009・リンダ 小さな夜の曲 <1>
大学を三年で中退。
理由――両親にこれ以上迷惑をかけたくなかったから。
それでなくても、親不孝の域に入るようなとんでもないことをやらかしてしまったのだから、せめてそのぐらいしなければ俺の気がすまなかった。……とは言っても気休め程度なんだろうけど。
俺の母とカノンの父が再婚して十年ぐらいだろうか。
同じ屋根の下に暮らす、カノンと結婚することを許されるだなんて、俺はなんて幸せ者なのだろう。
カノンが三年になった年から、市内にある大手ガソリンスタンドで働き出した俺は、将来のための資金を、コツコツと貯めるつもりだった。
――そう、あの日までは……。
衝撃的な一言をカノンの口から聞いたのは、十二月下旬。雪が降って寒い日だった。
その日は仕事が休みだったので、一日中ダラダラと身を寄せ合い、体を重ねて温めあおうと考えていた。
昼食を終えて、俺の部屋のベッドにカノンを押し倒し、服を脱ぎながら甘い言葉を囁いて――。
「あのね、タカ……。驚かないでね?」
うんうん、俺は何を言われても、少々驚かないぞ。
「なぁに、カノン」
そうカノンの耳元で低く囁いた。
「あのね、生理がこなくなっちゃって、それで、昨日、検査薬使ってみたの」
「うん、それで?」
「陽性……だった」
ヨウセイ? えっと、陰性の逆なのはわかるけど、どういう意味だったっけ?
「だから、オナカ、あまり圧迫しないで……」
圧迫不可。陽性って、つまり、俗に言う『できた』というヤツか!?
え〜早くなぁ〜い?
あっはっはっは。どうしよ。パパでしゅよ〜♪
――は!?
ちょっと待ってくれ!
「カノンさん、あの、それって……」
「うん、どうしよう……」
どうしよう、って、不安な顔して聞いてくるんだからもう、俺の勘違いでは済まされないんだね……。あははは。
「赤ちゃん……」
――どんぴしゃーん。
ごごごごご……。
体に雷でも落ちたかのような衝撃。
思考も外と同じくまっちろ。
――あいやぁぁぁ!! 失敗したぁぁぁ!?
いつ? どこで、誰が!
俺だぁぁ!!
カノンに覆い被さっていたはずなのに、気付けば体を起こして、手は頭を抱えている。
声は出てないのに口はパクパクしてるし、暑くないのに汗が手のひらににじみ出るわ、背中を伝わ……。
このままじゃいかん。とりあえず、外に出て――、
「頭、冷やしてくる」
着衣の乱れを直すことなく、俺はベッドから立ち上がってフラフラと自分の部屋を出た。キッチンのテーブルに何度かぶつかり、玄関のドアに体当たり。キンと冷たい金属製の鍵を解除し、ドアノブを回して押すと、風が体を一気に覚ました。
ドアにすがっていると、徐々にはっきりとしてくる思考。逆に体は寒さで感覚を失い、痛いだけ。
さぁ、まずは今の状態からおさらいだ。
俺は林田孝幸、本来ならば大学四年生のはずだが、辞めちゃったから会社員というヤツだ。就職して九ヶ月といったところかな。年齢は二十二歳。
義妹というか、婚約者でもあるんだけど、一緒に住んでる彼女は藤宮華音。俺たちの両親が再婚したのがきっかけで出会った。一歳年下だから、今は大学三年生で二十一歳。
義兄妹ではあるものの、法的になにも問題がなかったので、カノンが大学を卒業したら、結婚できるという状態で、ちゃんと両親の了解も得ている。今は同棲中とでも言うのだろうか。
まだ、卒業までに一年三ヶ月もあるというのに、先に子供ができちゃった、って……。
!!
「……ぇ……うぇぁぶへらうぃぐぇうおぁぁぁぁぁ!!!!」
居ても立ってもいられなくなり、俺は叫びながら駆け出していた。
階段を二段飛ばしで二階に降り、廊下(?)をひたすら走る。
目的の部屋――小学校、高校、大学が同じだった同級生が同棲している所を目指す。
唯一、俺たちのことをよく知るやつらなので、相談するならここが一番だった。
何より、誰かに言わなきゃこのおかしくなったアタマん中が落ち着かねぇ。
その部屋の前でチャイムを鳴らすのもわずらわしく、ドアに手を掛けるとたまたま鍵が掛かっていなかったので引いて開けると部屋に飛び込んだ。
同じアパートなだけに同じ間取り。違うといえば、左右対称だということ。
入ってすぐにあるキッチンに立っていた鎌井直紀は、俺を見て少し顔をゆがめたが、そのぐらいは気にならない状態だった。
とーにーかーくー、俺の話を聞いてくれぇぇぇ!!
勝手に上がって鎌井にしがみつくと、これまた顔を背けて嫌そうな声を上げる。
「ちょっと……一体何の嫌がらせ?」
「かの、あか、あかあかあかあかあかあかあかあかあか……うっぎゃー!!!!」
やはり混乱している俺はまともに喋れず、脳内に言いたいことであり最新情報がテロップで流れ、叫ぶばかり。
「ぎゃー!! 直が襲われてる!!」
同居人……いや、元々はコイツの部屋だったか。鎌井の彼女である真部祐紀がこの怪しげな現況を目にして悲鳴(?)を上げた。
「いいから落ち着けよっと」
片腕をがっちり掴まれたと思ったら、体が浮き――背中から床に叩きつけられた。
……こいつはどんな状況でも体に似合わない力を発揮しやがる。
おかげで少し落ち着いた気がするけど、背中が痛い!
「あ、あははは」
なぜか笑いが漏れてるし。どうなってんだ俺は!
「どうでもいいから、その服装どうにかしてくれない? いかにも昼間っから頑張ってる感がムカツク」
「ごめんね、生理で」
……お前らはそんな心配がないのか。意外と先にそういう展開になりそうだと思ってたのに。
服装……そういえば、半脱ぎ状態のまま部屋から飛び出したから、前ははだけてるし、下も何とか腰で引っかかってる状態。走って来たのに落ちなかったのが奇跡だ。衝撃的な言葉と凍えそうな寒さで、その内部は正常値に落ち着いている。
走ったり叫んだりで体温が上がっていたせいか寒いとは思わないのだが、体を起こしてみるとどうでもいい格好だったので、下から順番に戻していった。
「で、一体なに? くだらないことだったら、今すぐ追い出すよ」
キッチンのテーブルに昼食が並ぶ中、俺の前には熱そうなお茶だけ置かれている。一応、礼儀はわきまえている。あの鎌井家の坊ちゃんだけに。
それに比べて、真部は何だ? 並んだ料理を隅から隅まで何度も見て、よだれをすすっているとは……まるで『待て』を言われたまま放置された犬みたいだ。
見た目はようやく男に勘違いされない程度に進化したとはいえ、中身は全然変わってねぇな。
さて、俺も気分が落ち着いてきたし、何とか普通に切り出せそうな状態になっている。大きく息を吸いながら第一声をアタマでまとめ、吐き出すのと同時に声にした。
「どうやら、子供ができたらしい」
二人が俺の顔をじっと見つめる。表情は無。そんな状態でしばし沈黙。
「ま、またまた〜今度は何の演技? ここに入ってくるときからスゴかったけど、冗談抜きで、やっぱり俳優目指すべきだと僕は思うよ?」
「そ、そうそう。マジであれは演技だと見抜けなかったわ。カノちゃんと一緒に芸能界デビューすべきだよ、うんうん」
全く信用されてない。
俺だって、冗談だったらここまでやらないって。いや、そこまで取り乱せないだろ。
「あははははは。もう、そんなマジメな顔してないで、笑いながらバレた〜? とか言ってよ〜」
このバカップル、二倍速再生してるみたいな甲高い声を上げて笑っている。まだウソだと思っているらしい。
「ウソでも冗談でも演技でもない。これはホントのことだ。そうでもなけりゃ、あんな格好のまま、叫びながら走って来るか!」
今、考えただけでも体裁が悪い。誰にも会わなかっただけまだいいけど、叫び声は聞かれたに違いない。
このセリフでようやく信じたのか、二人は顔を見合わせた後、同時に俺の方を向いた。鎌井は気持ち、引きつった表情で、真部の視線は俺の顔を素通りし、床へ――そして聞いてるとムカっとくるような溜め息を漏らした。
「ま、マジで? 妹ちゃんが大学卒業するまで待つとか言ってたじゃん。まだ僕らも卒業してないんだよ? 分かってる?」
十分承知している。
「いーなー、子供……」
と言ってまた溜め息。何かあるのか? 何が不満なんだ?
「祐紀! いくら何でもそういう言い方はダメ!」
「……ぷー」
何かあるらしいな、この二人には……。雰囲気的に聞かない方がよさそう系。
「で、どうすんの? 親には言ったの?」
――親!? そこまで考えてなかった!!
ついでに、カノンをベッドに放置したままだった!!
「わりぃ、続報はまた今度、ゆっくり話すわ」
「ゆっくり話してくれるな」
おじゃましました、と声を掛けて友人の部屋を後にする。
外は思っていた以上に寒かった。慌てて飛び出してきたようなもんだし、羽織るものなんて持ってない。腕を手のひらで摩擦しながら、小走りで三階にある自分の部屋に戻ると――。
「うん、まだはっきりとは分からないけど、たぶん……。タカくん? 頭冷やしてくるって出たままだけど……」
俺のベッドの上に座り、携帯を耳に当てていた。見た目では変化もないお腹を撫でながら……。
ものすごくイヤな予感がするんだけど、電話の相手は誰ですか?
「あ、丁度帰ってきたよ。変わる?」
『変わってちょうだい!!』
その、威勢のいい声は部屋の入り口からでもはっきりと聞き取れ、反射的に体がビクッとした。
あの口調と勢いからして――恐怖のヒステリーオカンだ。
今回の件は、カノンとの関係がバレた時以上にマズいことだ。きっと電話越しでも殺す勢いでくるだろう。ああ、怖い、怖い。
照れ笑いしながら携帯を差し出してくるカノン。
電話する前に、俺の意見も聞いて欲しかった……。それなら、ある程度、腹をくくれたのに……。
携帯を受け取ると、恐る恐る耳に当て、
「も、もしもし……」
定番の一声。
『孝幸! アンタ、一体何を考えてんの! よりによって、赤ちゃんだなんて……。避妊も知らないの、アンタは――――!! 最近の子ってどうしてそういうのが分からないのかしら。学校でちゃんと教えないのも問題だわ。――あ、そうだ。母さんが介錯してあげるから、お父さんに腹斬っておわびしなさい!! いいわね?』
よくねぇよ。ハラキリだなんて、そんな無茶な……。
つーか、学校でそんなこと習いたくねぇよ。性教育の時間は一応あったけど、聞いてるだけで恥ずかしかったってのに……。教える方はもっと恥ずかしいに違いない。
だと言って、親にだけは絶対に――うぇ、考えただけで吐き気が……。
『ちょっと、聞いてるの?』
「はいはい、聞いてますよ」
『そう。だったら一度、一緒に戻ってらっしゃい!』
「無理だって。俺はもう学生じゃないんだから、正月も仕事がある」
『ま、いつからそんなに働き者になったの? バイトもしたことないくせに……』
バイトしなかったのは……カノンと一緒にいたかっただけだ。おかげでサイフの中身がいつもピーピーだったけど。
『それなら、会社が休みに入ったら行くから――覚悟しときなさい』
――え!?
『それじゃ、くれぐれも、華音ちゃんに無理させないようにね。本当に死んで詫びさせるわよ』
と電話が切れた。
自分の母ながら、恐ろしい人だ。冗談じゃなく、命が十個あっても足りない。
そんな母と再婚した父さんは――世界一、心の広い男だと思う。俺たちの件も許してくれたぐらいだし……。
今回も父さんが一緒に来てくれたら、変な方向に話が進むことはないと思う。
思うけど、怖いのは我が母。とにかく史上最悪で、責任を取るなら切腹だと言う。いつの時代の人間なんだか……。
「もう年末だし……産婦人科っていつまで診察してくれるのかなぁ。やっぱり、来年の方がいいかなぁ」
ああ、カノンさん。俺の悩みは完全無視でさっさと先に行っちゃってるんだね……。
もし、大学を辞めるだなんて言い出したら、俺はどんな責任の取り方をさせられるんだ!
「大丈夫だよ、タカ。何を言われても絶対に産むから……」
そんな先の話より、数日後のことを――!
仕事を終えてアパートに帰ると、いつも通りにカノンが出迎えてくれた。
着替えをするために部屋に入ると、間もなく携帯が鳴り出した。
ディスプレイには見たくない名前――母の携帯番号が表示されている。
『孝幸、いつが休みなの?』
「明日。その後しばらく休みはないからな」
『そう。じゃぁ……明日の昼には着くように出るわ』
うげ、マジで来るのかよ。
『覚悟してなさい』
いつもよりトーンの低い声に、背筋がゾクリとした。
これがホントの絶体絶命のピンチらしい。
遺書でも書いた方がいいだろうか、ついでに退職届けも……。
この調子だと、新年は迎えられそうにないな……。
ベッドに携帯を放ると、隣の――カノンの部屋から聞こえてくる音に意識を集中させた。
――クラッシックだ。
何って曲だっけ? 聞いたことはあるけど、曲名まで分かるものは、『カノン』や縁起でもない名前の暗い曲ぐらい。
聞いてると気になって――カノンの部屋に行った。
元々、母親の影響でクラッシックが好きなカノンだか、最近は全く聞いてなかったのに、急にどうしたんだろう?
そんな疑問にカノンは、
「クラッシックが胎教にいいって聞いたことがあるから」
ふーん。まぁ、言われてみればそれっぽいかな。
「この曲のタイトルって何だっけ?」
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク。モーツァルトの曲だよ。セレナード第十三番。ドイツ語で『小さな夜の曲』って意味で――」
カノンさん、うんちくありがとう。
だけど、半分ぐらいは記憶されずに反対の耳から出ていってしまったよ。
モーツァルトって音楽室の何番目に貼ってあった肖像画のどれだろうか。とりあえず、全員の目に画鋲が刺さってるのはご愛嬌。学校の七不思議のひとつである『目が光る肖像画』は、懐中電灯の光を反射した画鋲が原因だ。
曲の感じに関しては、『小さな夜の曲』と訳されるには無理がありそうな出だしだと思うのは俺だけだろうか。
そんなこんなで次の日。
『駅に着いたから、迎えにいらっしゃい』
まだ十二時前。そんなことだろうと予想してたので、早めに昼食を取っておいて正解だった。
「ちょっくら、駅まで迎えに行ってくるわ」
「いってらっしゃーい」
陽気な表情と声で俺に手を振ってきた。
お気楽でいいな、カノンは……。
もう、生きた心地がしねぇ。
道路の雪は溶け、木に張り付いていた雪もバサっと音を立てて地面に落下しているが、駐車場の一部はまだ建物の影。車はまだ白いままだった。
先に視界に入ってしまった鎌井の車のボンネットに『オカマちゃん1号』と落書き(?)し、何事もなかったように自分の車へ向かい、窓に付着している雪を払いのけた。
雪まみれだっただけに車内はやたら冷えた。素手で雪を払ったこともあり、手指の感覚は曖昧だったけど、ゆっくりと車を走らせた。
――数分後。
年末プチ渋滞にハマりながら、何とか駅に到着。ベンチに座って小刻みに震える二人の近くで車を停めると――気付いた二人は立ち上がり、俺も車から降りて出迎えた。
「ひさしぶり、父さん」
できるだけ笑顔で言ってみた。
「孝幸くんも元気そうで何よりだ」
ボクッ――。
俺、接客業だから、顔が命。
そりゃものすごく寒いんだから、痛みも夏の五倍から八倍。
俺の斜め前に立ってたクソババァから、公衆の面前だというのに渾身の裏拳が頬めがけて飛んでくるなんて誰が思うか!
父さんの横で控えめに立ってると思ってたら大間違いだってか?
「あ、あ、あ……ち、千恵さん……」
いきなり息子に攻撃すりゃ、父さんも驚くわ。
すみません、こんな母で……その上、こんな息子で……。
「おほほほほほほほ」
声、裏返ってるぞ、ババァ。今更、上品に装っても無駄だ。見てしまった人はみんな、こっちを向いて止まってる。
「孝幸、ひさしぶ……り! とってもげんきそうで……よかった、わ!!」
り! のところと、よかった、のところ、それから、わ!! の部分が異様に強調されているその理由は――抱き合って再会を喜んでるフリをして、恨みのこもった拳を俺の腹に叩き込んでいたのだ。昼に食ったものが出そう……。
「とっとと乗れよ……クソババァ」
吐き気を我慢しながら、絞り出すような声で母に言った。
市街地へ向かう車の流れとは逆なので、スムーズにアパートに到着。
駐車場では、このくそ寒い中、洗車をしているチビが一人。
運転席から降りた俺にすぐ噛み付いてきたのは――、
「ちょっと! 僕の車に『オカマちゃん1号』って書いたの、お前じゃないよな?」
「俺しかいないと思う。そんな悪質なイタズラをするのは」
「気付いてすぐに雪を落としたけど、下まで残ってたじゃないか!」
連日の雪で汚れた車体……なるほど。下の汚れまでなぞっちゃったわけだな。ボンネットだけキレイなのは変だし、それで洗車を……。ご苦労なことだ。
「あらー、鎌井くん。いつも孝幸がお世話になっております」
突然の母の声に鎌井は顔色をころっと変えた。
「あ、こんにちは。こちらこそ、いつもお世話になっております」
「就職、決まりまして?」
「はい、何とか。あとは卒業試験が通れば――」
「そう。よかったわねー。だけど残念ながら……孝幸とは二度と生きて会えないかもしれませんわね……」
すでに殺すの前提かよ。
「は?」
さすがの鎌井も疑問符を浮かべてるじゃないか!
「それでは……」
ペコリと頭を下げ、さっさと部屋に向かう母。父さんも軽く会釈をして母の後を追った。
「……もうバレたの?」
コイツには一番に報告に行ったからなぁ。
「あの後、部屋に戻ったらカノンが電話で報告しちゃってて……」
「……ご愁傷様。もう入れ替わり同居生活はしないからね」
それは前回の……!!
「じゃ、生きてたらまた会おう」
手を上げてそう言い残すと、ゆっくりと三階へ上がった。
部屋の前――母さんとカノンの陽気な笑い声が聞こえる。だから少し安心してドアを開けたのだが、俺が入ってきたのに気付くと、部屋の空気が凍りついた。
――ナゼだ! 嫌がらせなのか!
「座りなさい、孝幸」
何で俺にだけ、そんなにピリピリした声なんだよ!
自業自得か……。
言われるがまま、キッチンのテーブル前に座る。
――どうもこの雰囲気は前回のことを思い出させる。全員が全員、同じ位置に座ってるというこの状況が余計に。
「いつからそういう関係なの?」
何だか似たような質問だし。
「んー、俺が高二の時?」
回答もおのずと同じ。今回は問う人間と答えた人間が違い、林田サイド。
「……アンタね……」
軽く鼻で笑う母は呆れた声でそう言うと――目にも止まらぬ早業で俺に掴みかかると、往復ビンタ、ビンタ、ビンタの嵐!
「手が、早いのよ! この、超ド級スケベ! 誰に、似たの、かしらー!!」
きっと、今は亡き(死んでない)オヤジだと思います。こんなにも怒ってらっしゃるので、お母様はそんな人じゃないですよね?
イタイです、痛い、痛い……!!!
「何とか、言ったら、どうなの? ええ?!」
言いたくても、言えるような状態じゃないだろ! こんなに叩かれてるのに喋ったら、舌噛んじまうよ! 殺される前に自爆しちまうって。
「腹を斬ってもらう前に、下に付いてるもの、切り落とすわよ?」
じっじっじっじっじ、冗談じゃない!
「ち、千恵さん、やめてくださいよ。わたしまで縮み上がりそうなことを平気で言わないでください」
さすがの父さんも顔色が悪いように見えた。右に左に叩かれているせいで、よく見えないといえばそうなんだけど……。
「いえ、すぐに腹を斬ってもらいますから、ご心配なく」
またサラっとそのお決まりのセリフを吐きやがる。
――っていうか、早く、誰か、このババァを止めてくれー!!
今どき、虫歯の子供でもこんなに頬を腫らすことはないだろうよ。
母の気が済むまで散々叩かれた頬は痛いし熱いし――明日、会社に行ったら絶対に何か言われる!
カノンが作ってくれた氷のうで腫れて痛む部分を冷やしながら、ピクピクと痙攣をおこす顔でおかんを睨んでやった。
「タカくん、ハムスターみたい」
……そりゃどうも。
「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい。そして、いさぎよく腹を――」
「斬らねぇよ!」
「掻っ捌いてしまいなさい」
変わってないよ。
とりあえず、父さんに謝るべきなのか……そう思って父さんの方を向き、頭を下げて謝ってみた。
「どうも、すみません……」
「……ま、まぁ……こうなってしまった後なのだから、これからどうするのか考えた方がいいと思うのだが……」
そうだそうだ。犯した過ちはどうにもならんだろ――って、俺が言うべきことじゃないか。
「華音はどうしたいんだい?」
「もちろん、産むわ」
即答。
「ちょっと待って、学校はどうするの? まだ一年ちょっとあるじゃない」
「うん、このままギリギリまで行って、一年休学しようと思ってるの」
……そこまで考えて、俺には一言もナシか! 何だかショック……。
「甘い。出産、育児がどんなに大変か分かってないわ!」
ここからしばらく、おかんが一人で熱弁をふるいますので、しばらくおまちください。
「……」
あまりにもリアルな説明に、カノンも俺も言葉を失った。
「ついでに言うとこの子、急に暴力オヤジになる要素が半分入ってることを忘れないで」
……よく言った。だけど心配無用だ。俺にはありえない。
「とりあえず、産前産後は帰ってくるんでしょ?」
もうその話か! 突っ込みが忙しいぜ。
「……イヤだ」
おおっと、カノン選手、いきなりスネたー!
その上、親の目の前だというのに、俺の腕を掴んで身を寄せ――離れたくない感をアピール。
「……ふふふふ、そこまで露骨に見せ付けられると、目のやり場に困るな……」
父さんは苦笑しながら視線を逸らす。俺も恥ずかしくて、視線を天井に泳がせた。
「ここは、華音のためにも、千恵さんがこっちに来るということにしないか?」
「――え゛!」
「でも、清二さん――」
「大丈夫ですよ。一応、家事ぐらいできますから。その方が華音も安心して過ごせるでしょう」
「お父さん、ありがとう」
「まぁ、私は構いませんけど……」
「意見は一致したようだし、それでいいよね、孝幸くん」
――よくない、なんて言えないだろ!
「……いいんじゃない? あは、あはははははは」
あーあ、やだやだ。
「だったら、結婚式どうしましょう?」
「今のうちかな〜?」
「いやいや、出産後、落ち着いてからというのもアリだぞ」
「とりあえず、籍は入れなきゃ。後々面倒になるから」
「婚姻届を市役所に持って行くんでしょ? どこでもいいの?」
「住民票はこっちに移しておいたが――どうなるんだろう? 謄本の写し」
「ああ、市外だと必要でしたね」
俺って話に参加できてない。
「おお、そうか。保険証の手続きなんかも――」
「母子手帳っていつもらえるの?」
「扶養がつくと、家族手当が入るわよ」
ってか、無視?
「じゃぁ、体に気をつけてね、華音ちゃん」
「うん。お父さんとお母さんも」
「じゃ、孝幸くん、今後も華音を頼むよ」
「こき使われなさいよ」
……帰った。
<続く>