■CAMPUS LIFE S■


  【1】


 当時、付き合っていた彼氏がある日突然、音信不通になった。
 彼が住んでいたアパートにも帰った形跡がなく、一週間が過ぎた頃――。
 突然戻ってきた彼は、私にこう言った。

「すまない、紗枝……。オレ、大学辞めて家継がなきゃならなくなった……」

 一体、彼が何の話をしているのか、分からなかった。
 省略しすぎなのよ。
 何が何を、どうして、どうなったのか、きちんと説明すべきだわ。
「先週、オヤジが死んでさ……ウチの実家、自営業だし、オレは長男だし……」
 いいだしが取れそうなほど、だしを連呼しないで。聞いてるだけで味噌汁と茶碗蒸しとだし焼き卵が作れそうだわ。
 それに私、それ以上聞きたくない。
「ついでだし、紗枝、ついてこないか?」
 …………。
「はぁ? ついで、なの?」
 一番聞きたくないセリフは聞かずにすんだけど、その言い方ってヒドイじゃない?
 私ってついでなの? 食玩――オマケ付きのお菓子で言う、子供は知らんぷりのお菓子の方?
 ……冗談じゃない。
「一緒に行こう、紗枝。結婚しよう」
 普通は嬉しいはずだけど、ついでだなんて聞いたらちっとも嬉しくない。逆にアタマにきた。
「私、行かないわ。まだやり残したことがたくさんあるの。じゃ、がんばってね。さよなら」


 何もかもが突然起こってしまった。
 どんなに好きでも、男の都合に振り回されるような女じゃない。
 こうして、私は自らこの恋を終わらせた。

 ここで結婚を決意していれば、あの人を知らないまま、出会わずに平凡な生活を送っていたのかもしれない。
 まだ三年近く残っている大学生活は、勉強一色のつまらないものになるのだと思っていた。
 三年生になって間もなく、あの人に会うまでは――。




「おい、バカ姉貴! 電話長いって!」
 部屋の外からそんな弟の声が聞こえる。
 ドアを耳障りなほど叩いてくるので電話の声も聞き取れない。
「うるさいわね。そんなことされたら、終われるものも終われないじゃないの!」
 声音を変えて、再び電話相手に聞き返し、返事をしてようやく終了。
 さて、雅哉(まさや)に電話を渡すついでに、仕返しでもしておこうかしら。
 部屋のドアを開くと、廊下に座り込んだ弟の姿を発見。電話の子機を投げつけてやった。
「アンタがうるさくて全然電話が聞こえなくてね〜ごめんなさいね。どちらさまにご用件?」
「あー? 彼女。時間通りに電話しねぇと怒るんだから……」
 なんだか、ムカツクわ。
 まぁいいか。そのうち子機の方が仕返しを遂行してくれるでしょう。
 ウチの子機はバッテリーの持ちが悪いから。
 ――ピーピーピーピー
 ほーらね。
「うわぁ!!」
 慌てて充電に走る弟を見送ってから私は部屋に戻り、先程の電話の内容を思い出してみた。


 私が大学で所属しているサークル――ラケット競技同好会の新人歓迎会。それが今週の土曜に決まったので参加するか、しないか、というものだった。
 もちろん、参加するつもりで返事をした。
 それよりも、『ラケット競技同好会』なんてネーミングが怪しいけど、簡単に説明すれば、ラケットを使用する球技好きの集まり。
 バドミントンでも、卓球でも、テニスでも、羽子板でも、好きなら何でもいいの。
 本格的なものではないので、ちょっと体を動かしたい程度の人にオススメのサークル。私はバドミントンをしてるけどね。
 そんなサークルの新人歓迎会前に、明日、部室で顔合わせをするとか。
 今年はどんなメンツが揃ったのか、少し楽しみだった。




 ――次の日。
 本日最後の講義を終え、集合時間までに少し時間があったので、大学に一番近いコンビニへ行った。そこでいつも買うジュースを購入してから部室に向かった。
 部室に近くなると、賑やかな話し声が聞こえてくる。
 これはちょっと遅れたかな? なんて思いながら、ドアに手を掛けて開くと、よく見るいつもの顔と初めて見る顔が視界いっぱいに入ってきた。
 その理由は、部室が狭いから。そんなに人数が多いサークルではない。幅広く扱っているせいで、部屋の半分近くを備品に占領されているから、出入り口付近で人がだんご状態になっているのだ。
「紗枝ちゃん、来てる?」
 入るのをためらっていると、奥から有福(ありふく)部長に呼ばれてしまったので、
「はい、はーい。結城、ここにいまーす」
 大きく返事をして、仕方なく人を掻き分けるようにして進入した。
 部長の前まで行くと、個人的に話があるものだと思っていたのに……。
「全員揃ったようなので、これから自己紹介を始めよう」
 私が最後だったらしく、確認で呼ばれただけみたい。
「今回の新入部員は四名で、今年は十二名の部員で活動することになりそうだ――」
 たった十二人でこんなに混雑する部室ってどうなのよ。毎度のことながらそんなことを思ってしまう。
「まずは、新入部員から、自己紹介してもらおう」
 オマエからやれ、って四人が譲り合いをしている。このままじゃいつまで経っても始まらないわ。
「そこのツンツンアタマ、目立つからアンタから自己紹介しなさい」

 そう、こんなセリフが彼に向けた初めての言葉だった――。


「どうだい、紗枝ちゃん。面白そうなのが増えただろう?」
「そうですか?」
 一通り自己紹介が終わると、どんな活動をしているのか実演。
 私はそんな会話をしながら、バドミントンをしていた。相手はだいたい部長である。
 シャトルコックを高く打ち返すと、横目で新人の様子を伺った。
 ……自分達の会話に夢中だ。
 それこそ、目立つツンツンアタマ――真部寿は、同じく新入部員の女の子と楽しく会話中。もう意気投合したのかしら? 最近の男は手が早いからイヤね。
 その点、部長は紳士的で包容力もありそうだけど……対象になったことは一度もない。

 ……やっぱり……あの時に壊れちゃったのかしら?
 自分がそうしたのに、心のどこかで引きずって、怯えているのね……。
 どんなに想っていても、いつかはあっけなく終わってしまうことを。
 たった一言で、簡単に壊れてしまう関係に――。

 そんな事を考えていたら、目の前をシャトルコックが落ちていった。
「……あ」
「どうしたの、紗枝ちゃん。お留守になってるよ」
「すみません!」
 すぐに拾い上げ、そんな思いも一緒に飛ばすように、高く、高く打ち上げた。




 ――そして土曜日。新入部員の歓迎会。
 三十人は入れそうな宴会専用のカラオケルームといった感じで、食べ放題、飲み放題に加えて歌い放題。だけど十二人。実際に部屋が広すぎる。
 相変わらず、ツンツンアタマは例の女の子の隣。ウワサによると、二人は付き合っているらしい。幸せ真っ盛りって感じで羨ましい限りだ。

 未成年も居るはずなのに、なぜか全員の前にビールが並んでいるという不思議な光景。
 二年前、私が一年生の時もこんなカンジで、無理して飲んだら次の日アタマが痛くなっちゃったのよね。おかげでお酒が飲めるようになったんだけど。

「それでは、ラケット競技同好会の新入部員歓迎会を始めます、かんぱーい」
 部長の挨拶で、サークルに入って三度目の飲み食い歌うだけの歓迎会が始まった。
 私はやっぱり部長の隣。別に付き合ってもないのに、変なうわさが立つ原因はここにあったのか……。
「紗枝ちゃん、何か取ってあげようか?」
「大丈夫です。自分でやりますから……」
 大皿に盛ってある食べ物を自分で、欲しい分だけ受け皿に取った。
 そういう態度の部長にも問題があると思う。
 隣で一部始終を見ていたのか、同じ三年のゆいちゃんが私の肩を突付いた。
「紗枝、最近、ものすごく部長に気に入られてるわよね」
 と小声で言ってくる。
 前から仲はいい方だったけど……言われてみれば最近、何かと……。
「そうかな?」
 だけど誤魔化しておく。変に誤解されても迷惑だし、こっちにその気がないので気付いていないフリが一番いい。
「そんなこと言ってー、ホントは付き合ってるんじゃないのー? シャトルコックに想いを乗せて、打ち合って――」
「だから違うってば。変なこと言わないでよ!」
「それ、いいね。今度やってみようかなー?」
 どうやら部長にも聞こえていたらしく、笑いながら話題に割り込んできた。
「部長! キツい冗談はやめてください」
「冗談じゃないって言ったらどうする?」
 ……え?
 ……どうしましょう。
「皆、回ってきてるみたいだから、そろそろ始めようかな……あれ」
 ああ、なんだ。部長も回ってるのか。そういうことにしよう。

 ……ん? あれ?
 あれって……まさか!!
 忘れてたわ!
 過去に二度、途中からおかしなお遊びが始まっていたことを……。
 狙ったように、その話題を持ち出さないでください!!
 イマドキ、そんなこと、中学生でもやりませんよー!!

「我がサークル恒例の王様ゲームを開始しますよー」
 酔っ払い男性陣は待ってました、といわんばかりの盛り上がりを見せ、女性陣は嫌そうな、でもちょっと嬉しい、みたいな微妙な表情を浮かべる。
 しかも、部長は数字や王様と書いてある箸を前もって準備しているし、文字が書いてある方をナプキンで包み、空のグラスに入れて準備万端。
「レディーファースト、ということで、まずは紗枝ちゃんからどうぞ。見えないようにしてね」
 差し出される恐怖の箸が入ったグラス。
 仕方なく一本取り、誰にも見られないように、書いてある文字を確認した。

 全員に配り終えた部長は、最後の一本を自分のものにして、
「王様の人、手を挙げてー」
 控えめに手を挙げた王様は、新入部員の梶原という男だ。
 いきなり王様になってしまい、無茶なことを言って先輩に叩かれないか、恐れているのだろう。
「じゃ、王様、命令をどうぞ!」
「えっと……五番さん、今残っているお酒を一気飲みしてください!」
「うわ、俺かよー」
 みごと、当選したのはツンツンアタマの真部。
 全員の『一気、一気』という掛け声。真部はジョッキを手にして――八割以上残っていたビールを一気に流し込んだ。
 飲み終えて空になったジョッキを高く挙げると、おおー、という声が上がった。
 しかし、肝心の真部は……青い顔をしていた。お気の毒様。

「じゃ、第二回戦〜♪」

 デュエット曲を歌う。
 モノマネをしながら歌う。
 腕相撲をする。
 ――など、たいした命令ではないものが続く。
 私はまだ、王様にはなっていない。

「七回戦、はじめまーす」
 何だかんだと七回目。いつになったら終わるのやら……。

「おお! 今度は僕が王様みたいだね」
 隣の部長がついに王様を引いた。何か嫌な予感がする……。
「十番と……一番!」
 げ、私じゃん! 十番って。ついに当たっちゃったよ。
 そして、ついに意地悪な悪乗り命令が来た。これを境に無茶な命令が増えること間違いなし。
「皆の前でキスしてください!」
「はぁ? 冗談じゃないわよ! 何でそんなことしなきゃならないんですか!!」
 アタマで考えるより先に口が動いた。
「まぁまぁ、ゲームだけど王様の命令は絶対。そういうルールだから、仕方ない」
「そういう命令はやめてください!」
「王様ゲームで必ずやる、王道の命令なんだから……」
「お願いですから撤回してください!」
「……無理。それじゃ面白くない」
 た、楽しんでる、この人……!!
「一番さーん、誰ですかー?」
 もうヤダ! 待ってよ、やめてよー!!
 私と部長の言い合い(?)に怯えたのか、おずおずと手を挙げたのは……!
「真部くんかー。いいなぁ〜。王様と十番にしておけばよかった」
 それもよくない!!
「ちょっと、ホントに待ってください! 真部には彼女がいるじゃないですか。さすがにそれはかわいそうでしょ!」
「すみませんが、領家(りょうけ)さん。ゲームということで割り切ってください」
 いやぁー! 説得しないで! 領家さんも、ダメだと言ってちょうだい! もう、止められるのは貴女しかいないわ。
「……うぷ……もう、ダメ……」
 と、走って部屋から飛び出した。
 相当、具合悪そうだったけど……飲ませるから……って、それじゃ誰も止める人いないじゃない!
「今のうちだ。彼女が見ていなければ浮気にはならんぞ!」
 んなアホな!
「やっちゃえ、やっちゃえー!」
 酔いの勢いでそんなに押すなー!
「……俺、結城センパイなら……」
 待って、待って!! もう目つきが危ない! これ以上近づくなー!!

 近距離ですっごく色っぽい目をされたもんだから、うっかり抵抗するのも忘れて見とれてしまい……。
 唇が触れた。
 だけじゃ終わらなかった。
 ――大変です! ここに酔っ払いが!!
 手首と腰を掴まれて引き寄せられ、更に深くキスをされ――。
 恥ずかしくてたまらないし、頭には血が昇るし――とりあえず、自分の身を守ることが先決。片膝を思いっきり上げた。
 どこに当たったのかはよく分からないけど、真部はバッタリと倒れ、ビクビクと痙攣していた。
 何とか危機は脱したわ。
 かなり心拍数が上がっちゃったじゃない!
 もう、誰に八つ当たりすればいいのよー!!

「……紗枝さんこえぇ」
「タマ潰しの紗枝だ……」

 男性陣が震え上がっていた。
 ……そんなところに膝がヒットしちゃったの? ……さすがにマズかったかな。
 いや、酒の勢いであっても悪乗りした真部が悪いんだ。自業自得よ!




 そんなゲームがきっかけで、私は真部を意識するようになってしまったのだ。




 ――月曜日。
 王様ゲームのアレをネタに何か言われるのではないかと少し怖かったけど、どうしても体が動かしたくて部室に来ていた。
 室内には、壁を相手に卓球をするさっちゃんが居ただけで、部長はまだ講義中だとか。
 バドミントンの相手をしてくれる人がいなかったので、仕方なく外で一人、シャトルコックを高く打ち上げていた。

 ――浅岡くん、今頃何をしてるのかしら……。
 私はあの日、選択を間違えたの……?

 間違えたのは私の腕の方だった。
 シャトルコックが別の方向に飛んでいっちゃった!
 考え事をしながら、打つと手元が狂うわ。気を付けなきゃ……。
 しかも、落下しそうなポイントに、人が歩いてるし。
「ちょっと、そこの人、避けてー!」
 その人がこちらに振り返っている間に、シャトルコックは落ち――頭に当たった。
 しかも運悪くその人物は真部寿。
 会いたくなかったのにー。でもとりあえず、謝っておかなくては。
「ごめんねー。大丈夫?」
「ああ、大丈夫っすよー。ちょっとビックリしたけど」
 少年のような笑顔に、ドキリとした。

 ――私、どうしちゃったんだろう?
 胸がドキドキしてる……。
 まさか、ゲームでキスしたぐらいで、意識しちゃってるの?
 この、私が?
 何だか自分が分からない。

 いつの間にか目の前に居た真部に、シャトルコックを手渡された。
「そんなに考え込まなくても大丈夫ですから。石が落ちてきたんだったら別ですけど、バドミントンのハネは痛くないですから」

 ――真部は何で平気なの?
 あれはゲームだって割り切ってる?
 気にしているのは私だけ?
 ……彼女が居るんだもの。ゲームとして割り切ってるんだわ。

「あ、ありがとう。ホントにごめん……」

 笑顔を作ってそう言うと、逃げるようにその場を離れた。
 私は……何に対して謝っているのだろう?
 っていうより、意識しすぎだ、私! 相手は二歳も年下だぞ。たかがゲームで……されどゲームか……。
「有福センパイめ……」
 木に手を突き毒づこうかと思っていたら、
「何か?」
 返事が返ってくるはずのない独り言だったのに、聞き覚えのある声でそんな答えが返ってきたのですぐに顔を上げて確認すると、いつも通り爽やかな笑顔の部長が数メートル先に立っていた。
「あ、いや、何でもないです」
 部長、講義中じゃなかったんですか? 驚きすぎて一瞬、頭の中が真っ白になりかけたじゃない!
「真部くんは――」
 どっきーん。なななななななな……!!
「そんなに慌てなくても……。まだ何も言ってないよ?」
 そ、そんなに慌ててるように見えるの、私。まぁ、確かに心臓あたりが忙しく動いてますけど……。
「で、真部が何か?」
 動揺しかけているのを悟られないよう――もう気付かれてると思うけど――できるだけ普通に装い、部長が何を言いかけたのか聞いてみた。
「いや、何も。その先は考えてないよ」
 この人、私をからかって……。
「紗枝ちゃん、一人でやってても面白くないだろ? 僕が相手になってあげるよ」
「……それはどうも」
 こちらに向かって軽く手を上げると背を向け、ラケットを取りに部室の方へと歩いていった。
 一体この人は何を考えているんだろう。会話の中に組み込まれている先輩特有の笑顔を向けられると、それ以上深く聞くことはできなかった。いや、聞いたとしても巧みな話術に引っかかり、私が思っていること全部をさらけ出すことになるに違いない。
 気にはなるけど、うまく話をそらされて正解なんだ、と何とか自分を納得させ、ラケットの上でシャトルコックを遊ばせた。


 自分らしくない。
 寝ても覚めてもスッキリしない。
 胸か頭の中なのか、モヤモヤとして気分が悪い。
 私らしくない。
 ――胸の奥に想いを隠して。
 隠しごとをしていてもすぐに見透かしてしまう部長には、きっと気付かれている。




 自分でも認めたくない想いを秘めたまま、日は過ぎていく。
 そんなある日。帰ろうと思っていたのに、バドミントンの相手がいないとかで真部に捕まってしまった。
「なぜ私!」
 すでにラケットを手渡されて、打ち合いをするにはいい距離になっている。
「だって、気軽に頼めそうな先輩って、結城先輩しかいないし……」
 ……そう。で、彼女はどうした?
「それともう一つ、前から言いたかったことがありまして……」
 どきーん。
 って、何を期待している私!
「実は妹の名前が『ユウキ』でして、どうも『結城先輩』と呼ぶのに抵抗があるんです」
「私はイヤイヤ呼ばれてたのかよ!」
 飛んできたシャトルコックを真部に向かって思いっきり叩き落した。
「そうじゃなくて、呼びにくいんです。だから、紗枝さんって呼んでいいですか?」
 地面を数回跳ねたシャトルコックに目を奪われることなく、真部は私をまっすぐ見つめてそんなことを言う。
「す、好きにしたら! どうぞご自由に!」
 動揺を隠すよう強く言うと、真部はニコリと笑い、私たちの間に落ちているシャトルコックを拾いに行った。
「いやー、それにしても、今のはスゴかったですね。紗枝さんなら鉄球でもダンベルでも見事に打ち飛ばせると思いますよ」
 おい、待て。アンタは私を何だと思ってる。
 口よりも先に手が出ていた。
 私は真部に向かって思いっきりラケットを投げつけ、
「天国にでも飛ばせると思うわよ?」
 なんて恐ろしいことを言ってみた。
「……遠慮しておきます。せめて、大気圏内にしてください」
 私が投げたラケットを顔面に食らいながらもまだまだ余裕そうな笑顔を見せてくる。

 やめてよ。そんな笑顔を私に見せないで。
 想いが……信号無視して急発進しそう。
 それだけはダメ。真部には、彼女が……。
 略奪してまで手に入れたくない。
 欲しいものが手に入らなくて喚いて、強引に手にする子供じゃない。
 大人なのよ、もう。割り切らなきゃ……。
 どうにか、忘れなきゃ……。

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