黙。
 自分で言っておきながら、とんでもないことを言ってしまったと後悔した。
「愛里さんはまだ成長段階だからね。早すぎるのもよくないって、話し合って決めてることだから、ヒロくんの弟か妹は……まだ先かな?」
 なんだ。そういうことまでちゃんと考えてたのか……。疑った自分を恥じたが、
「ごめんね〜。期待を裏切って♪ 妹の世話をする自分を想像しまくってたで――」
「するか、ボケー!!」
 恥じた自分を恥じた。
 そうだ。父さんはこういう人だったんだ!!
「ウチの姉ちゃんもヒドイらしくて、イトコのおばさんが『子供産んだら治る』とか言ってたことがあったなー」
 オイ、ちょっと待て。
 ……っていうか、父さんには姉ちゃんがいるのか。
「しばらくそれに付き合わすのも酷だけど、しょうがないよね?」
 愛里はその父の言葉に頷いた。
「ヒロくん、頭痛薬持ってきて。それで治まるから」
「あ、うん」
 頭痛薬で治まるのか。まぁ、あれは鎮痛剤だし、痛みを取るなら……って、嘔吐と痛みって関係あるのか?

 食器棚に置いてある薬箱から頭痛薬を取り出し、適応症を確認しつつ洗面所へ戻る……途中、
 ――頭痛、歯痛、生理痛!?
 何だか、原因が分かった気がした。
 箱から一包出して父に渡すと薬の封を切り、洗面台にあるコップに水を入れて一緒に愛里に渡した。
「彼女は、普通よりちょっと症状が重いらしくて、ひどい下腹部痛と腰痛と吐き気がくるらしい。別に病気という訳でもないから、そこまで深刻になることはないけど、これから先もこういう症状が出ることがあるってことは覚えておいて」
「……うん」
 原因も分からなくて、何も気付けなくて……だいたいそういうの全然知らない無知な自分が情けなくてたまらなかった。


 三十分後――薬が効いているおかげで、彼女は普段通りの明るさを取り戻していた。
「いただきます、です」
 食事も普段通りの量を食べた。
 それこそ、冷や汗流して青い顔をしていたのが嘘のように。
 今まで、女というものを知らなさすぎたというか、全く興味がなかったわけでもないが、関心がなかったのは事実。
 何とかすべきだな、この辺り。
 でも、今更どうにかできるものだろうか……。

「おかわり……ありますか?」
 空になったごはん茶碗を両手で包んで、おずおずと聞いてくる彼女。
 胃が空になった状態だったから、まだ満たされないのか?
「ああ、まだあるよ」
 俺が椅子を立とうとすると、
「あたし、自分で……」
「いや、いいよ。俺がやる」
 彼女の手から茶碗を取り、俺の後ろにある炊飯器からごはんをよそった。
「こんぐらいでいい?」
「はい。ありがとうございます」
 笑顔で茶碗に手を伸ばしてくる――と、どうもイジワルをしたくなるのはなぜだろうか。
 彼女が茶碗に触れる寸前、サッとそれを横に逸らした。
「……?」
 あったはずの茶碗が消えた場所をじっと見つめて首をかしげ、そのまま視線だけ俺へ向けてきた。
 また、茶碗に手を伸ばしてきたが、再び逸らしてみた。
「何でくれないですか?」
「……特に理由はないんだが、やってみたかった」
 と今度は渡そうとしたのだが……やはり寸前で取られないようにしてしまう。
「……うう〜、ごはん〜」
 空を切るばかりの手を俺に向かって必至に伸ばす彼女の顔が、ものすごく悲しそうな表情になってきたところでお遊びは終了。
「ヒロくん、パパもおかわり」
「自分でやれ」
 即答。
 俺は黙々と食事を口に運んだ。
「パパも女の子ならよかった……」
「やめろよ、気持ち悪い」
 色んな意味で、気持ち悪い。


 さて、自動車学校ではもうすぐ卒検。これをパスすればいよいよ最後の学科試験。
 夏休みが終わるまでに普通免許取得できるか。


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2008.01.18 UP
2009.07.24 改稿