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大気の状態が不安定であるのと同時に俺の状態も不安定な理由
【1】
自分の名前を見ると思い出す。この名になった理由を。
ヒロくんの名前には、父さんと母さんの想いが込められているんだよ。
紘貴の「ヒロ」。字は違うけど、父さんの名前と同じ読みを入れてみたんだ。
それから「貴」。母さんの名前、貴子から一字取ったんだよ。
母のことを知れば知るほど、俺の命、名前に重みを感じるようになってきた。
紙でできている仮免許を教習原簿が入っているファイルに入れると、建物から外に出て「6」と書かれている教習車へ向かった。
「仮免練習中」と書かれている札が前後のナンバー横にちゃんとあるか確認し、車の天井に「教習中」と書かれた赤い三角帽子を乗せるという、教習前にやることを一通りやってから運転席に乗り込んだ。
シートの位置、バックミラーを自分の位置に直し、ベルトを締めて教官の登場を待った。
雲行きは益々悪くなり、日中にしては薄暗くなりはじめていて……時々、空が光って、忘れた頃に雷鳴が轟く。
イヤな天気だ。
昔……子供の頃はそんな天候であっても頼る人が側にいなくて、部屋の隅で怯えていた。
そんなことを思い出してしまう天気だった。
車の助手席側のドアが開き、教官がビニール傘を持って乗り込んできた。
「こんにちは。よろしくお願いします」
いつものようにそう挨拶して原簿を渡すと、中年男性の教官はそれに目を通し、
「よし。じゃ、エンジンを掛けろ。今日はBコースだ」
と言いながらベルトを締めた。
仮免までの教習所内のコース、仮免取得後の教習所外のコース、どちらも四種類ずつあった。初めてそのコース表を貰ったときは、こんなもの覚えられるかー! と思っていたが、走ってみると意外とすんなりアタマに入ってきた。
今回、教官が指示してきたコースは、ウチの近くを通るものだ。
教習車のエンジンを掛けると周りを確認し、パーキングブレーキを解除して、ギアを「R」に入れて駐車スペースから出て――教習所内のコースを一周してから、所外へと車を走らせた。
ぽつり、ぽつりと雨がフロントガラスを濡らし始めていた。
ワイパーは雨粒を拭っていた。
視界――フロントガラスには、止めどなく、強く雨粒が叩きつけられていた。
ワイパーの動きは、必死に何かを拭っているように見えた。
いや、拭いたかったのは俺の心のどこかにある何か――恐怖心だ。
――だから、この時期は嫌いだ。天気がいいと思っていたら、急に雷を伴う強い雨が一時的にやってくる。
教官がエアコンの調整をしてくれていたので、窓ガラスが曇ることはなかった。むしろ、外にいるよりは快適な空間であったはずだ。
しかし、俺は何かに怯え、何かに圧迫され、何かと必死に戦い、平常を保とうと努力していた。それが何なのか分からないけど、俺は分からない何かと戦っていた。分かっているけど、精一杯気付かないふりをした。
教官が言うことなど、何も耳に入らず、ただひたすら、ハンドルにしがみついて、習った動作をして……機械的な動きを繰り返していただけ。
ミラー、サイド、確認――雨粒が邪魔していた。
稲光――一瞬、全神経をそちらに集中してしまう。
ちょっと待て。オマエは一体、歳いくつだ? ――冷静な部分の俺が、俺自身に問う。
怯えていた。まるで子供のように。稲光を、叩きつけるように降る大粒の雨を、忘れた頃に響く雷鳴を。
<怖くて、布団の中で丸くなって、耳を塞いで伏せていた。だけど地鳴りを伴う雷鳴は体がビリビリと感じていた>
幼い頃の俺を思い出す。一人で雷に怯えていた頃を。
稲光から雷鳴がするまで、ついつい数えてしまう。
<誰かから聞いた話だと、一秒が四〇〇メートルだから……>
まっすぐ前を見つめると、ワイパーは忙しく雨粒を拭っていた。落ち着きなく回りをきょろきょろと見回すと、稲光――心臓がドクンと跳ねた。そして雷鳴――無音の車内にいる俺が、聞き逃すことはなかった。
何かが裂けるような、ひどい音――
「今日の雷はすごいな」
教官が隣に座っているからこそ保っているが、一人だったらどうだろう?
この歳になっても、怖いものは怖い。
教習所――教習車の駐車スペースに戻っていた。
印の押された原簿を教官に手渡され、次の授業は明日の二限目だと言われた。
教官は足早に去るのかと思ったが、傘を持たない俺を傘に入れてくれた。
何とか自分が落ち着かないと……そう思って、カップの自動販売機で熱いコーヒーを買った。
じっと座っていると、冷えすぎじゃないか、とも思えるようなエアコンの風にあたりながら、熱いコーヒーを一口飲んで深呼吸。
雷に対する恐怖心を完全に取り除くことはできなかったものの、少しは落ち着くことができた。
「今日はサイアクだな」
そう言いながら、空いている俺の横に座る亮登。髪や肩を少し濡らしていた。
「前が見えなくなかった?」
前が見えなくなるほど雨が強く降ったあげく、稲光を見てパニックに陥りそうになったことをふと思い出した。
「うん。あれは焦った」
「さっきは機嫌が悪かったくせに、今度は元気ねぇな。大丈夫か?」
俺は普通に接したつもりだったが、亮登は些細な変化を見逃さなかった。
だからといって、雷が怖いとも言えず、
「洗濯物が心配で……」
ついつい、こんなことを言ってしまう。
「大丈夫だろ? アイリちゃんいるんだし」
自分のことで精一杯だったから、すっかり忘れていた。
そうか……アイツがいるんだっけ。
益々、家で塞ぎこむわけにはいかない。この雷、どうかわせばいい?
「どうするよ。雨が止むまで待つか?」
冗談じゃない。こんなところで恐怖心を隠して平常を保ってられるほどできた人間じゃない。限界突破してしまう前にさっさと帰って、布団の中に潜り込んで、音楽をイヤホンで大音量にして流し、気を紛らわせたいぐらいだ。
「帰る!」
カップに残ってたコーヒーを一気に流し込み、横に置いていたカバンを肩に掛け、空のカップはゴミ箱へ。
「おい、マジか? 小降りになってからでも――」
亮登の言葉は無視して、自動車学校のロビーを後にした。自動ドアを出ると、太陽で熱せられていたアスファルトに降った雨のせいで、やたら蒸し暑かった――が、気にせず駐輪場へ向かう。止む気配のない雨に打たれながら。
立ち漕ぎで、雨に向かっていくように、自転車を漕ぎ続けた。
家に辿り着くまで、休むことなく、漕ぎ続けた。
髪の毛が雨で濡れて顔に張り付いても、顔に当たる雨粒が痛くても、服を濡らしても、漕ぎ続けた。
息が上がっていた。稲光。歯を食いしばって強く漕いだ。雷鳴。
普段なら三十分ぐらい掛かる道のりを、半分の時間で帰ってきた。服や頭……雨が当たったところはひどく濡れ、休むことなく必死にペダルを漕いできた足は重く痛んでいた。
逃げ込むように入った我が家。まるで習慣になったように覗き込んだリビング――いつも彼女がいる部屋へ、無意識に声を掛けていた。
「ただいま」
彼女は、ソファーの上で横になり、頭をクッションで隠していたが、俺の声を聞いたのと同時に、飛び起きるように上半を上げた。
今にも泣き出しそうな表情で、少しの間だけ俺を見ると、その身は……俺の体に衝撃を与えた。
体当たり?
……。
しばらく、これがどういう状況なのか、理解できなかった。
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2007.12.28 UP
2009.07.24 改稿
2011.11.21 改稿