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【番外編1.5】お父さんは21歳〜無職
まだセミのうるさい夏の午後。陽がずいぶん傾いた時間に僕は息子を連れて、商店街に夕飯の買出しに行った。
ティーシャツの裾を掴んで歩く三歳の息子――紘貴の頭をやさしく撫でながら、目指すは肉屋。目的は評判の手作りコロッケ。
――コロッケ食べ放題、ああ、幸せ……。
と、今日の食卓を想像しただけで口の中はよだれの大洪水。
――十個。残ったら明日、コロッケパン!
「裕昭?」
だけど、そんな食卓は夢、幻、そして伝説へ――。
名前を呼ばれ、振り向いた先に、意外な人物。
思わず自分の目を疑ったが、僕に向けられてるその目はキラキラと輝いてるし、六年ぐらい前に実家で見たことある人。むしろ、血も繋がってたりして、姉だったりするんだけど。
これはマズいと判断した僕は、紘貴を抱えて走った。
しかし、その女性はすぐに僕を追いかけてきた。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
「待てるか! 人違いだ!」
「人違いなら何で逃げんの!」
「追いかけてくるからでしょうが! つーか、そんな踵の高い靴でよく走れるな」
「慣れよ、慣れ。っていうか、止まりなさいっ!」
「絶対に、イヤだぁぁぁあああああああああ!!!!!」
「にゃはははは、たのしーね、おとぅさん」
僕に抱えられている紘貴は、手足をじたばたさせながら喜んでいた。
「た、楽しくぁねぇよ!!! つか、じっとしてて」
「あい」
脇に抱えられたぬいぐるみのように、紘貴は急におとなしくなった。
これじゃ一見、僕のほうが人攫いみたいなんだけど。
地元民ぐらいしか知らないであろう路地裏に入り込み、ひと一人がやっと通れる道を抜けて表通りにまた出てきた。
後ろから追ってくる人物なし。どうにかまいたかな。このまま人ごみに紛れたら見つからないだろう。
っと、その前に、コロッケだけはゲットしておかなくては。
肉屋で無事にコロッケ十個を購入できたことで、気が緩んでいた。
帰り道、公園で遊びたいと言い出した紘貴と一緒に、滑り台やらブランコ、シーソーと一通り遊具で遊んでいたところ……
「裕昭! よくもまいてくれたわね!」
肩で息をしながら僕に人差し指をつきつけているのは……あの人だ。
運悪く滑り台の上にいた僕は、逃げようと思ってすぐに滑って降りたが、大人の足に敵うわけもなく……あっさり捕まってしまった。
「だから、人違いだって!」
「人違いならなぜ逃げるの! 余計に怪しいじゃない。とりあえず、あんた、名前は?」
ここで名乗るはずもない。彼女だって分かってることだ。
「……言わないのね? いいわ。ボク、名前は?」
僕に向けていたちょっと険しい顔から突然笑顔になったと思ったら、紘貴に向かって聞いていた。
しまった!
「よしたけひろきです」
よい子すぎだ。
「じゃ、このおにいちゃんは?」
と、僕を指差す。視線は紘貴に向いたまま。
「おとぅさん」
「おにーちゃんです!」
「……よく言うわね、おっさん」
「弟に向かって、おっさん言うな!」
「ほら、やっぱり裕昭だ」
……こ、こいつっ!
彼女は吉武呼乃羽(よしたけ このは)。僕より三歳年上の姉だ。
いつの頃からか写真に目覚め、高校を卒業すると就職もせずカメラを抱えてあっちへこっちへ。放浪癖のある自称写真家。まだ彼女の作品を公の場でみたことはない。
まだこうやって放浪をつづけてるんだ。きっと未婚であり、カメラと結婚するとでも言うのであろう。
いつでもシャッターチャンスは逃さないと言わんばかりに、カメラが首から下げてある。
そして、僕と紘貴と姉はベンチに座る。だけど何を話せばいいのか分からないからしばらく黙ってたけど、やはりなぜここにいることが分かったのか、何のために来たのか気になった。
「で、何の用?」
「別に。たまたま見かけたから呼び止めてみただけよ」
放浪してるうちにたまたま……か? そう言われても納得はできない。それに、ここから展開する会話は容易に想像できる。
「帰らないからな、実家には」
「仕事、してんの?」
なぜ会話をしてくれないんだよ、この人は。何だか一方通行姉弟だ。
「子育てしてんだよ。無職だ。そっちこそ、まだ放浪してんの?」
「……奥さん、亡くなったんだって?」
――何で知ってんだよ。あの頃、姉ちゃんは家に居なかったじゃないか。何も知らないはずなのに、どうして……!!
「実家に手紙が届いたの。裕昭の奥さんから。子供が生まれましたって。それから、自分がもうこの世にいないこと、それに対して後悔してないこと。
幸せだったって。裕昭が実家に戻ることがあったら、どうか許してあげてくれって」
なんだよそれ……そんなの、知らない。
「あたしびっくりしたわ。あんたがかけおちしたって聞いて」
そして、あの頃に思い描いた生活とは違う毎日を送っている今。
「その手紙には住所が書いてなかったから、消印を手掛かりにこの辺りを探してたんだけど……やっと見つけたわ。
ねぇ、帰ろうよ裕昭。もう、ここに居る必要はないでしょ? 父さんも、母さんも、浩輔だって心配してるわ」
父さん……母さん……仲が悪かった弟の浩輔までが心配してるって? そんなこと言われたって……帰れるわけないじゃないか!
目の奥が熱い。鼻の奥がツンと痛む。それを振り払うように僕は横に首を振った。
「……ごめん、帰れない」
「でも裕昭――」
「帰れるわけ、ないだろ……」
僕、一人だけで……。
紘貴を連れて……。
貴子さんは?
「……そっか、そうだよね」
姉ちゃんは僕の気持ちを分かってくれたのか、それ以上しつこく言ってこなかった。
「僕はずっと、ここで暮らすから……」
――二人で過ごしたあの家。
――思い描いた夢が壊れたこの街で。
――ここで出会った大切な人たちに支えられて。
――息子と一緒に。
帰り際、姉が僕らの写真を撮ってくれた。
だけど僕の連絡先は教えなかったので、その写真がどんなものなのかは分からない。
僕は笑顔だったのかな?
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2009.10.01 UP