70・鍋 エピローグ U 〜そして始まり〜
大学卒業後、変わらずあのアパートに住んでいる。
変わった事と言えば、私の苗字だとか、戸籍上での直との関係。住民票などの続柄にも『妻』と書いてある。嬉し恥ずかし『人妻』ですよ。
それから、今は私が一人で住んでいるということ。
決まった時間に起きて、バイトに行って、ヒマだからたまに友達と遊んだりするぐらい――ごくごく平凡な毎日。
直は――平日、ココに居ない。
消防士採用試験に見事通り、今は消防学校で勉強中。
普段は学校の寮で生活し、土日は休みなので、金曜の夜、体に痣を作って、くたくたになって帰ってくる。
そう、今まで散々一緒に居たのに、結婚早々、別居状態だ。
でもそれは仕方ないこと。
直が夢に近づく為にはどうしても避けて通れない。
――試練なのかもしれない。
だけど、たくさんのハードルを乗り越えてきた私たちには、このぐらい、どうってことはない。
そりゃもちろん、寂しいけどさ……。
だけど半年間、この生活を我慢すれば、毎日がハードになるものの、また一緒に生活できるんだ。
二人で……ずっと二人きりで……。
ずっと新婚さん気分でいられるといいなぁ。
藤宮華音ちゃん、大学四年生……なんだけど、義兄の不手際で妊娠しちゃいました。
おかげで一年ちょっと早く結婚し、日に日に目立つようになったお腹を抱えて大学に通っていたりする。そのうち、産休というか、休学するらしい。
ダンナが雄叫びを上げながら部屋に乗り込んできた時は何が起こったのかと心配したが、そういうこと。
なんとも羨ましい限りだ。
古賀ちゃん、卒業後も相変わらずなご様子。
たまにバイト先に来ては甲高い声でマシンガンのように喋り、終わると何事もなかったように去ってゆく。
大体一緒についてくる、だーりん――野田稔は、相変わらず黙ってて、首を縦に振るか横に振るかぐらい。
結局は就職先が見つからず、そのまま大学院に入っちゃったような人だけど、相変わらず謎だ。
真部寿、我が兄。
つい先日、二人目が生まれたが、またしても女の子。
また会社で『早撃ちの寿って呼ばれた』なんて嘆きながら電話を掛けてくるような人だ。
紗枝さんが帰ってきたら、またいたぶられるんだろうな。
鎌井正臣さん。
人事異動で課長補佐に昇格したとか何とか。
こちらも二人目ができたらしいとの報告を受けた。
鎌井優奈さん。
日本中だけでは飽き足らず、ついに海外進出!
赤い跳ね馬を駆る彼女は、世界にはばたいたのだ。
直を含め、大きな夢(野望?)を持っている人は強いと思う。
直のお父さんとお母さん。
よく旅行に行っているらしく、月に一度、多いときには二度、お土産が送られてくる。
まぁ、すっかり元気になったことだし、いいじゃないの。
直が消防学校を卒業(?)したら、一度様子を見に来るって。
ああ、忘れてた。
片瀬絢菜、気付けばもう三年生。
たまに遊んでくれる人でもある。
去年だったか、坂見との関係が親にバレたとかで強制送還されてたけど、何とか説得し、今も大学に行っている。
この二人も今後、どうなることか……。
消防学校で半年の研修を終えた直は、見違えるほどたくましくなり、消防署へ初めての仕事に出動! ……いや、出勤だよ。
そして次の日の朝、帰宅。
「おかえり、直。今日も一日平和だったかい?」
さすがに丸一日、消防署に居るのだから、疲れた表情は隠せていない。
「……コンビニまで買い物に行かされ……溝に落ちた犬を救出しました」
体に合った仕事をしているようで、何よりです。
……いや、犬の救出は分かるけど、なぜにコンビニ?
まだ、夢半ば。
いや、まだスタートラインなのかもしれない。
夢に向かって走る直の姿は、何よりも輝いている。
大変だけど、充実している、新しい生活が始まる――。
<おわり>