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  俺の携帯が復活した理由


  【3】


 ――あたしのことをオイとか、オマエとか、アンタとか、アイツって言い方しないで。

 胸にざっくりと刺さってしまったものは、不定期に起こる痛みを残した。
 彼女は突然ウチにやってきて、俺の継母だけど年下で……どう呼ぶべきなのか分からないからそういう言い方をついつい……いや、そうとしか呼べなかった。
 確かに俺が悪い。彼女を傷つけたことに変わりない。
 だけど、そんなことで傷つくなんて思いもしなかった。
 じゃ、どうすればいい? これから呼び方を変えたところで、彼女の心の傷がどうにかなるわけじゃないだろうけど……俺は、彼女のことを知らなさ過ぎる。学校や家庭で何かあったって、何?
 できるだけ関わらないよう避けてきた俺が今更言うのもあれだけど、一度、向かい合って話す必要がありそうだ。けど……彼女は話してくれるだろうか?


「お〜い、紘貴、聞いてるかぁ〜」
 だから、扇風機に向かって喋ってるから、変な声に変換されてるって。
「聞いてない」
 亮登が何かを扇風機に話していたのは覚えてるけど、話の内容は何も覚えていないので、正直に答えた。
 しかし暑い。扇風機の前に座られたら、こっちに風がこないじゃないか。
「暑さで頭がもうろうとしてんだ。話はまた改めて聞くから……」
 これは嘘。どうも亮登の話を聞いてられるような状態じゃない俺。どうにか早く帰ってもらおうと、心の中で焦っていた。

 その後も亮登は何かを言っていたが、結局、「暑い、死ぬ」ぐらいしかまともに聞き取ることができなかった。
 本当に暑さで頭がもうろうとしていると勘違いしたのか、亮登は俺の前に扇風機を置くと、帰っていった。
 お盆の上にある二つのグラスは――氷も残さずきれいさっぱりなくなっていた。俺は一口も飲んでないのに……亮登は相当、この暑い部屋にいることを我慢していたようだ。
 亮登が愛里に声を掛けてから玄関を出て、自転車を動かしている音を耳で追い、杉山家の玄関を閉める音が聞こえたのと同時に、俺は立って手を上げ、体を伸ばすと、少しだけモヤモヤしたものが飛んだような気がした。
 よし、謝りにいこう。ちゃんと話してみよう。じゃなきゃ、何も解決しない。
 階段を慎重に降りても不自然なので、いつも通り……できるだけ普段どおりに下へ降り、いつも彼女がいる部屋へ向かった。
 彼女がいつもいるのは台所ではなく、テレビがある我が家のリビング。階段を降りて正面にある部屋だ。
 部屋を覗き込んでみると、ソファーに座ってテレビを見ている。そのテレビの音量がまたスゴい。喋っていたら確実に聞き取れないし、集中してなきゃ聞き取れないぐらい小さい。だから、微かな物音で帰宅や来客に気付くはずだ。
 だから、俺が部屋に来たことにもすぐ気付いて、こっちを見ていた。
「あの、暑さで頭がもうろうとしているって聞きましたけど、大丈夫ですか?」
 亮登め……本気でそう思ってたのか。
「いや、別にもうろうとはしてないんだけど。それは亮登の勘違いだ」
「そうですか……よかった。熱中症の応急処置なんて知らないですから、どうしようかと思って……」
 彼女がてれくさそうに俯いた。その視線の先――テーブルの上には、何だか分厚い本が広げてあった。
 近づいてそれを確認すると……どうやら家庭用の医学書らしきもの。いろいろな病気のことや、応急処置のしかたが書かれている本。
「あ、丁度あったので、調べてたんです」
 と、肩をすくめて笑ってみせた。しかし、その笑顔は弱々しく、不自然に見えた。
「ごめん、ホントに何ともないから」
「そうですか……それならいいんです。だけど、やっぱり知っといた方がいいと思うんです。今は室内でも熱中症になっちゃう時代ですから」
 そんなことをテレビでやってたような気もする。そのうえ、この家はエアコンがないから、ならないとも限らない……と。
 彼女は医学書をパラパラとめくって、熱中症のページを探していたが、俺は思い切って口を開いた。
「さっきの……ことだけど」
 彼女の動きがピタリと止まった。
「別に悪気があって『オマエ』とか言ってるんじゃないんだ。何ていうか……どう呼んだらいいのか分からないから、そういう言い方しちゃうだけで……」
 彼女はこちらを見ることなく、頭を縦に振った。
「だけど、そういう言い方をしてたことは謝る……ごめん。これからはできるだけ気を付けるけど……やっぱ、何て呼べばいいのか分かんないから、使うかもしれないけど……」
 何を言ってんだ、俺は。ドロドロだよ。この件についての会話が締めれてないっ! 語尾までハッキリ、です、ます、はいっ!
「そういう言い方がイヤだってことは分かったから、気を付ける」
 彼女は二度、頷いた。
 こんな言い方でちゃんと通じただろうか……。
「じゃ、これからもイヤなことがあったら、言っていいですか?」
「我慢する必要はないと思う。言ってくれなきゃ分からないから、ちゃんと言ってくれた方がいい」
 彼女が自分なりに頑張っていること……本当は気付いてる。俺が勝手に、認めたくなかっただけで、受け入れる気がなかっただけ。不器用なぐらい一生懸命だったのに……。
 でも、ようやく受け入れられるような気がした。少し……ほんの少しだけ、彼女のことを知ったから?
 彼女は顔を上げ、再び笑顔を見せた。先ほどとは違う笑顔を。
 何も言わなかったけど、その笑顔で彼女の心境の変化が汲み取れた。
 彼女は俺に心を開きはじめたんだ。笑顔が自然であることがその証拠。
 俺も彼女につられて頬が緩む。
 そういえば俺も、彼女がウチに来てから、怒ったりスネてばかりで笑ってなかったことに気付いた。
 だから、彼女も構えてしまってたのかもしれない。
 だけどもう大丈夫。そんな必要はないんだ。
 ゆっくりでいい。少しずつでいいから、知っていけばいい。そして、認めよう。

「あ、そうだ。忘れるところだった……」
 彼女が思い立ったように声を上げたので驚いてしまった。
「これ……」
 どこから取り出したのか、彼女が俺に向かって差し出しているのは、先日、哀れにも洗濯機で洗濯され、水没したあげく、行方不明になっていた携帯だった。
「外で干してたの。ディスプレイの水滴が全部なくなるまで、電源入れずに干してて……」
「え? 干すの?」
 一瞬、洗濯物に紛れて吊るし干されている携帯を想像してしまった。
 受け取って驚いたことは――背面のサブディスプレイがついているということ。
 半信半疑、開いてみると、ディスプレイは水没前とあまり変わらない状態。少しバックライトが暗いような気がする。
「一応、直った……かな? 普通に使うのには問題ないと思う……たぶん。でも、水没してるから……」
 もしかして、自分が洗濯機を回したことが原因だと思って、責任感じてたのかな? 別に気にしなくてもよかったのに……って、俺が彼女に八つ当たりしたのも原因か。
「うん……ありがとう」
「ホントは自動車学校から帰ってきたとき、すぐに渡そうと思ってたんだけど、杉山さんが一緒だったから渡しそびれちゃって……」
 それで急いで出てきて、コケた、と?
 俺はふとその時の光景を思い出し、声を上げて笑った。
「何で笑うんですか! ……あっ!!」
 彼女も自分が豪快に転倒したことを思い出したらしく、顔を真っ赤にして口をパクパクしていた。
 さすがに笑いすぎたので、必死に堪えようと思えば思うほど、ヒーヒーと笑いが後を引いてしまう。
「もぅ、笑いすぎですー!!」
「ごめん、ごめん……あはははは」

 俺は逃げるように自室へ戻ると、ようやく笑いも止まった。そのかわり、笑いすぎて腹が痛かった。
 腹が痛くなるほど笑うのって、どれくらいぶりだろう?
 そんなことを考えながら、手に持ったままの携帯をもう一度開いてみた。
 ちゃんと着信するか、待ってるのはバカらしい。そのぐらい鳴らない携帯だ。こちらから掛ける方が手っ取り早いが……誰に掛けようか。
 メモリーの確認をしたり、メールの受信箱を開いてみたり、発着信履歴の確認をして……見慣れない番号から着信があったことに気付いた。
 知り合いは全てメモリーに登録してあるから名前が出るのに、番号だけ表示され不在着信になっている。
 日にちは今日。時間は俺が自動車学校で教習を受けていた頃だ。
 俺の番号を知ってるやつが、携帯を変えたか持ったかしたのかもしれない……なんて思ってその番号へ発信してみた。
 ――プップップップ……プルル……プルル
「はい、何ですか?」
 二コールで出た相手だが、女だった。
 一階からも同じ声が聞こえ、携帯の方が少しだけ遅れて聞こえてきた。
「あの……誰ですか?」
 分かってはいたが、一応、聞いてみた。
「愛里です」
 また、下から同じ声がして、遅れて携帯から聞こえる。
 ……何で俺の番号を知ってる?
「何で、番号知ってんの?」
 思ったことをそのまま聞いてみると、
「それは……携帯の電源は入るけど、ちゃんと着信できるかな〜と思って……テストしただけです。そういえば、着信履歴、消すのを忘れてました」
「いや、そうじゃなくて、何で番号を知ってるのかって聞いてるんだけど」
 決して怒ってるわけじゃなく、普通の声音で聞いてみた。
「……携帯って、自分の番号を表示できるじゃないですか。それで見ました。勝手にすみません」
「……え? どうやって?」
 二世代携帯だったら出し方知ってるけど、三世代携帯にそんな機能あったか?
「メニューキーを押して、『0』で表示されますよ?」
「そ、そうなんだ。へぇ……」
 全然知らなかった。
「でも、携帯……大丈夫みたいですね。よかった……」
「あ、ああ。うん、そうだね。ありがとう」
「うふふふ」
 彼女は笑いながら通話を切ったので、早速――試してみた。
 メニュー……0。
「おお、すげっ!」
 思わず驚きが声になる。
 言われた通り、オーナー情報として俺の携帯番号とメールアドレスが表示されている。
 今度はディスプレイ上部にメールを受信するマークが点滅しはじめたので、メールボックスを開くと、先ほど電話を掛けた番号からメールを受信していた。

 ――携帯会社も一緒みたいなので、番号でメールもできるので……。
 ちゃんと届きましたか?  愛里

 ……。
 返信ボタンを押し、キーを押して文章を作った。

 ――ちゃんと届いたよ。メールもできるみたいだ。

 送信。


 ……なんだか、今日の急展開についていけない俺がいる。


 あ、そういえば、もうすぐお盆だな。十三日には母さんを迎えに行かなきゃ……。


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2007.11.30 UP
2009.07.24 改稿