007・腐女 だーりんと一緒w


 ペンネーム、古賀ナツキ。
 本名、周防舞子(すおう まいこ)。
 ピチピチの十八歳ですぅ〜♪

 中学時代、友達が自作のイラストを描いていたのに影響されて絵を描き始め、更に漫画を描いていたのに影響されて、パクリっぽい漫画を描き始めた。
 高校に入って仲良くなった友人の影響で同人誌というものを知り、やおい――今で言うボーイズラブの虜になってしまった。
 それから路線変更! 私もオリジナルのやおい漫画を描き――コピー本から全ては始まったのだ!
 コンビニに行って何部もコピーしたものをホッチキスで留め、まるで学校の資料のような本を、友人の手伝いで売り子をした時に地元のイベントで始めて商品として出した。
 それが何だか大ヒットで、イベントが終わる前に見事完売!
 以来、その喜びの虜になってしまったのだ。
 バイトをして貯めたお金で、初めて印刷会社に入稿し、友人と共同でオフ本を作った。
 それが大当たりしたことでウハウハ気分になっていた。

 だけどその友人とは大学の進学先が別れてしまい、高校卒業と同時にコンビ解散。

 一人で何とか頑張ろうと思ったけど、所詮似たような漫画や小説から得た知識で作り出した作品は、あっという間にネタ切れ。
 十八歳を超えたことで、ようやく手を出した十八禁エロゲーム。
 うっかりハマって、CGコンプリート。
 更には『萌え』を連発する私。そしてのちに、口癖と化する。

 高校時代にあの友人に出会ったことが、私の人生を大きく変えたと言っても過言ではないはず。


 とはいっても、そんな経歴のせいか、リアルの男の子とは一度も付き合ったことはなく……。
 知らないものは知らない。
 ――やはり、モデルが必要ですぅ。
 構内で自分のキャラに似た人がいないか探したり、使えるいいネタがないか他人の話を盗み聞きして、BL――ボーイズラブネタに変換してみたり。どう転んでもそっちにしか興味のない私。もう、矯正不可能だわ……。
 一生、空想の美少年を弄んで終わるものだと思っていた。

 その時、偶然見かけたのが彼だった……。


 構内のベンチに座って文庫本を読む姿……。
 キリっと締まった顔、何より美形。
 ああ、私の王子様……。
 よーし、自己アピールいってみよー!
「モデルになってくーださーい!!!」
 突撃ぃぃぃ!!!
 しかし、顔を歪ませた彼は、私の到達予定位置から逃げてしまった。
 その後もかなりの警戒態勢。
 それでも容赦なく追って、交渉をしようと思ったのに、マッチ棒みたいなのが視界に入ったような気がしたと思ったら逃げてしまった。
 今日はメイド風の自作で自信作の洋服だったのに……。
 世の男性はメイドが好きだというのは嘘なのでしょうか。
 やはり、アニマル系の方がいいのかしら?
 おのれ、王子様……これで終わると思うなよ!


 用事もないのに校門に張り込み、警備員の人に声を掛けられてでも張り込み、見つけては突撃!
 見事に五戦全敗。
 この私の何が悪い!
 メイドもアニマルもセーラー服もブレザーも、巫女さんまでダメだなんて、どうすればいいの?


 ――しまった。今までのはマニア向け戦略術の方だった。
 ゲットしようと追い回すことばかり考えてすっかり忘れていたわ。
 あれだけの拒絶反応がでてたのだから気付いてよ私!
 ……ということは、普通に会話できる状態まで持っていって、友達の頼みごと聞いてよ大作戦が一番だわ。

 ということで、即切り替え。


 校舎の影に隠れている私は、王子様が落ち着きなく辺りをきょろきょろしながら講義棟に入るのを確認。
 講義終了まで待ち伏せて、出てきたところを突撃……いやいや、さりげなく話しかけよう作戦。
 初歩の初歩。これを失敗しちゃったらもう諦めるしか道はない。慎重に、かつ確実に進めなきゃ。
 服装は目立たないよう、他の女子学生が着ているものを参考にしてみた。化粧品は高いから買わない。いつも通りのスッピンだけど、簡単な手入れもしてきた。
 コスプレのためだけに伸ばした、普段は邪魔で結んでいる髪も、今日はいつものみつあみのおかげで程よくウエーブがかかっている。
 きっと、これなら大丈夫。

 それから一時間と四十分が経過した頃、講義を終えた学生がぞろぞろと校舎から出てきた。
 ――どうか王子様の講義がこの時間で終わっていますように……。
 そう願いながらたくさんの学生の中から王子様を探し始めた。
 出てくる学生の数が減り、諦めかけていた頃、彼は辺りを警戒しながら出てきた。
 ――とつげ……げき、げき!! くぅっ、だめよ、舞子! その気持ちは十分わかるけど我慢して。
 今にも猛突進しそうな感情を抑えながら、確実に彼の背後に近づく。手が届くところまで接近すると、王子様の肩に手を掛けた。
 ビクっと体をすくませ、恐る恐る私の方を向く彼。少し表情が硬かった。

「こんにちは。少しお話いいですか?」

 なぜか辺りを見回す王子様。何かマズいことでもしちゃったかしら?
 なんて思ってたら遠くを見つめてにんまりと笑い、拳を握った。
 ……この人、見た目と中身かちぐはぐかも。
 まぁいいか。外見にしか興味ないし、資料用のモデルを頼むだけだし。

 でもホントにすごいよ。たったそれだけのことで話ができたんだから。
 今までの私って一体ナニ〜? ただのバカだわ。
 彼は野田稔という名前で、歳は同じみたい。法学部在籍で、自分で作った捜査一家というサークルの部長さんなんだって。捜査一家ってサークルは知らないけど、まぁ、資料にもなるかもしれないのでヒマな時に調べてみよっと。
 とりあえず今日は、自己紹介と彼を褒めてるフリして資料を集めるだけ集めて帰った。
 彼に抱きついている最中、ウチの総受けキャラ『かなるくん』気分だったのは内緒です。
 新作のかなるくんの恋人は、王子様をモデルに作っちゃうんだからw
 くふふふ、読者さんの反応が楽しみですぅw


 それから、見かける度に彼に声を掛け、何とかお友達……にでもなれたかな? って感じ。

 しかし日が経つにつれ、即席で塗りたくったものは剥がれはじめ……。
「今日は……スゴイ格好してるよな」
「そ、そうですかぁ?」
 今日はうっかり、通販で買ったゴシックなロリータファッションで来てしまったのです。

 次の日も、また次の日も、どんどん出てくる自分の地を隠せなくなり始めた。
 同時に王子様の表情も日に日に……危険物でも見るような表情に。
 このままじゃダメだわ。
 半分諦めかけていた時、講義が始まる前に少し話をした王子様が、講義を終えて帰ろうとしていた時にまだ講義棟前にいたのだ。
 同じぐらいの背格好の……さりげなく、王子様に似た人と、口論になっている。
 かなり近くでその様子を伺っていたのだけど、私の身長のせいか、二人に気付いてもらえない。

「二度と話しかけんな!」
 と王子様。
「もう帰ってくんな!」
 と王子似の人。
 あら? これは丁度いいです。
「じゃ、野田さん持って帰りますね」
 なんて、言ってみた。
「そんなヤツ、熨斗付けてくれてやるわ!」
 おお! ホントですか〜?
「帰って来いって言われても、二度と帰ってやるもんか!」
 うわ! 言いましたね!
 思わぬところでモデルゲットー!
 もう、何を言われても、テコでも動きませんよー。
「じゃ、いただきますね〜。返品しませんよ?」
 しかし、残念ながら王子様は私に気付くとものすごく怯えた顔をした。
 そして、王子似の男に向かって謝りだしたのだ。
「ちょっと待て充! 俺が悪かった!」
 ミツル?
 王子様はミノルだから……もしかして双子だったりして。
 いや〜ん、双子も萌え〜w 禁断にして最強の兄弟愛。同じ遺伝子。二人で一つw
 なんて、自分の妄想に引き込まれていた。
「オレのせいで彼女ができないんだろ? 消えてやるよ」
 そう言って王子似のミツルさんは向きを変えて帰ってしまった。
 王子様ってそういうのを気にするタイプなのか……。歩いているだけでも後ろに行列ができそうな感じなのに……って、それは私の好みってだけで偏見かな?
 それよりもこの状況よ!
 取り残された私と王子様。
 こんないい場面は二度とないはず。今日こそ……今日こそは!

「冗談のつもりだったんですけど、ホントに来ますか?」
 モデルにしてやる! モデルに……。描いて、描いて、描き汚してやるのです!
 だけど、警戒心丸出しの表情。どうしてでしょう? 顔に出たのかしら?
「……いやだなぁ。別にヘンな意味で言ったんじゃないんですよ?」
 モデル……モデル……ブツブツ。描き捨ててやる、描き殺してやる! そして、弄んでやるぅぅぅです!
「目的もちゃんとあります」
 うあ、何で赤い顔をするんですか! 一体何をお考えですか?
 そんなに警戒されてはどうにもならないじゃない! ここはひとまず……。
「デッサンのモデルをお願いしたいんです」
 正直に言うに限る。
 すると、王子様の硬かった表情が少し和らいだ。
「モデル?」
 しばらく考えてから、いい顔で返事をくれた。
「ああ、いいけど。モデル」
 きっと何か勘違いしているに違いないけど……まぁいいわ。
 油断したら、うっふっふっふっふ、なんて笑っちゃいそう。
 何とかそれを押さえつつ、彼の腕をがしっと掴み、勢いよく、いや、勢いに任せて足を踏み出した。

 ――ふふふふ、邪魔者は誰もいないし、どうしてくれようか……ほーっほっほっほ。

 これから起こることを想像するだけでも、うふ、うふふふ、顔が……ニヤけちゃって……きゃは、きゃははははは。
 あっという間にアパートへ到着。まぁ、大学から一番近い場所だし。
 鍵を開けて突き当りの部屋……しか部屋はないんだけど、そこに連れ込み、手を離してすぐに鞄をベッドに放ると、抱えたままのスケッチブックを開いてベッドに座った。
「そこに立ったままで動かないでください!」
 立ったままだった王子様にそう声を掛けてから、私はスケッチブックと一緒に持っていた鉛筆を紙の上で走らせた。

 全身が入るよう、適当なレイアウトを描き、それから輪郭、顔のパーツを描き込み、髪の毛を乗せる。その後に上半身、下半身……キャw
 時間も忘れて熱中してキャラを描き、一人で浸ったり、描いている最中にふと思いついたキャラの癖など、設定も書き加え……いい攻めキャラが誕生した。(悦)

「もういいですよ。ありがとうございます」
 スケッチブックを見せて、なんて言われないようさっさと仕舞うと、お茶の準備をするために部屋の隅にある小さな冷蔵庫の前へ――。
 冷蔵庫の上に、電気ポットやカップ、飲み物セットが置いてあるのだ。
 部屋の広さの関係上、こうするのが一番だったし、何よりこの部屋こそが創作活動を重視した最高の配置だと思っている。
 暑くても、暑いからこそ、熱いお茶。
 いろいろな事情があって、最近はコーヒードリッパーで日本茶を淹れている。半分は遊び心だけど、実は時間が掛かって困る。
 さすがにこの光景は怪しかったみたいで、王子様が鋭く突っ込みを入れた。
「周防さん、ソレ、何!?」
「あ、これは煎茶ですね。お嫌いですか?」
「嫌いじゃないけど、何で茶漉しとか急須じゃないんだ!」
「あは。茶漉しはこの前、洗ってたら壊れちゃって……。それに、洗うのが大変だったし、使い捨ての方がいいなー、と思ってこうなりました」
 その言い方から、かなりの潔癖さんだと思った。別にいいじゃない。減るもんじゃあるまいし。
「それに、ちょっと変わったことがスキですから」
 と補足しておいた。ホントのことだし。
 しかし、王子様は顔をしかめ、溜め息を漏らしている。
 ……臨機応変ですよ。うん。使えるものは何でも使え!
 出したお茶に何か不満があるのか、差し出したマグカップを見てまた溜め息を漏らす。
 そんなに溜め息ばかりついてたら、幸せが逃げますです。
 それから、すっかり忘れ去られている、これからのことを話すと、王子様はみるみる顔色を悪くし、取り出した財布の中身を見て青くなった。
 何かいい考えがあったようだけどそれにはお金が必要。だけど肝心の中身がない、ってところかな?
「……私、貸すほどお金は持ってませんよ?」
 実際に、今日、明日の食事代しか財布に入っていない状態だった。通帳にはそれなりに入っているけど、それを下ろしに行ってまで貸すのもどうだか……。決して、王子様を信用していないわけではないんだけど、ここ数日の天気がアレなので、引き止めておきたいとも思う。
 財布の次に出てきたのは携帯。友達の所に行くことになれば、無理に引き止められなくなっちゃうなぁ……困った。
 なんて考えてると、携帯を耳に当てたまま止まった。
 ……これは……もう決定ですかね?
 期待してたんだけど、王子様から発せられた言葉は、
「……帰るわ」
 予想とは違うものだった。帰る――王子様が帰る場所といえば、自分の住まいだろう。構内での会話から推測すると、ミツルさんと一緒に住んでいるはず。だけど二人はケンカ中。
 そんな状態でも、やっぱりみずしらずの怪しい女の部屋には泊まりたくないですよね。
「そうですか。ちゃんと仲直りしてくださいね」
 笑顔になっているか分からないけど、そう言って部屋を去る王子様を見送った。
 洗濯物を取り込むとき、空を見ると、分厚くて黒い雲が遠くに姿を見せ始めていた。
 ――今日も、また来るんだ……。マズいなぁ。これはさっさと洗濯物をたたんで、お弁当を買いに行かなくては……。
 ……料理ができない女だと、バレずにすんだからいいか。うん。キッチンのシンク下収納がカップラーメンなどの即席系食品、お菓子の宝庫であることは女の子のヒミツですから。
 たたんだ洗濯物をクローゼットの所定の位置になおすと、急いで夕食のお弁当を買いに走った。
 黒い雲は……どんどん街を覆い始めていた。

 ここを通ると弁当屋さんへの近道になる――犬の散歩やウォーキングコースに待ち合わせ、ちょっとしたデート場所ぐらいにしかならないであろう、公園。ベンチは多くあっても遊具はブランコしかない。その公園を通り抜けると弁当屋さんはすぐそこにある。
 店に入って注文をすると、待ち時間も空模様を気にしていた。
 ――早く帰って、食べて、お風呂入って寝なきゃ……。
 あの音を思い出しただけでも心臓がバクバクしてくる。
 時間の関係で客も多い店内。お弁当を手にするまでに、思った以上の時間が流れていた。
 ――そろそろ、ピンチ。かなりヤバい。
 まだ降り出してはいないものの、小走りでアパートを目指した。来た道を戻っただけなのに、先ほど通った時には誰もいなかったベンチに、うなだれた格好の王子様が座っていたので足を止めた。
 ここにそんな格好でいるということは……、
「仲直り、できなかったですか?」
 ゆっくりと顔を上げてくる王子様は、今にも何かを押しつぶされそうな、不安げな表情だった。
 今の私も、そんな顔をしているのかもしれない。遠くから聞こえる雷鳴に怯え、間もなくやってくるであろう雷雨を恐れている。
 それは、誰かが側にいてくれたら、少しは和らぐんじゃないかって、思ってる。
「今日の夜、雨が降るみたいですから、野宿はやめた方がいいですよ?」
 誰でもいいのかもしれない。
 だけど、こんな王子様を放ってはおけなかった。
 私も不安だから、誰かにこの手を掴んでもらいたかった。
 お弁当が入った袋を持ち替え、震える手を何とか抑えて王子様に向けて差し出した。
「降りだす前にウチに行きましょ? それからどうするか、考えてもいいじゃないですか」

 『人』という字は、二人の人間が支えあってできている。
 私には支えなんて必要ないと思っていた。
 だけど、こんな時だから? その字の意味を素直に受け止めることができた。
 こういう時だからこそ、助け合うことが大切だということを……。

 心細さは少しだけ紛れたけど、雷への恐怖までは消えなかった。
 できるだけ平常心を保ちながら、彼と一緒に部屋へ戻り、小さなテーブルにお弁当とカップラーメンを並べた。
「何か作れるんだったら作ってあげたいんですけど……私、包丁が怖くて持てないんですよ」
 カッターを持つことはできても包丁だけは怖くて、料理なんてできなかった。
 怖いとは言っても、少しぐらい料理ができれば……なんて、今更後悔している。
 漫画を描く技能ばかり身につけて、女としては役にたたない。そんな風に思えた。
 お弁当を口に運びながらそんな考えごとをしていると、かすかに聞こえるイヤな音。
 恐る恐る窓の方に視線を移したのと同時に、もう暗くなっている外が光った。
 しまった……。モロに見ちゃったよ……。
 心拍数が急上昇。まるで首に心臓があるみたいに喉を圧迫してる。ごはんが喉を通るような状況じゃないし、ついでに吐き気にちかいものまでこみ上げてくる。
 もう、ダメだわ。
「どうかした?」
 私の様子がおかしいと気付いたらしく、そう声を掛けてくる王子様。
「……光った」
 窓の外に釘付けのまま、そう答えた。
 ……わ、また光った!!
 このままじゃイカン、と立ち上がって、開いたままのカーテンを閉めに行った……んだけど、
『ゴゴゴ……』
「ひゃー!!」
 その直後に雷鳴が響き、悲鳴を上げながら頭を抱えて座り込んだ。
「今、光ってから何秒で音がしました?」
 何とか顔を上げて彼にそう聞いてみたら、少し考えた後、
「三十秒……ぐらい?」
 と答えてくれた。
 音の伝わる速度が一秒間に四百メートルと聞いたことがある。それから、現在の位置を計算すると……。
「ええっと、三十秒かける四百メートルは……千二百……ううう、近いよぉ」
 合ってるのか、合ってないのか分からないけど、この計算だとすぐ目の前ってことじゃない。のんびりごはん食べてる場合じゃないわ。さっさとお風呂に入って寝なくちゃ!
「お弁当、食べ残しで悪いんですけど、あげます。私、さっさとお風呂に入っちゃって寝ますから……。あ、トイレはいいですか? ウチ、ユニットバスなんで……」
 早口で必要事項を告げながら、クローゼットからタオルと着替えを取り出し、さっさとお風呂へ向かった。
 とは言ってもシャワーです。
 雷が鳴ってるときに浴槽に入るのはよろしくないとか。建物に雷が落ちた場合、感電しちゃうんだってさ。……まぁ、シャワーもよろしくないと思うけど、わざわざ湯を入れてのんびりするようなスペースでもないし、手短に済ませるためにもシャワーですよ。
 短時間ですべきことをちゃっちゃと済ませた私は、お風呂から出た直後に見てしまった稲光にビクっとしながら、数歩先の部屋へ急いで戻った。
 部屋に入ったらもう一度クローゼットを開き、タオルを一枚出すと王子様に差し出した。
「お風呂、勝手に使っていいですから」
 ……あれ? 私、すでに泊まるものだと思ってる?
 いや、ここで帰られてしまったら、発狂しまくりですけど……帰らなくても発狂するか。
 それどころじゃなかった。とりあえず、電化製品のコンセントを抜かなくては……。建物に雷が落ちたら全部イっちゃうわ。
 視点が定まらない目で部屋を見回し、片っ端からコンセントを抜いて回った。
 最後に携帯の充電を確認してから手に握り、緊急時のために備えた。
 これで準備万端。どこからでもかかってこないでください。できれば早く去ってくださると助かります。
 部屋の中心で耳を澄まし、聞こえる音に集中した。
 雨音は、一層強くなっている。
 それより、背後の気配が気になる、気になる。
 どうするつもりか知りませんけど、できる限り逃がしませんよ! 全力で阻止するかもしれません。
 だから、とにかく……。
「お風呂行くなら早く行ってください!」
 雨も降ってるし、出たくなくなるでしょ!
 ついでに、一人で居ると心細くてたまんない!
 いや、もはやついでと言って強がっている余裕もない。
「は、はい!」
 とビビった感じの声は全く気にならず、意識は前方、窓の外へと向いているのであった。

 カーテンの隙間から見えた稲光から音が鳴るまで……見るたび何度も数えたけど、どんどん間隔が狭まっている。
 確実に近づいている雷様。
 オヘソを取られるだなんて子供みたいなことは言わないけど、もし、このアパートに落ちたら……って考えると恐ろしくてたまらない。回りにはこのアパートより高い建物はたくさんあるのに、怖い、怖い!
 そして数をカウントするのも数回目。
「八、九――」
『ドーン』
 予想以上に早い雷鳴に思わず飛び上がった。
 脳内は真っ白になりかかっている。
「九秒かけるの一粒四百メートル、イコール……しくさんじゅうろく。三六〇〇(サンロクゼロゼロ)……。うわーん、近くなってるよぉぉぉ」
 他の思考は停止しているというのに、雷に対すること――計算だけはできるこの状況。
 ……それにしても王子様、お風呂長すぎ。
 心配になったというより不安から、彼の姿を追うように後ろ――部屋のドアがある方を向くと……、
「きゃー!!」
 いつの間にか上がっていた王子様は壁にすがって座っていた。
 まだ出てないと思ってたから、そんなところに座ってるなんて思いもしなかったから、思いっきり驚いて悲鳴まで上げてしまった。冗談ではなく、雷鳴のときぐらい驚いた。
「もー! 上がったなら声を掛けてください! 幽霊かと思いました! びっくり、ビックリの――」
 照れ隠しのつもりで、そう言っている最中にも、
『ドーン』
 雷は容赦なく地に落ちている。
「イヤー!!」
 その上、電気まで消えてしまい、私の恐怖は絶頂に達してしまった。
「もう……ヤだ……」
 涙が溢れてくる……。
 暗くて見られないからまだいいけど、いつもなら、布団の中にうずくまって泣いている頃だ。今日は王子様がいるから、できるだけ平常心を保ったともりだけど……もう、ダメ。
 だけど、泣いているなんて思われたくない。
 気を紛らわすように、開いた携帯のディスプレイには、にっこり笑顔のかなるくん……。マイキャラ。舞キャラ。……。ぱたりと携帯を閉じた。
 現実と向き合おうよ、舞子。
 雨音は強いまま。耳を覆いたくなるほど大きく聞こえる。
 その時、背中にそっと何かが触れ、なだめるように撫で下ろされた。

 ――王子様?

 それでも雷は容赦なく落ち続けている。
『ドーン、ゴゴゴ……』
 ものすごく近くで落ちたのか、ものすごい音とともに地が揺れた。
 自分がどうして、どうなってこんなことになっているのか、よく分からなかった。
 ひどい地鳴りで反射的に体が動いたとしか思えないけど、私は王子様の胸にしがみついていた。
 体の震えが止まらず、涙も止まらず、必死にしがみついて、怖い、怖い、と呪文のように繰り返し口ずさむだけ……。
 すると、さっきみたいにやさしく背中を撫でられた。
「俺がいるから、大丈夫だから……」
 そんな王子様の言葉に、心の奥がじんわり暖かくなるのを感じた。
 これが、包容力ってやつかな?
 抱きしめられて護ってもらっている訳でもないのに……不思議な気分だった。何も怖くない? 怖くてたまらなかった雷さえも気にならなくなっていた。
 感じるのは彼の存在と息遣いだけ――。胸に顔を埋めた格好のせいか、心臓の音がダイレクトに聞こえてくる。
 ――早い?
 そして温かい。
 これが、人の温もり――。
 頭までそっと撫でられたので顔を上げた。真っ暗でみえないけど、すぐ目の前に彼は居る。
 どんな気持ちで私に触れてるの?
 余裕がでてきたのか、そんなことが気になりだした。
 頭を撫でていた手は耳から顔の輪郭を滑るように移動し、くすぐったくて肩をすくめた。その指は顎の下で止まり、さらに持ち上げるようにされ――、
「野田……さん?」
 これがどういうことなのか分からず、彼の名を呼んだ。王子様の顔を見上げるような格好だと思うけど、真っ暗な視界では何も見えない。何も答えてはくれない。
 だけど感じる。間近に彼の吐息を……。
 それが、近づいてる。
 やさしく私の唇に触れてきたものが何であるのか、理解した瞬間、体が震えた。
 ――これが、キス?
 はじめて触れた唇……目を閉じ、体中でその感触に酔いしれた。
 甘くて、体が痺れるようで、あたたかくて、柔らかくて、やさしい……全てが当てはまる、不思議な感覚だった。
 そのまま、押し倒されてるのに違和感がなくて……その先まで――。
 普通は気にするんだろうけど、私は創作資料になるものだと割り切って王子様を受け入れた。
 一度でも経験することで、創作に役立つ知識が得られるのなら、それで良かった。


 停電が直り、電気が点いた瞬間、ばっちり目が合ってしまった。
 王子様の表情といえば……目をまんまるにして、青ざめて、頭を抱えて仰け反っていた。
 頭隠して前を隠さず、とはよく言ったものだ。(違う)
 二段仰け反りだ〜。
 うっかり、マジマジと見てしまったけど。
 これも資料、ということで。


 次の日の朝、王子様は引きつった顔で逃げるように部屋を後にした。
 雷で発狂する私がそんなに怖かったのかしら?

 三限目の講義を受けていた私は廊下でたまたま王子様を見かけたので声を掛けた。
「野田さん、丁度良かったです! お暇なら一緒に来てください!」
 昨日のことで、言ってなかったことを伝えるために……。
 何かを飲みながらゆっくり会話をしたかったので、半ば強引に食堂へ連れて行き、席に着くのと同時に手を合わせ、テーブルに頭がくっつくぐらいの勢いで頭を下げた。
「昨日はほんとーにごめんなさい」
 この歳になってまだ雷が怖いだなんて、子供っぽいったらありゃしない。恥ずかしいけど顔を上げ、だけど視線はテーブルに落としたまま、言葉を続けた。
「雷ってどうもダメでして……。昔、母から聞いた話によると、二歳ぐらいのとき、電柱に雷が落ちたのを見たとかって……どうもトラウマっぽいんです」
 うう、こんなことを暴露しなければならないとは……恥ずかしい以外に言葉が見つからないわ。
「いや、それはしょうがないし、いいんだけど……俺がしたことの方がどうかと……」
 ……王子様はやさしいんだ。
 んー? 俺がしたこと?
 ……あ! アレか!
 ここでようやく思い出した昨晩のことに、ポンと手を叩いた。
 雷恐怖症のことばかり気にしてたから、すっかり、どうでもいいことフォルダに分類されてたわ。
「ああ、気にしないでください。まぁ……ちょっと痛いですけどね、きゃはw」
 自分の欠点のことばかり考えてたせいで気にするほどのものでもなかったし。
「でも、これからの創作活動に役立つ経験だったし、結果オーライってことで」
 と、正直に答えた。この件が王子様の心で重荷になっていたのなら、さっさと取り払ってあげようと思ったんだけど、
「そ、そうさく?」
 首を傾げ、不思議なものでも見るような表情で私を見つめてくる。それに対してもはっきりとした態度で、正直に答えた。
「はいっ」
「周防さんって、ナニモノ?」
「メディア・コンテンツ学部、映像造形学科、マンガコースの周防舞子。プロをさりげなく目指している同人作家ですw」
「モデルって……」
「はいっ。やっぱりフィギュアじゃモデルになりませんからね。画力向上のためにですね」
「あ、そう……」
 モデルの件はちょっとウソかな? 王子様モデルでキャラ作りもしてるし。
「それでも、せめて、責任を取らせてください」
 責任? どういう意味だろう。まぁ、私の言うことは何でも聞いてくれるって解釈して、
「あら? いいんですか? やったー。実は、今日も雷雨っぽいので、付き合ってくださいね」
「付き合わせていただきます」
 今日もまた来るであろう雷雨に備えた。


 一度、自分のアパートに戻ってからやってきた王子様は――歯を食いしばって辛そうな表情でお腹を押さえていた。弟くんに殴られたらしい。
 部屋に招き入れると、王子様はカバンから何かを取り出し、私に差し出してきた。
「ゲーセンの景品だけど……」
 ぬいぐるみと携帯ストラップをくれた。
 男の人から物をもらうなんて初めてだったから嬉しいんだけど、何て言えばいいのか困りまして、
「ありがとです……」
 という言葉しか出てこなかった。
 一度、胸にぎゅっと抱いてから、ぬいぐるみは枕元に置き、ストラップは携帯に取り付けた。

 それから、会話らしい会話もなく、じっとテレビを見たり、洗濯物をたたんでいる最中、王子様は目のやり場に困って目を泳がせたり……夕方にはお弁当を一緒に買いに行った。
 どうやら今日は、雷雨が来ないみたい。
 澄んだ色の空に怪しい雲は見当たらなかった。

 それでも帰らず、私の側にいてくれる王子様は――、私の甘え大作戦にみごとにハマってしまったのだった。
 うむ。王子は甘えられるのに弱い、っと。またネタゲットです!


 乱れた呼吸がなんとか落ち着いた頃――。
「周防さん」
 王子様の胸に体をあずけていると、彼の心音と一緒に聞こえる私の名を呼ぶ低い声。
「はい?」
 髪を指先で弄ばれているせいですぐったくて、体をすくめながら短く返事をした。
「順番間違ってるけど……」
「はい」
「付き合わない?」
 最初からそんなつもりはなかったのに、意外な獲物をゲット……げふん、げふん。
 いやいや。いずれはそんなこともあろうかと思ってはいたし、それならそれで――。
 私は顔を起こして笑顔で彼の方に向いた。
「じゃ『だーりん』って呼んでいいですか? だーりんは、私のことを『舞ちゃん』って呼んでくださいね」
 そう呼び合えたらステキだな、ってずっと思ってたんだ。
「……はぁ……」
 少し困ったような表情で、曖昧な返事をした王子様。
 だーりんは今日から、私だけの王子様――。




 う〜む、このお話も、やおい――やまなし、おちなし、いみなし、ですね。
 はっはっは。

  【CL−R目次】