FILE:3−1 ペーパードライバー、免許条件なし。


 それはある春の休日。俺とマイちゃんは、お散歩デートの真っ最中。
 何を血迷ったか、ラブホ前をテクテクと歩くバカップルと化していた。
 いや、たまたま通りかかっただけで、そんなつもりは全くないんだけど……マイちゃんは、まだ入ったことのない、未開の地の外観を舐めるように見上げ、
「ほえ〜」
 とかわいく漏らした瞬間、いかにもなにかを企んでそうな、なんともかわいげのない表情に緩み、歪んでいた。
 ……こうなると、あまり嬉しくない、素直に喜べない展開になることは、百も承知である。
 なんてったって、彼女はネタのためなら何でもやるし、やらそうとするし、やらされる身にもなってみろってんだ。俺は一応、ノーマルなんだから。ちなみに彼女は腐女。
「はぁ……w 一度入ってみたいですね。参考のために」
 何の参考だって、アレしかないけど。彼氏と一緒に入っても、男同士が絡む舞台にしかならないんだね。
「でも、さすがに徒歩で入る勇気はないよ、俺には」
 どこで誰が見てるか分からないからな。壁に耳アリ、障子に目アリ。
「ですよね。まさか我々が入ろうと思ってたホテルから、弟くんがチャリで出てきたんだから、とてもじゃありません」
「別に入ろうとは言ってないじゃないか……って、んん!?」
 安全確認のために一時停止したであろう我が弟、充が、まさにホテルから出てきたという感じで……こんな所に俺がいたせいもあり、こちらを向いたまま、顔を強張らせ、引きつらせ、口をパクパク。
「な、な、何もしてないよ、オレは」
「って言いながら、どこから出てきてんだよ」
「とかマジメぶって聞いてきながら、どこ歩いてんだよ」
「ただの散歩だ。悪いか?」
「何が散歩だ〜、アヤシィ〜」
「ミノルさんの……ご兄弟?」
 み、みのる??
 今、充に対してそう言った、充の自転車の後ろに乗ってる女の子。
「……誰がミノルさんなの?」
「きゃはははははははは、だーりん、弟くんの偽名にされて……」
 そうか……そうやって、俺は見ず知らずの敵を充の手で作らされてんのかもしんないな。
「野田充、偽装容疑で逮捕だぁぁぁああああ!!」
「ぎゃー、ごめんなさーい!!」
 相手は自転車――全速力で逃げられると、とても追いつけないので……デートが終わったら、アパートで待ち構え、監禁するとしよう。

 間に変なものを挟んでしまったが、デート再開。なぜかホテル前より。
「だーりんが弟くんを追って行っちゃったあと、おじさんに声を掛けられてしまいました」
「な、なんだと!?」
 いや、だから何でホテル前で待ってるかね、マイちゃんは。せめてそこから少しでも離れてよ。カワイイから誘拐でもされたら、泣いちゃうよ?
「でも……おっさんには興味ねぇし、むしろ萎える」
 ああ、口から毒が出てきました。口調が変わったマイちゃんは、何だか表情も怖く見える。
「だーりんじゃなきゃ、や〜です、や〜ですぅw」
 と、腕にしがみついてくる。
 ああ、柔らかいものをそんなに押し付けてこないで……。反転してベッドにインしたくなります。
「……マイ、ちゃん」
 俺は意を決し、マイちゃんの期待に答えやろうと思った。都合のいい言い訳。ホントはスイッチがオンになっちゃっただけ。
 ホテルに入ろうか? と言おうとしたが、かなり爆音なバイクが近づいていることに気付き、言うのをやめた。
 聞き返されたら二度目は言えそうになかったから……小心者。
 さっさと行けよ、バイク!
 しかし、なぜかゆっくりと、しかも俺とマイちゃんの前で止まりやがった。
 ……フルフェイスのヘルメから見覚えのある赤毛の束がはみ出てた。
 こ、こんな時に遭遇するとは……俺も悪運の強い男だ。
 ヘルメのシールドをパカっと開けたバイクの兄ちゃんは、やはり小多朗で、
「昼間っからホテル前でちょろちょろと、鬱陶しいバカップルだな、コラ」
 とか言われてしまった。
 まぁ、既に身を固め、子供までいる小多朗から見たら、俺らなんて恋愛ごっこしてるお子様ぐらいにしか見えないだろうけどさ……。だけど、
「言葉ぐらい選んだらどうなんだ?」
「うっしゃい、だまるでしゅ〜」
 赤ちゃん言葉ならいいってもんじゃない。キツさはなくなっても、バカにされてる度がメーター振り切れて爆発してる。
 とにかく、この場から立ち去って欲しくてたまらなくなったので、
「さっき、ホテルから出てきた充が、自転車で向こうの方に走って行ったのだが……」
「やだよ。誰がみっちゃんなんか追いかけて冷やかすか、おもしろくねぇ」
 ……あえて俺か。なぜそこまで俺にこだわる!
 つーか、こんな所で話してたら、益々怪しいんですけど……。
「とりあえず、俺たちは帰ることにする。だから小多朗も、ツーリングの続きを楽しんでくれ」
 と、さっさと切り上げ、このホテル前という尋常ではない場所での立ち話から何とかかんとか離れる事に成功した。

 ……あ、そういえば、小多朗は乗用車を所持していたな。

 車ならまだ入りやすかろう、ホテル。そのうえ、他人の車となれば、気兼ねなど不要。車でバレてしまうこともあるからな。オマエ、ホテル入ったの、見たぞ! 的な。
 俺は自動車を運転するのに必要な免許は所持している。充は誕生日の関係でまだ未取得どころか、自動車学校にも行ったことがない。
 オートマだろうがマニュアルだろうが問題なく運転できる!
 できる、資格が、ある、だけ。
 であり、自動車学校以来、運転した覚えは全くない。
 そのうえ、小多朗が「はいどうぞ」と貸してくれるとはこれっぽちも思っちゃいない。
「絶対ヤダ」
 当たって――砕けた。
「だって、ヘタクソそうだし」
 でしょうよ。決して上手い自信はありませんよ。なんてったって、ペーパー歴三年弱で、これからも記録更新して、二度と乗ることなんてないんじゃないか、とさえ思うぐらいだからな。
「軽四でよければ、友達んとこの代車でも借りてきてやってもいいが……」
「贅沢は言わない。それでもいい」
「だったら、借りてきてくださいませ、小多朗様、とでも言え」
「そこまでして借りたくないわ!」

 とか言いつつ、小多朗はその日のうちに軽四の手配をして俺の前に現れた。
「とりあえず、エンジンを掛けてみろ」
 そんぐらい、余裕! これは……マニュアル車だな。よし。
 キーを回して、まわ……回し……???
「あれ?」
 なぜか掛からない。
 小多朗の方を向いてみると、そっぽ向いて小刻みに震え、
「はーっはっはっはっはっは」
 盛大に笑い始めた。
 ……やっぱ、何か企んでやがったか……。
「クラッチ踏まないと、エンジン掛からないって、知らないの? くくく……」
 え? そうなの? じゃ、踏んで――キーを回して、
 何とかエンジン始動。
 ああ、なるほどーって納得しつつクラッチを離したら、
「ひっ!!!」
 急に車が飛び出して、エンジン停止。
「ぎゃはははは、わざとサイド引かずに一速入れてたけど、マジでひっかかったー!」
 ……二段階で罠を仕掛けてんじゃねぇ! つーか、死ぬかと思ったわ!

 そして、ろくにマニュアル車を運転できなかった俺は……。
「チョーどんくせ〜」
 と、冷たい声音でバカにされたのは言うまでもない。
 そこで終わってくれたら、これ以上恥をさらさずにすんだのに、小多朗は更なる恥を求める、また次の日も車を手配してきた。
 今回はなぜか大きい車でオートマだった。

「……だからもういいのに……」
「一生ペーパードライバーで終わるつもりか! 後で後悔しても知らないからな」
 そう言われるなぁ……せっかくの免許が身分証明書なだけで生涯を終えるのもどうだか、と思わなくもない。
「分かったって……で、今日はどんなイタズラが待ち構えているのですかな?」
「いたずらだなんてとんでもない……っくく」
 ……笑い、堪えたな? 何かあるな?
 今日は落ち着いて……。
 ……何でコラムオートマかな? どうやんのか全然わかんないし。
 サイドブレーキ、どこ??
 だいたい真ん中のとこにあるじゃん。
 え? これ、オートマのはずなのに、何でクラッチついてんの??
 脳内は半パニック状態に陥った。
 まんまと小多朗のツボにはまるのはイヤだ。
 しかし、コラムオートマって意味わかんねぇ。
 つーか、サイドブレーキ、どこ?
 いやいや、まず、エンジン始動から。次は後で考えよう。
 キーオン!
 ……音楽は鳴りはじめた。しかし、エンジンはうんともすんとも言わない。
 !! 今日もまたひっかかったのか、俺!
 そういえば、昨日はクラッチを踏んで――クラッチだと思ってたものを踏んだら、ペダルが戻ってきて、
「……あれ? ……な、な、な、何で坂道に止めたか――!!」
 車はゆっくりとだが動き始めた。エンジン掛かってない! なんでー!?
「ちょ、そこまでパニくる前に、ブレーキ踏めよ! つーか、アクセル踏んでねぇ時はブレーキ踏んどけー!!」
 さすがの小多朗も声を荒げた。
 よし、ブレーキ!
 とにかく止めたくて、思いっきり踏んだら、一気にブレーキが掛かり、止った。
 ――ゴン。
 安堵の溜め息を漏らしてる俺の横で、フロントガラスに頭をぶつけてしまった小多朗が俺を睨んでくる。
「……野田、お前……この俺を殺すつもりか!」
「つーか、そんなこと言うなら、命がけのイタズラなんかすんな!!」
「もういい。二度と車なんて乗るな。センスがなさすぎる! 乗りたきゃもう一回、自校に行け」
「……っていうか小多朗さん」
「……なんだよ」
「いつも感情のない言葉や態度なくせに、今は丸出しだよね」
「この状況で冷静に対処できるか、この、ボケ!」
 いつもは冷静すぎてあんな態度なのか? へぇ〜。
「あーホントに、俺の車一番に持ってこなくて良かった……。もういいから、きっちり奥までサイド踏んで、鍵抜け! もう、帰る!」
 言われたとおりにしてみる。先ほどクラッチと勘違いしたものの正体も判明したことだし。ブレーキからゆっくりと足を下ろし、車が完全に止まっていることを確認し、長く息を吐き出した。えっと、鍵は……。
「……??」
 抜く時は手前にイッパイに回すんだよね? 突き当たるまで回して引いても抜けない。
「……くっ……」
 あ、今、笑ったな?
「ホントに免許持ってんの? 一昔前のオートマ車なら、ニュートラルでも鍵が抜けたけどさぁ……今はほとんど、パーキングじゃなきゃ抜けないんじゃない?」
 ってことは、パーキングじゃなかったんだね? 抜けないと自分で言っていながら、なぜパーキングではない位置にシフトしてんだよ!
 小多朗はコラムシフトに手を伸ばしてきて、目にも止まらぬ早業でガタガタと上に。パーキング位置、らしい。乗らないからよく知らない。
 ?? まだ抜けない。
「押しながら手前に回す」
「押しながら?」
 意味不明ながら、また言われたとおりにする。いや、また騙されてない?
 でも、ちゃんと抜けた。
「おー、すげー」
 と思わず漏らす俺。しかしすぐに、どこが! と突っ込んだ。心の中で。
「このままだと、一度乗って鍵挿してしまったら二度と降りれなくなるんじゃない? 自校で講習受けることをオススメするわ、マジで」
「……そうだね」
「まぁ、二度と車に乗ろうと思わないことを推進しておく」
 散々イタズラしておいて、ひどい言い草だ。
「さっさと降りろよ。お前なんかに運転させたら、借り物の車がタイヘンな事になる」
「ああ、すまん」
 小多朗に車を貸そうという物好きがいるもんだな、と思いつつ、それが誰なのか聞いてみた。どーせ教えてくれないと踏んで。
「誰の車?」
「心理学部のリンダ」
 ……??
 女? それ。
 ……千葉ナンバー? 何で。



 こうして俺は、他人の車でホテルにインすることを諦めた。
 だから自転車で入らざるおえなかった。
 俺は中学生か高校生か!!
 ただ、マイちゃんの喜ぶ顔が見たくて……。




 後日、部室棟にある我がサークルの署に一人の男が顔を出した。
 男が来たところでここにいる俺が依頼を聞こうとするはずもなく……ある意味、無視。
 小多朗もいるんだけど、まぁ、自ら何かをすることはまずない。どちらかと言えば、何やってんの? 的なことなら勝手にやり始めるか、俺を主にいたぶることが彼の仕事のようなもの。いや、やめろ。
「あ、炎摩、この前はありがと。助かった」
「いえいえ〜」
 あれ? 小多朗の知り合い? っていうか、知り合いいたんだ……とか思ってしまった。
「また困ったら言って〜」
「ああ。じゃ……」
 二人にしか分からないような会話を交わし、男は顔を引っ込めてドアを閉めた。
「……小多朗、知り合い?」
「どう見ても彼女ではなかろう」
 そりゃそうだけど……もう、通常営業なんだね。冷めた面して、感情がとくになさげな声音。さっきの男には普通に接してたのに。
「この前、みのんちゃんに殺されかけた時の車の持ち主だよ」
「ああ、リンダか!」
 なんだ、男だったのか……。
「車検だの修理だのを友達んちの板金屋に頼んでやっただけだ」
「……あ、そうなんだ」
 だ、そうだ。
「ちなみに、リンダというのは愛称で、本名は藤宮孝幸と言う」
「どっからきたの、リンダ!」
「マイハニーにでも聞いてみたら? 同じサークルだから知ってると思うよ」
 え!? 漫研?


「え? リンダさんですか? 知ってますよ。ボランティアで一緒なんです」
 なんだぁ……オタクなんじゃないかって心配したじゃないか。
「何で、リンダなのかな、と」
「ああ、それですか」
 マイちゃんは知ってそうな感じ。手をポンと叩いて、
「林田リンダだからですよ」
 ……は?
 益々、意味不明になってきたので、この件はもう追求する事をやめます。起訴しない。時効成立。

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