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  俺が思わず家出を考えてしまった理由


  【2】


 ――チッチッチッチ……
 普段は気にもならない、秒針を刻む音がやけに耳についた。
 首を振る扇風機が生ぬるい風をかき回しているここは台所。
 テーブルを囲む三人――俺と父と少女。
 とりあえず話を聞くように、ということで、ここに着席している。
 少女は先ほどからずっと、あっちこっちをきょろきょろと見回していて落ち着きがない。
「そういえば、まだ名前を言ってなかったね。彼女は愛里(あいり)さん。昨日十六歳になりました」
 彼女の動きが止まり、俺とちょっと目が合うと、逸らすように頭を下げ、ぼそぼそと名乗った。
「……吉武……愛里です」
 図々しく、もうウチの苗字名乗ってやがる。しかも昨日十六歳になっただぁ? 俺より二歳も年下じゃねぇか。
 確かに女は、十六歳で結婚できるけど、何で子持ちのおっさんと結婚だなんて――つーか、一言もそんな話聞いてねぇのに、勝手に結婚するってどういうことだ!
 十八歳である俺に、十六歳の継母って、世間から見てもおかしいじゃないか。
 そのうえ、親父! いつからロリコンに転校した!! ある意味、犯罪だ。
「出会いはあれこれ……二年前だったかな?」
 二年前?
「ちょっと待て。二年前って……彼女、十四歳だろ!」
「そうだよ?」
「まさか、援交が出会いです、なんてオチはないだろうな?」
 父は笑顔を絶やさず答えた。
「半分は正解かな?」
 この親父、顔に似合わずとんでもねぇことしてやがったのか。
「でもまぁ、それが出会いであることは否定しないよ」
 さすがに唖然とすることしかできなかった。
 頼むから……嘘でもいいから、そこは否定しとけよ。
「色々あってね……」
 そりゃ、色々とあったでしょうね。聞きたくないけど。
「彼女のご両親を説得して、」
 ご両親、説得されたのかよ! この親父に!
「十六歳になったから結婚したの。質問は?」
「したくない」
 とりあえず、聞きたくないことを散々聞いたような気がするので、これ以上は聞きたくない。
「じゃ、ごはんにしようか」
 ……ん? 待てよ。十六歳ってことは、まだ高校生なんじゃないのか?
「ちょっと待った、質問。彼女、高校生じゃないの?」
 愛里がかすかに眉をひそめたのを俺は見逃さなかった。
「それね……問題ない。彼女はちょっと理由(わけ)ありで、高校には進学してないんだ」
 その理由って、親父との援交じゃないだろうな? だったら、責任取らされても――だからそっちはやめろ、俺の思考。
「まぁとりあえず、愛里さんと仲良くしてね」
 ちらっと彼女を見ると目が合ったがすぐに逸らされた。
「はいはい」
 仲良くしてもいいけど、こっちが仲良くしてもらえるんだかどうだか……。
 俺は溜め息をつきながら、夕食の支度をすべく、席を立った。


 テーブルに、自分が作った料理を並べ終わると、いつもの席に座り、両手を合わせた。
「いただきます」
 箸を右手、ごはん茶碗を左手に持ち、俺の好物である鶏のから揚げに箸を伸ばす――が、どうも向かいに座る父と少女が気になる。
 箸をおかずに伸ばしたまま、俺は正面の二人を上目遣いで窺うよう交互に見た。少女とは視線が合うことなく、父といえば目が合うなり、首を少し傾げてにっこりと笑ってきた。
「ヒロくん、十八歳の誕生日、おめでとー。そして、僕らの結婚記念日もおめでとー」
 ムカッ!
 もう、誕生日のことなんてすっかり忘れて、どうでもいい日になってしまった。
「愛里さん、どうぞ食べてください。うちの息子が作ったものなので、お口に合うかどうか……」
「オイ、それが毎日夕飯を作ってくれるありがたい息子へ向ける言葉か?」
 ここ数年、ろくに家のことをしてないくせに、よく言えたものだ。
「いやいや。ヒロくんのごはんはおいしいよ。でも、やっぱり、合わない人だっていると思うんだ」
 と、やりとりしているうちに、少女は「いただきます」と小さな声で言って、食事をとりはじめた。
 作った者として、やはり気になるのが食べる人の反応。彼女の様子をじっと見つめている訳にもいかないので、気にしつつ、自分も箸をすすめた。
 彼女は黙々と食べていた。
「今日の味噌汁はいつもと味が違う気がするけど、味噌でも変えたの?」
「いつも通りだけど」
 親父はすっとぼけた反応しかしないし。味覚オンチなのか? どうでもいいけど。
 一言も発さないうちに、彼女の皿は空になった。
「おいしかったです。ごちそうさまでした」
 俺と目を合わさず下を向いたまま、小さく細い声で少女は言った。


 食器の片付け、風呂の準備――いつも通り、俺がやった。
 前触れもなくやってきた継母だという少女がいること以外、普段と何も変わらない。まぁ、少しだけ窮屈な感じがする。
 ほんとにこれから、あの少女と生活することになるのか?
 バカ親父の冗談ならいいんだけどなぁ。


 彼女が一番に風呂へ入ったので、台所に父と二人きりになった。
 それを見計らったように、父は口を開いた。
「彼女ね、家庭にもちょっと問題あって、中学の時も色々あったんだ」
 色々もなにも、アンタが色々――いやぁ。
「テレクラでたまたま、彼女と会うことになってね……」
 だからやめろ、そういう話は! つーか、ネットが普及してる時代にテレクラって聞くと、古風な気がするのはなぜだ。
「実際に会ってびっくりしたよ、ほんとに」
「そろそろ黙らないと、息の根止めるぞ」
「まぁ、聞いて。愛里さんを知るためにも」
 そういうのは知りたくないんだけどなぁ。
「育った環境とか、友人関係で色々あったせいで、人と話すのがちょっと苦手ってだけで、慣れたらそんなことは全然ないんだよ」
 そういえば、目を合わせてもすぐに逸らして、ろくに喋りもしなかったな。
「彼女、僕にはちゃんと話をしてくれるし、笑ってくれる。ただ、友人と家族に恵まれなかった。だからこそ、幸せにしてあげたいんだ。せっかく、出会えたのだから……」
 そう言って、昔を懐かしむよう遠くを見つめる親父を見て、
「歳を考えろよ、互いの」
 水を差さずにはいられなかった。
「ヒロくんのバカっ! アホっ! 冷血人間っ!」
 精神年齢が父子逆転してる感じもするので、それはそれで釣り合いが取れてていいのかもしれない、と今更ながら思ってしまった。
 この親父の性格――一生直らないだろうし。
 彼女だって、何も知らないうちに、勝手に結婚させられてここに来た、という感じではなさそうだったし。

 ――って、なに納得してるんだ、俺は!

 この父親と一緒にいると、どうも調子が狂ってしまう。
 台所にいてもすることがないから、風呂の順番が回ってくるまで二階にある自分の部屋に戻ることにした。

「とりあえず、彼女の友達になってあげてくれないかな?」

 台所から出ようと背を向けている俺に、そんなことを言う父。
 友達?
 今更そんなこと言われても……できるかどうか分からないけど、そこまで聞かされて冷たく当たれるほど、心無い人間にはなれない。
 仲良くできるかは分からないけど……。
 俺は答えることなく廊下に出て、階段を上がった。
 ホントは家出したい気分だったけど……そこまでできなかった。


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2007.11.06 UP
2009.07.24 改稿