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  俺が思わず家出を考えてしまった理由


  【1】


 俺は吉武紘貴(よしたけ ひろき)。県立高校に通う三年生。
 母はいない。家族と呼べるのは、サラリーマンの父・裕昭(ひろあき)だけ。いわゆる父子家庭というやつだ。
 母を知らない俺は、母親がいないことを寂しいなんて思ったことは一度もない。
 逆に、多忙な父に気を使い、参観日のプリントを隠したりもしていたぐらいだ。だけど……仕事で忙しいはずなのに、参観日には必ず来てくれていた。クラスメイトの母親たちの中に必ずスーツ姿の父がいた。
 それが嬉しくて、授業中に何度泣きそうになったことか……。

 親としての厳しい一面を持ちつつ、まるで友達みたいに対等に接してくれる父が大好きだった。
 そんな父を尊敬さえしていた。
 あの日までは……。
 それでなくても天然っ気のある父だが、その日ばかりは再起不能だと俺が判断したぐらいだ。
 今までにない異常なことに、ただただ……ツッコむことしかできなかった。阻止はすでに不可能な状況だった。


 それは高校最後の夏休み――俺の十八回目の誕生日。


 窓を開け放って扇風機を回していても、熱気混じりのぬるい風が部屋を巡回するだけで、ちっとも涼しくない。それでも、ついていない状態よりはマシというか、気休め。ぬるい風でも吹くだけありがたいということで、強風で起動中の扇風機の前から離れられない、動きたくない。
 ――今年の誕生日は、エアコンを……。
 扇風機の風で暴れる電器店の広告を押さえつけて見ながら、そのことで頭がイッパイになっていた。

 去年は食器洗い乾燥機、その前はドラム式の洗濯乾燥機。
 どちらも、高校に入って家事をする時間のせいで睡眠や勉強、自由な時間が減ったことから、誕生日のプレゼントとして親父に頼み、買ってもらったものだ。

「息子の誕生日に洗濯乾燥機って……しかも二十五万って……」
「洗濯干して登校とか、帰ってから取り込んでたたむなんて、そんな時間ないんだから!」

 それらが導入されて、どれだけ一日が有意義に過ごせるようになったことか。
 だけど後になって、誕生日プレゼントとしては普通じゃないな、と俺は肩を落とし、父は思わぬ出費と電気代に嘆いていた。
 それらに比べれば、エアコンなんて安いものだろう。夏のボーナスも入ってる頃だし、エアコンの一台ぐらいは……。年々温暖化してるんだ、イヤとは言わせない。


 ――今日は俺の誕生日。
 今まで、父は一度も忘れなかった俺の誕生日。
 なのに……予想も期待も裏切ったのは、父だった。


「ただいまー」
 まだ陽も落ちないうちに帰ってきた父。それが嬉しくて、玄関へと迎えに出たんだけど、そこには見ず知らずの少女も立っていた。
 困惑気味の少女、固まる俺。いつも通り、笑顔の父。
「ヒロくん、紹介するね。今日からヒロくんのお継母さん」
 少女を紹介してくれたのはいいけど、
「は?」
 意味が分からない。
 ――今日から俺のおかあさん?
 いくら素が天然だからって、そこまで無理のあるギャグは、全然面白くない。
 同じ冗談なら、『腹違いの妹だ』の方がリアルだ。
 ああ、この、スケベオヤジめぇ〜、で済む。いや、実際にそんなことあったら埋めるけど。
「こっ……こんにちは……」
 俺の変な想像を割って、怯えたように挨拶をしてきたのは、どう見ても俺より年下の少女。父の斜め後ろで肩をすくめ、ちっちゃくなって立っていた。小さな体に不釣合いな荷物を抱えて……。
「おっさん、夏休み名物の家出少女を拾って帰ってきて、つまらんギャグを吐けとは一言も言ってないけど」
「誰がおっさんか! パパに向かって!!」
「パパって歳か?」
 どうでもいいから、その少女をさっさと家に帰さないと、誘拐だのなんだのって、大変なことになってしまう。
 だいたい、今日は俺の誕生日だし、エアコンが、エアコンで、エアコンなんだから。
 父の意味不明なお遊びに付き合うのもバカらしいので、二人に背を向け、台所に行こうとしたら、
「ヒロくん! これが証拠だ!」
 父の必死な声に振り返り――俺は目を見開いて、口元を引きつらせた。
 少女は左手を肩の高さまで上げ、甲をこちらに見せている。例えるなら、芸能人の婚約会見で指輪を見せ付けるかのように。
 少女の表情もまんざらじゃない。薄く照れ笑いなんかしてやがる。
 結婚指輪とかって、給料の三か月分が相場だとかなんとか。
「ね?」
 父も笑顔で左手甲をこちらに見せている。
 二人の薬指には、くすみのない、鏡のように光るシルバーのリングがはめられていた。
 はめられてるのは俺か?
 サプライズ……だろ? これ。
「いや、もういいからさ……俺の誕生日だからって、そこまで演出しなくていい」
 みるみる、父の笑顔が青ざめた。
「た……んじょうび?」
「……」
「……ごめん、忘れてた」
「……もういい。エアコン買え。これ、強制! それで許す」
「無理。ボーナスは指輪買うのに使っちゃった……」
「……」
 十八回目に忘れられるぐらいなら、最初っから誕生日を忘れられていた方がマシだ!!
「いいじゃん。お母さんができたから」
 俺は拳を握り締め、大きく息を吸った。
「いいわけねぇだろぉぉぉおおおおお!! 返してこいっ!!」


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2007.11.02 UP
2009.06.25 改稿